Dialogue Tour 2010

第5回:かじこ出航までのこと/これからのこと@遊戯室[ディスカッション]

三宅航太郎/蛇谷りえ/小森真樹/中崎透2011年01月15日号

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作家として/人として

中崎──いまの話に関連して興味があるのは、作品のあり方として、白い壁や空間に作品をインストールするのではない方法というのが選択肢としてあるということ。それは、コマーシャルな世界の価値感でのつくり方とは違う方向へ向かうこと。かといって、いま、日本ですごく多い地域アートプロジェクトでの価値ともまた違うものを模索するということです。それは作品が誰に対してどういう価値があるかということ自体からあらためて探り直すという“おもしろさ”と“めんどうくささ”のあいだにあるのかなという印象があります。たぶんそれを探ってかないといまを生きる作家としてまずいなと思っているところもあって、すでにあるフレームの中で一定のクオリティやレベルを超えたら生きていけるということだけではなくて、どういう方法論や仕組みを自らつくっていけるかが大切で、かじこの活動からは両方を同時に考えていく姿勢を感じられて共感します。ただ主体者になるのではなくて、日本の中でその両立を達成できる場所を探さないといけないなと思いながら右往左往しています。それは水戸のような地方かもしれないし、そうでないかもしれない。

三宅──僕は美術がやりたいわけじゃなくて、単純に自分の生活を豊かにしたいんだろうなと思っています。美術ももちろん好きなんだけど、それだけじゃなくて、もっと根源的に人間の生活や条件みたいなものを作品によって考え直しているんじゃないかなと思っていて、いまやっている他の活動なども一貫して環境や状況をつくったりしているんだけど、他人が味わうのではなくて、自分が豊かさを味わう方向にいけたらなと思っています。

蛇谷──私もどちらかというと美術がしたいというより生活を豊かにしたいと思っています。日常のなかで、一見普通だけどアイデアによる捻れが起きることでまったく出会うはずがない人や出来事と出会う感覚がおもしろいと思っています。それは自分の生活だけをつくるというよりはその周辺の人たちにも関心を向けていて、社会っていう大きな枠の中で自分が楽しいのであれば他の誰かもそうなんじゃないかと。さっきのコマーシャルの話ではないけど、たとえば営利目的を優先にすると誰かがこぼれたりするわけで、でもアイデアによる捻れがあることでこぼれなかったりしますよね。かじこをオープンスペースにしようとか、運営をサポートしてくれた舵取りスタッフとか、かじこを外に外に広げて行こうとするというのが私。三宅君は中で“オレ”みたいな(笑)。

三宅──違う、違う。それは違いますよ。

小森──こういう話が食い違ったときのために第三者がいるんです(笑)。いま蛇谷さんが言おうとしたことは、なにか仕組みをつくるときにいちいち会議をしてきたんですけど、三宅はそこでつくった仕組みが他人にどう届くかという以上に自分がどう楽しめるかということを重視しているということだよね? 蛇谷さんはむしろ、自分がいいと思う価値観ができるだけ外に広がっていくことを重視している。こういう個人の考え方の違いもそうだし、プロジェクトをやっていくための役割の違いもあったからいろいろ対立もありましたね。僕は実家が近かったし、狭くなっちゃうってことで、かじこは「生活する場」ではなかったんですよ。構造的な部分により関心があるのは元々そうだけど、「かじこの暮らし=日々の暮らし」として考える機会も二人より少なかったと思いますね。


左から、三宅氏、蛇谷氏、小森氏

生活を考える

会場──今日のお話のなかで、生活が大事というところに共感しました。私はフォトグラファーですが、もともと会社員生活が長くて、いまは貧乏だけど、楽しく写真家としてやっています。でも勤めていて日常の苦しみが続いていたころの作品のほうがよかったりもします。そう考えると、生活をよくするとはどういうことなのでしょうか。

三宅──作品をつくっていく作業というのは、僕のなかでは、ひたすら目の前の違和感なんかを一個ずつ消化していくことなんだけど、生活を豊かにするというのは、おそらくそれと同じです。ただ、今後はそれをアートに特化しないでやっていきたい。例えば、野菜をつくるとか、生活を重視した少し根源的な人間らしさを求めて、小さなことを積み重ねていきたいと思っています。

蛇谷──私のなかでパブリック/プライベート、日常/非日常という境界が、生きていくなかであいまいになってきています。平日働いて週末休みという人はまだ多いけど、多様な価値観が増えてきて変わってきている。そのときに、普段の目の前の違和感に対して、自分自身が気持よく過ごせるように環境をつくっているところがあります。かじこで非日常な毎日を過ごしてみて、やっぱりこうじゃないなと思ったし、じゃあどれくらいのバランスなのかどうかは、やりながら考えるしかないなというのが答え。アートに特化すると、それに対する生活するための苦しみが極端なイメージがあるけど、ゲストハウスを経営している人の話を聞いて、もっといろいろなお金のつくり方があると思うと、もっと根本的なところから生き方を変えていけそうな感じもあります。

会場──いまのような生き方とか生活の話したときに、共感してくれる人はどれほどいるのでしょうか。話はわかるけどリアリティがないという反応のほうが多いのではないですか。

蛇谷──大阪だと美術に関しては、コマーシャルな世界で美術活動をしている人もいれば、もう一方で、自分たちで物事を仕組みや組織からつくりあげてアートNPOとして美術活動をしている人たちがいます。私は後者のそういう人たちの背中を見てきて、いまの自分の考えと重なるところもあるので、美術のコマーシャルな世界にこだわらずに生活として充実させることに興味があります。そのスタンスは、大阪の友人には共感してもらえる。「大阪の友人」といっても大阪にいる人のごく一部の人かもしれないけど。

小森──でも、文化事業に携わる人であれば多くの人が共感してくれるかもしれないよね。

プロジェクトはまだ続いている

会場──私の仕事は毎日ルーティンで、このさきどうやって暮らしていこうか考えていました。そんななかでかじこの話を聞いて、対極にいる自分にはっとしました。ただ、プライベートがないのは耐えられないですが……。

蛇谷──岡山では、平日は職場と家を往復する生活を送っている人たちが、帰り道にフラっと来て、見物するだけだったり、手伝ってくれたりとか、人が少ないとすぐ帰ったりとかしていました。かじこが終わるときに、「なにもないけど立ち寄ってもいいという場所があるのとないのとは全然違う」という感想ももらいました。毎日知らない人と接するのはしんどいけど、たまに立ち寄れる場所があるくらいがいいのかもしれない。

中崎──キワマリ荘も、有馬かおるさんがいて必ず毎週末オープンしていたときはフラっと来る人がいたけど、いまは実際のところ不定期オープンだからフラリ度は減っているかな。フラリ度を維持するのはたいへん。

会場──瀬戸内芸術祭は、島自体がいいところなのにアートのための島になっていて、スタンプラリーがあったり、東京からのアクセスもよくて関東から来てる人が多くて、脱東京ができていない印象を持ちました。それに比べて、かじこやキワマリ荘は、土着の文化にそくしたかたちでやっています。わざと人が来るところを外して、かじこをつくったことなんかは意味のあることだと思います。他のところでも続けてほしいなと思いました。まったく違うメンバーで、場所を変えて似たような条件でやるとか、そういう流れが生まれたらいいなとも思いました。

蛇谷──初めは舵取りスタッフが管理人をして、私たち3人はもう少し俯瞰したところで、かじこを運営するイメージをもっていました。でも、かじこの開け閉めや掃除などの日常の作業をするのは、平日働いている人にはやはり不自然なリズムで馴染みませんでした。まだかじこが終わってから少ししか経っていないからわからないけれど、長い目で見たらいいんじゃないかな。あの影響はみんなのなかでどこかでちいさく広がっていくんだろうと思うし。また何年後かに、瀬戸内国際芸術祭があるなら、そのときには自分たちもまわりの人たちも気持ちが変わっているだろうし。
 まだプロジェクトは続いている感覚があります。作品ができて「はい、終わり」って言うつもりはないから。そもそも作品じゃないんだし。

[2010年11月15日、キワマリ荘(水戸市)にて]

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  • Dialogue Tour 2010とは

三宅航太郎

1982年生まれ。おもな活動に、「食事」の「おみくじ」=「おしょくじ」をつくっていくプロジェクト、顔面に建築を組み立てていく《顔面建築》、ヒ...

蛇谷りえ

1984年生まれ。大阪在住。2007年から3年間、築港ARC(アートリソースセンター by Outenin)のサブディレクターを務めた後、大...

小森真樹

1982年生まれ。東京大学大学院博士課程。芸術社会学/ミュージアム・スタディース。論文=「日本における『アート』の登場と変遷」(2007)、...

中崎透

1976年茨城県生まれ。美術家。武蔵野美術大学大学院造形研究科博士後期課程満期単位取得退学。現在、茨城県水戸市を拠点に活動。言葉やイメージと...