東京画廊+BTAPは4月13日(土)より成田克彦展を開催いたします。

成田克彦(1944-1992)は 旧朝鮮総督府釜山(現 大韓民国釜山)で生まれました。1945年、終戦に伴い熊本市に引き揚げ、1948年、父親の転勤で牛深町(現 熊本県天草市)に転居します。県立熊本高校卒業後、上京。1965年に多摩美術大学絵画科に入学し、当時専任講師をしていた高松次郎のアシスタントに従事しました。視覚の問題を取り上げ、概念的に対象を掘り下げるスタイルは高松の影響であり、やがてもの派の誕生へと繋がりました。1968年5月、おぎくぼ画廊のグループ展で、柔らかい7本のスポンジの柱からなる<可動構造>を発表しました。重量によって大きくカーブするこの作品は、観客が移動して操作可能なもので、その空間的な相互作用が特徴的でした。その後も、成田は向かい合う壁面に角材を差し渡す作品(「3人展」村松画廊、1969年2月)や、美術館の壁の一部を鉄の帯で覆う作品(「第9回現代日本美術展」東京都美術館、1969年5月)を発表しており、既存の空間に介入する実験性を追求していました。

成田の代表作である<SUMI>は、1969年に「第6回パリ青年ビエンナーレ」で初めて展示されました。これは大型の炭を並べてその物質性を顕示し、炭の崩壊過程を見せることで時間的経過を喚起する作品です。それまでの空間性と身体性を意識させるサイトスペシフィックな作品とは異なり、素材それ自体の存在が強く立ち現れるという特徴を示すものでした。その後、1970年には中原佑介がコミッショナーを務めた「第10回日本国際美術展<人間と物質>」において、リチャード・セラ、クリスト、カール・アンドレ、高松次郎、小清水漸らと共に<SUMI>を出品し、大きな注目を集めました。「SUMI」は成田自身のみならず、もの派を代表する作品として語り継がれています。

本展では、成田の1970年代までの作品に焦点を当て、作品<鉄帯>(現存せず)のスケッチや、静物をモチーフにした絵画的な作品<Still Life (Bottles) No.1-5>(1974年)、レリーフ状のシリーズ<the petal>(1975-77年)等を展示します。<SUMI>の制作後、平面作品に回帰した成田ですが、存在と不在の問題、そして、位相空間とその図式化の探求は70年代を通して続けられたことがこれらの作品から窺われます。