令和6年は、大阪を代表する橋の一つである難波橋のライオン像の制作者として知られる彫刻家・天岡均一(1875~1924)の没後100年にあたることから、これまで注目されることが少なかった天岡に焦点をあて、希少な作品を一堂に展示します。

天岡は摂津三田藩の重臣の家に生まれ、東京美術学校(現東京藝術大学)で高村光雲や竹内久一に師事し彫刻を学びました。卒業後は、岡倉天心が創設した日本美術院の実技担当として活躍すると同時に、美術院の事業の一環として古社寺の国宝修理(仏像彫刻)にも参加します。明治33年(1900)頃から現在の天王寺区真法院町に拠点を移し「天岡鋳金所」の看板を掲げて活動。大正7年(1918)には、天岡をはじめ在阪の彫刻家5人で大阪彫塑会を結成します。また、均一の妻・香(蕗香)も近代大阪における女流工芸家として多数の作品をのこしていることから、併せて展示・紹介します。