Apr. 1, 1997 (a) Apr. 8, 1997 (b)

Column Index - Apr. 8, 1997


a)【初期トーキー映画と「語りの混濁」
 ―ウェズリー・ラグルズ監督『ボレロ』をめぐって】
 ……………………●篠儀直子

b)【サイバーカフェという公共圏
 −ヒース・バンティングとサイバーカフェ「バックスペース」】
 ……………………●毛利嘉孝


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ヴィデオ

『ボレロ』 JV−2112
『喝采』(マムーリアン)
JV−2116
『ハレルヤ』 JV−2082
問い合わせ:
ジュネス企画
Tel.03-3383-9800
『ボレロ』

『ボレロ』
JV−2112

『喝采』

『喝采』(マムーリアン)
JV−2116

Hallelujah!

『ハレルヤ』
JV−2082






Filmography for Wesley Ruggles
http://us.imdb.com/M/
person-exact?Ruggles
%2C%20Wesley

『ボレロ』
Bolero(1934)
http://us.imdb.com/M/
title-exact?Bolero%20
%281934%29

Filmography for George Raft
http://us.imdb.com/M/
person-exact?Raft
%2C%20George

Carole Lombard -- Comic Genius
http://ng.netgate.net/
~donb/clombard/pages/
index.htm

Autographics - Carole Lombard
http://www.autographics.
com/lombard.html

Filmography of Carole Lombard
http://us.imdb.com/M/
person-exact?Lombard
%2C%20Carole

成瀬巳喜男の映画〜『流れる』と『秋立ちぬ』
http://www.campusnet.or.jp/
~hinata/critics/cr135.htm

Filmography for Rouben Mamoulian
http://us.imdb.com/M/
person-exact?Mamoulian
%2C%20Rouben

『喝采』
Applause(1929)
http://us.imdb.com/M/
title-exact?Applause
%20%281929%29

『麦秋(むぎのあき)』
Our Daily Bread(1934)
http://us.imdb.com/M/
title-exact?Our%20Daily
%20Bread%20
%281934%29

Filmography for Sergei M. Eisenstein
http://us.imdb.com/M/
person-exact?Eisenstein%2C
%20Sergei%20M%2E

Filmography for King Vidor
http://us.imdb.com/M/
person-exact?Vidor%2C
%20King

『ハレルヤ』 Hallelujah(1929)
http://us.imdb.com/M/
title-exact?Hallelujah%20
%281929%29

Silent Movies
http://www.cs.monash.
edu.au/~pringle/silent/

Silent Film Sources - Silent Films Availability in the U.S.
http://www.cinemaweb.
com/silentfilm/

Silent Majority
http://www.mdle.com/
ClassicFilms/index.htm

初期トーキー映画と「語りの混濁」
―ウェズリー・ラグルズ監督
『ボレロ』をめぐって

●篠儀直子

アメリカでも出ていなかったウェズリー・ラグルズ監督の『ボレロ』(1934) のヴィデオが日本で発売されたので喜んで観てみたところ、もちろんこれはこれでた いへん面白いのだが、ジョージ・ラフト演ずる主人公(アメリカ人である)に実はベ ルギー国籍もあった、という事実が暴露されたとたん、ちょっと違和感を感じてしま った。もちろんこの「事実」は物語要素として決して無駄なものではない。第一次世 界大戦勃発時にすぐさま従軍するためには合衆国以外の国籍が彼には必要なのだし、 それが(彼がダンサーとして活躍する地である)イギリスやフランスではなくベルギ ーであったことも、生母の墓を訪れた彼がその晩、宿の女将に英語もフランス語も通 じなかったがために、同伴していたキャロル・ロンバードと不本意にも(だが同時に、 望ましくも)同じ部屋をあてがわれてしまう、というシチュエイションをもたらすも のとして、適切に機能しているのだから。違和感を感じたのは、この要素が物語の要 請するまさに直前になって語りのうちへと介入してきた、その唐突さのためである。

『ボレロ』の画面はサイレント映画的か

この映画と、その「リメイク」にあたる成瀬巳喜男の名高い『鶴八鶴次郎』(1938) とを『國文學―解釈と教材の研究』第42巻4号(1997年3月)の特集「映画― 文学を再生させるもの」で比較した蓮實重彦は、「いささか20年代のサイレント映 画的な混濁をとどめた『ボレロ』の語り口より、『鶴八鶴次郎』のそれのほうが遥か に30年代アメリカ映画的なのだ」と結論する。ところが物語要素の配列にひたすら 言及するその一方で、サイレント映画の語りに「混濁」をもたらしていたのは画面上 の「視覚的な要素」だと読める指摘もされているものだから、「ラヴェルと新内」と 題されたこの論考は、読み手をやや当惑させるものとなっている。トーキー初期にあ たる20年代末から30年代前半にかけて画面上に見られたサイレントの残滓という のであれば、奇妙な形のワイプや複数の画像をひとつのフレームのなかに焼き付ける といった、凝ったオプティカル処理というのが最もわかりやすい例だろう。また、ル ーベン・マムーリアン『喝采』(1929)で母親の舞台を初めて娘が見るシーンや、 のちに『麦秋(むぎのあき)』(1934)エイゼンシュテインへの傾斜をあからさま にすることになるキング・ヴィダー『ハレルヤ』(1929)で、信徒全員が宗教的恍 惚状態に陥る黒人教会のシーンにあるような、感情を凝縮したかのごとき顔のクロー ズアップというのもその例として挙げられよう。だが、視覚性を顕示するサイレント 映画的記号はいずれにせよ『ボレロ』には欠けており、これは視覚的にも「トーキー 化」した映画だと言わざるを得ない。ここで「サイレント映画的」とされているのは、 おそらくあくまでも、画面上から読み取られる物語要素の配置、という意味での「語 り口」なのだろう。

「透明さ」を達成するシステム

それでもなおこの論考には、学術論文ならざる評論ゆえの両義性というものがあっ て(もちろんそれが評論ならではの魅力なのだが)補足をしたい気持ちにさせられる。 「あらゆる要素が有効に機能しあうことで達成される画面の透明性」を欠く『ボレロ』 の語りには「サイレント映画的」な不経済性がある、と指摘する蓮實は、例としてた とえば、ロンバードの登場の相対的な遅さが結果としてもたらす物語構造の弛緩、と いったものを挙げるのだが、その場合原因はむしろ、脚本段階での検討の不備に求め られるべきだろう。ラフトの国籍にまつわる「事実」が、物語のために有効に機能し ていながらもその唐突さによって違和感をもたらすものであったことは冒頭に述べた とおりであり、この印象もまた同様の不備に起因していよう。一定以上の質の映画を 恒常的に生産するべく製作プロセスに関わる諸部門がすべて「有効に機能」している プロダクションで製作されていたならば、この映画の語りも『鶴八鶴次郎』のごとく 「透明」なものとなっていたはずなのだ。となれば、事態は正確には、「サイレント 映画的」な特質に関わるものというよりは、トーキー化と並行してハリウッドで進行 した、撮影所(スタジオ)システムの整備に関わるものだということになる。『ボレ ロ』の語りの混濁ぶりに露呈されているものとは、「スタジオ・システム以前の時代」 の面影なのである。

[しのぎ なおこ/映画史・アメリカ文化]

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b)【サイバーカフェという公共圏
 −ヒース・バンティングとサイバーカフェ「バックスペース」】
 ……………………●毛利嘉孝



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