Mar. 18, 1997 | Apr. 22, 1997 |
Art Watch Index - Apr. 15, 1997
【《ドイツビデオアートの30年》】 ………………●多木浩二
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《ドイツビデオアートの30年》
ウルリケ・
ローゼンバッハの
インゴ・ギュンター 写真:原美術館
原美術館 http://www.haramuseum. or.jp/
Nam Jun Paik
Nam June Paik in the '90s
Gallery Guide: Artist: NJPaik
swatch / Artist / Nam Jun Paik
Nam June Paik
GUGGENHEIM SOHO : MEDIASCAPE : Nam June Paik
Fine Art Rafael Vostell / Wolf Vostell
Wolf Vostell
REFUGEE REPUBLIC / Ingo Gunther
Ingo Gunther: Refugee Republic
Ingo Gunther
インゴ・ギュンター展《難民共和国》at P3 art and environment
ARTIFICES 4 - Galerie / Jeffrey Shaw - Biographie
Who is Jeffrey Shaw?
GUGGENHEIM SOHO : MEDIASCAPE : Jeffrey Shaw
Ulrike Rosenbach
Exhibitions - Ulrike Rosenbach
ULRIKE ROSENBACH: OSHO SAMADHI
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《ドイツビデオアートの30年》 ●多木浩二
ビテオを一部に写すインスタレーション
ビデオアートと言ってもビデオの映像だけで芸術作品をつくるのではない。ここでいうビデオアートはビデオ(ビデオが未発達の初期にはフィルム、テレビなどを使った)を取り込んで作られた立体作品というべきであろう。動く映像を一部に含んだインスタレーションである。いろいろなメディアが異様に発達し、ときにはそこに淫することがオタクに見えるような世界にあって、芸術は発達したテクノロジーに影響されるのではなく、あえていえばテクノロジーに先駆け、テクノロジーの浸透した世界にあって意味の可能性を問うのがビデオアートである。 物語性と相互作用 おおざっぱに言うと、ここに展示されているビデオアートには、一種の物語性をビデオや装置によって作りだす傾向と、観客を作品の内部に取り込み、装置がそれに反応し、観客も装置からなんらかの経験をする傾向とがある。コンピューターを駆使して老若の女性の身体の蜘蛛への変身を扱ったフランツィスカ・メーゲルトの作品はギリシャ神話のアラクネを想起させるし、牧歌的な穏やかささえ感じさせる風車のような構成物と棒を振りまわすパフォーマーのビデオを組み合わせたジャン=フランソワ・ギトンの作品は、ドン・キホーテを現代に読みかえている。これらが物語性の例である。台に横たわって頭を穴に差し込むと、頭上にあるモニターが見えるが、ほとんど一瞬しか映像が現れないインゴ・ギュンターの装置、あるいは歩いていくと映像が変わるジェフリー・ショウの作品などは、観客にある経験をさせるタイプの作品である。どちらの場合も、ドイツの作品に共通しているのは、これ見よがしの極端な技術の提示に終るのではではなく、なんらかの意味で存在論的あるいは認識論的な問いかけをすることであろう。もちろんあまりにも日常化したビデオを使うビデオアートにはいつでも通俗化する危険がある。ビデオアートが、あたらしいメディアを使っても決してきわものに堕することなく、現代の芸術としての可能性をどのようにもっているか、それを考察する上でも適切な展覧会ということができよう。 [たき こうじ/美術批評家]
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