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Column Index - May 20, 1997
a)【政治コメディと政治のあいだ ―H・C・ポッター監督『ミネソタの娘』の周辺】 ……………………●篠儀直子
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政治コメディと政治のあいだ ●篠儀直子
ハリウッド映画の歴史には、ホワイトハウスがらみのコメディも議会がらみのコメ ディもたくさんあるのだけれど、田舎から出てきた女の子がなりゆきから選挙に出馬 して、卑劣な妨害に打ち勝ちみごと連邦下院議員になるという筋書きを取り出せば、 たいていの人は思わず(うっかり?)フランク・キャプラの『スミス都へ行く』 (1939)の女性版だと言ってしまうものだが、H・C・ポッター監督の『ミネソタの 娘』(1947)の物語を「いかにもアメリカらしい」と書いてあるのを見ると、ヴィデ オのパッケージの宣伝文とはいえ、これはどうも困ったなあ、と思わないではいられ ない。戦時中は女性の家庭外就労がおおいに奨励されたのが、第二次世界大戦が終わ るやうってかわって「女性は家庭に戻れ」という風潮になったというのは合衆国社会 史の常識だし、戦後のハリウッド映画がそのキャンペーンの担い手となっていたこと も、合衆国の多くの研究者や加藤幹郎の仕事(『映画 視線のポリティクス』第4章) によって、すでに明らかにされているとおりだ。ところが『ミネソタの娘』ときたら、 貞操にまつわるスキャンダルをでっちあげられて傷ついたヒロインが選挙戦をあきら め、恋人が彼女をいたわって家庭に迎え入れようとしたとたん、ヒロインの父親であ る無学な農夫が出てきて「そんな子はわしの娘じゃない、ちゃんと最後まで戦わんか い」と言い出すのだから、これはいかにも尋常ではない。 理想主義の由来 ヒロインのロレッタ・ヤングを取り巻いて、ジョゼフ・コットン、エセル・バリモ ア、チャールズ・ビックフォードと、充実したキャスティングを誇るこのフィルムの 魅力については、語る余裕が残念ながら今回はないのだけれど、ともあれ人物の配置 を図式化してみると、ヒロインはスウェーデン移民の二世、恋人はワスプの名門出身 の下院議員、ふたりが共闘することになる政敵は「100%アメリカニズム」を標榜 するわけで、この映画が、ジェンダーやエスニシティを超えて多様性を認める真の平 等国家としての合衆国というものを提示しようとした映画であることは、これだけの ことからでもすでに明らかだろう。ところで、女性やマイノリティの尊厳を描くとい うのは、太平洋戦争の前半期に戦時情報局が国家意識を高めて戦意を昂揚することを 目的に、ハリウッドに対して指導を試みていた事柄にほかならない。情報局が綱領に うたった理想主義に対して、商業的なリスクを嫌ったハリウッドが従うことはきわめ て少なかったのだが(だから、太平洋戦争の後半期には情報局も方針転換してあまり 押しつけなくなる)、戦後2年を経てそれが突然、社会の趨勢にさからって、ほぼ完 全な形で実現したということになろう。なぜそんなことが可能だったのか。製作者の 名を出せば部分的には答えとなるだろう。この映画は「セルズニック・コレクション」 の一本として最近ヴィデオ発売され、デイヴィッド・O・セルズニックが抱えていた 俳優たちが顔を揃えている(ヒロインも当初はイングリッド・バーグマンが予定され ていた)けれども、実際は、当時セルズニックと事業上の緊密な協力関係にあった、 ドーリ・シャリーの製作作品なのだ。 理想主義の行方 共和党支持者であるセルズニックと政治的見解のちがいを超えて生涯友人であった シャリーは、ハリウッドきってのリベラルとして知られているが、彼の政治的立場を 30年代・40年代の文脈で考えれば、おそらく「ニューディーラー(ニューディー ル主義者)」と呼ばれた人々のそれと、ほぼ重なることとなるだろう。戦時情報局が 作成した綱領に盛りこまれていた理念とは、とりもなおさずニューディーラーの理念 であった。ハリウッドの重役連には(ローズヴェルトの民主党 ではなく)共和党を支 持する者が多かったのだから、綱領に従えなかった理由には政治的なものもあったろ う。情報局への協力に積極的だったのは、脚本家たちをはじめとする、東海岸を中心 とした30年代の「左翼的」雰囲気を吸収していた者たちだった。かくして、戦時中 に「国家の方針」に対して最もよく協力した者たちが、戦後に「国家の敵」として魔 女狩りにあうことになるのだが、この皮肉な事態は『ハリウッド映画史講義』で蓮實 重彦が素描したことにも関わるところだ。つまり『ミネソタの娘』とは、誰によって も歓迎されていなかったはずの物語を、一瞬の隙をついて(だが、何の隙を?)供給 してしまった映画なのである。いかに虚しいものと思われようとも、これはやはり「 快挙」だったと言わねばならぬ。だがはたして「アメリカらしい」ものだとは言える のだろうか。
[しのぎ なおこ/
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