Nov. 26, 1996 | Dec. 10, 1996 |
Art Watch Index - Dec. 3, 1996
【テイト・ギャラリー『ターナー賞』発表】 ………………● 毛利嘉孝
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『ターナー賞』発表 1996年11月28日21:00-22:00 チャネル4(イギリス)で放映 『ターナー賞候補作品』展
ゴードン
ダグラス・ゴードン
ゲイリー・
ゲイリー・ヒューム
サイモン・
サイモン・パターソン
クレイギー・ホースフィールド
クレイギー・ホースフィールド
The Tate Gallery http://www.illumin.co.uk/ turner/tate.html
Channel 4 / The 1996 Turner Prize
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「テイト・ギャラリー《ターナー賞候補作品》展 」
−毛利嘉孝
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テイト・ギャラリー『ターナー賞』発表 ●毛利嘉孝
11月28日、今年のターナー賞にダグラス・ゴードンが選出された。ターナー賞は、テ イト・ギャラリーが組織し、その年最も活躍したイギリス在住の50才以下の現代美術作家に授与されるというもので、今回13回目を迎える。スポンサーでもあるチャネル 4が、ゴールデン・タイムに発表の実況中継を一時間番組で放映することもあり、美 術業界関係者のみならず一般の関心も高い賞である。 女性候補者の不在 この選考に先だって、ダグラス・ゴードン、ゲイリー・ヒューム、サイモン・パター ソン、クレーギー・ホースフィールドの4人の最終候補者が発表された。昨年のデミ アン・ハーストの受賞作が牛の親子をまっぷたつに切ったホルマリン漬けというショ ッキングな作品だっただけに、このリスト自体は地味な感じは否めなかった。しかし、この候補者リストが発表されると、全く別の予期せぬところから猛烈な論争が始まったのである。それは、女性の候補者が一人も含まれていない、ということについてだった。主要なメディアはこぞってこの「女性の不在」を問題にし、発表の当日には、おそらくこの事実に抗議した何者かによって、テイトの外の鎖にマネキン人形がチェーンにくくりつけられているのが発見された。授賞式の中のプレゼンテーターの挨拶もやはり、この「女性の不在」を厳しい調子で批判しており、今回の人選に強い反発があったことを暴露する形となってしまった。 ダグラス・ゴードンかゲイリー・ヒュームか? こういった事情が、ダグラス・ゴードンの選出にどの程度働いたのかはわからない。 しかし、選出にあたって審査員の心理に微妙に影響したことは間違いないだろう。もともと、今回はゴードンとゲイリー・ヒュームのどちらかを推す声が多かった。特にヒュームは、絵画という正統的な領域で仕事をしている作家であり、保守化の傾向が見られるテイトは「絵画の復権」(もちろんこれは作品を売買するマーケットの要請でもある)のためにもヒュームを選出するのではないか、という見方は少なくなかった。したがって、ゴードンの受賞は本命視されていたものの、その一方で少なからず 意外な印象を与えるものとなった。 ターナー賞としては初めてのテクノ・アート
この「意外な印象」の理由は二つある。ひとつは、これまでターナー賞は、フィルムやビデオを使ったいわゆるテクノ・アート、ビデオ・アートと呼ばれるインスタレー ション作品に与えられたことがなかったことである。ゴードンの受賞作は、ヒッチコックの『サイコ』をスローモーション化して24時間のインスタレーションに変換した作品や、自分の右腕と左腕をそれぞれ男性と女性の腕に見立ててベッドの上で争わせたビデオ作品など。彼は、映像メディアの虚構性を利用しながら、一貫して人間の内 部の二面性をテーマに扱っている。 久しぶりの非ロンドン在住アーティスト もうひとつの「意外さ」は、ゴードンがグラスゴー出身で、今なおグラスゴーを拠点 に活動している作家だということである。最近ではレイチェル・ホワイトリード、アントニー・ゴームリー、デミアン・ハーストといずれもロンドンを基盤にしている作家が続き、ブリティッシュネスというよりイングリッシュネスを強調しようという印象が強かった。このところ、イギリス美術シーンではハーストを軸にいささかナショナリスト的なイギリスらしさの主張が強まってきていただけに、このスコットランドの作家の受 賞は意外でもあるが、好ましい傾向と考えられるかもしれない。 女性作家が候補に入っていないことに対する予想以上の反発は、美術という制度がジェンダーの問題抜きに今日では語れなくなっていることを図らずも露呈する結果となってしまった。しかし、こうした批判や議論はむしろ新しい可能性である。美術と国家、美術と権力ということを再考させた、という点で、今回のターナー賞は皮肉なことに主催者の思惑とは別に成功した、と言えるかも知れない。
[もうり よしたか/
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