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ArtDiary ||| 村田 真のアート日記
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8月24日(日)

ヨーロッパから帰ってこの2ヶ月間、なんだかやたらと忙しくて見逃した展覧会が少なくない。まだやってる展覧会も夏休みに合わせてか、8月いっぱいで終わるものが多いので、最近あわてて見ている。で、今日は少し遠出して、栃木県立美術館の「揺れる女/揺らぐイメージ」展と、宇都宮美術館の「森ニイマス」展だ。
 まず「揺れる女/揺らぐイメージ」。最近、女性学芸員によるジェンダーをはじめとする社会問題を扱った企画展が増えているが、これもそのひとつ……という紹介の記事をいくつか見かけた。もちろん間違ってはいないけど、こーゆー書き方の中にすでにジェンダリズムが見え隠れしてることはいうまでもない。ぼくも書くけど。
 展覧会はおもしろかったっす。特に、第1部の「19世紀:青鞜派の誕生と官能的裸婦」と第2部の「20世紀初頭:シュルレアリスムによる無意識の解放」がいい。あ、それから第3部の「20世紀末:現代美術」もよかった。なんだ全部じゃねーか。こうしたテーマ展の場合、範囲をどこまで広げるか、あるいは限定するかが勝負どころとなるが、けっこう大風呂敷を広げてるわりに押さえるところは押さえていて、引き締まって見えた。作品の選定には物足りなさが残るものの、カタログできっちりカバーしてくれてるし。だけど3500円は高いぞ。
 県立美術館から宇都宮美術館の谷新館長(タニ・シンカンチョウではなく、タニアラタ・カンチョウ)に電話を入れるが、今日はだれかの講演があって呼び出せないとのこと。ともかくタクシーをとばして宇都宮美術館へ。マグリットの絵を高額で購入して話題になった、オープンしたての市立美術館だ。思いっきり遠いけど、環境は悪くないし、建築も好感が持てる。展覧会の「森ニイマス」は、丑久保健一、今村源、岩村伸一、吉田重信の4人展。日常品を使って巧妙なインスタレーションを見せる今村と、外の光をファイバーで館内に映し出す吉田が新鮮だった。
 帰り際、受付でチラシを見たら、なんと今日の講演は田窪恭治氏だったではないか。話は当然、フランスのサン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂のプロジェクトについて。聞きたかったのに。きっとまだ館内にいて館長と雑談でもしてるに違いないが、会えば会ったで谷さんと田窪さんのことだから、きっと飲みに連れてかれるだろう。そしたら明日締切の原稿(nmpだよ!)は絶対間に合わなくなる……と、後ろ髪引かれながら帰途につく。結局、新幹線代、タクシー代、カタログ代などで2万円近い出費。これはアウチ。

8月30日(土)

愛する妻と整骨院で肩もみほぐしてから、展覧会巡り。キリンアートスペース原宿と渋谷パルコ・スクエア7の2会場で開催中の「チャイナ・ナウ」展。入口付近でばったり現代美術資料センターの笹木繁男氏に会い、チケットをもらう。やったー。愛する妻も編集者の名刺でパス。
 出品作品はほとんど油彩画だが、技術的には西洋画をほぼ完璧に掌握している。いや、最近は西洋でもこれほど描写力のある画家にはめったにお目にかからない。諧謔精神も旺盛だ。その矛先は自国の歴史や政策のみならず、欧米にも向けられる。たとえばワン・シンウェイはデュシャンボイスを、ヤン・シャオピンはホックニーを、ユエ・ミンジュンはゴヤやドラクロワをパロッてるように、西洋美術を相対化しているのだ。近年、絵画展でこれほどおもしろかった展覧会はない。
 恵比寿に出て、東京都写真美術館の「第2回東京写真ビエンナーレ」。これもおもしろかった。なにがおもしろいかって、テーマも形式も自由な公募展なので、多様な写真が見られたことだ。とはいえ、展示は20カ国672人から選ばれた40人と、ノミネート部門の13人に絞られてるので、いってしまえば“クズ”はあらかじめ排除されている。
 今回の東京都写真美術館長賞は、メルヴィン・クレイトン・ファリントンの「アメリカ海軍での10年」という連作。審査員は全員ほめ倒してるけど、ぼくにはどこがいいのかさっぱり。なにか政治的思惑でもあるのかと勘ぐりたくなる。逆におもしろかった作品は、瞳に映る外景を写した山田亘、寝てる人を一晩中長時間露光で上から撮った萩原絹代、水たまりに映る風景を撮って天地逆にしたロブ・ランゲなど、写真でしか見えない光景だ。ところで、宮本とも子と柴田さくら子の作品は、どちらも装飾品やグッズを寄せ集めた写真で、一見区別がつかない(名前もひらがな+子だし)。にもかかわらず宮本は奨励賞をもらってる。なぜ似たのか、そしてどこが違うのか、審査員に聞いてみたいものだ。
 明日から韓国なので仕事場に戻り、原稿2本を書き上げる。この1週間で5誌、計15本書いたのに我が暮らし楽にならざる、じっと手を見る……。

8月31日(日)

深夜、原稿を書き終え、2ヶ月間散らかし放題だった部屋を整理して、4時過ぎ帰宅。朝9時半成田発なので、6時には家を出なければならない。荷物を詰めて、30分ほど横になるが、寝なかった。
 今回の韓国行きは、もちろん光州ビエンナーレの取材のため。ツアーのメンバーは、ギャラリーQの上田雄三氏、写真評論家の飯沢耕太郎氏、水戸芸術館の逢坂恵理子さん、BTの桑原勲氏、写真家の野口里佳さんの計6人。あれ1人たりないぞ? あ、ぼくだ。成田から2時間ほどでソウル着、乗り換えて光州まで1時間足らず。韓国へは88年のソウル・オリンピックの前に行こうと思ったが、なんとなく機を逸してしまい、そのまま10年近くたってしまった。飛行機の窓から見るソウルの近郊や、光州の空港からホテルまでの風景は、巨大な高層アパートが次々と建設され、山や川が掘り返される、醜くも壮大な開発中の姿だった。10年前に来てたらずいぶん違った風景だったろう。
 ホテルはビエンナーレ会場のすぐ隣。荷物を置いて、早速ビエンナーレのプレスオフィスへ。前回の第1回展にも来ている上田氏を先頭にしたものの、2年前とはずいぶん様子が変わってるらしく、地図も頼りにならない。そこで標識どおりに歩いていくと、なぜか小高い山に登ってしまう。結局10分で行けるところを30分以上かかってしまった。オフィスに着いてからも、上田氏があらかじめ手配してくれてたプレスパスや資料がなかなかゲットできず。どーも要領が悪いっつーか混乱してるっつーか。ま、韓国だしオープニングだし、ある程度は予想してたけど。
 この日は会場には入れず、市の中心部に繰り出す。大通りではパレードが始まっていて、チマチョゴリやヘソ出しのねーちゃんが行進していた。それを一目見ようとゴミ箱に乗ろうとしてひっくり返ったオヤジと、警備に当たったやけに高圧的なオマワリとの対比を見て、なんとなく「光州」がわかったような気がした。レストランよりも大衆食堂で、タコキムチ入りのナベを囲む。腹いっぱい食って飲んで1人1000円くらい。

9月1日(月)

朝8時半にホテルのカフェに集合。冷めたトーストにジュースとコーヒーで1000円くらい。なんだこの落差は。水戸芸術館を辞めたばかりの清水敏男氏と、出品作家の森万里子さんも合流。
 光州ビエンナーレは、だだっ広くて起伏のある仲外公園のビエンナーレ展示館を中心に、市立美術館、教育広報館などで行われる。まずビエンナーレ展示館に行ったら、これからセレモニーがあるらしく入れてくれないので、出口に回ったら入れた。こーゆーいい加減なところがいい。最初は(出口からだから「最後は」というべきか)、パク・キョンがコミッショナーを務める「空間/火」のコーナー。パクはニューヨークで建築関係のギャラリー、ストアフロントの主宰者。10年ほど前に1度会ったことがあり、その時は英語式にキョン・パークと呼んでいた。展示の大半は写真だが、最初に見たせいかインパクトが強い。
 いったん外に出て、入口から入り直す。ハラルド・ゼーマンによる「速度/水」から、上階のベルナール・マルカデによる「生成/土」へ。連絡橋を渡って、リチャード・コシャレクの「混性/木」、下に降りてソン・ワンキョンの「権力/金」という順。テーマはあってなきがごとし、いい作品もあれば悪い作品もある。
 会場内のコンビニで買ったのり巻き食って、教育広報館へ。ここでは韓国の若手作家を集め、「南道(南韓国)の特質」「イメージ批評」「科学性」の3部門からなる「アペルト」が開かれている。その後、光州市立美術館の「日常、記憶そして歴史」展や「生の境界」展を見て、ホテルへ。
 晩飯はホテル近くの食堂で、エビ、カニ、貝がたんまり入った海鮮チゲ。これはウマイ。

9月2日(火)

昨晩の食堂が朝飯もやってるというので9時半頃行くが、閉まってる。仕方なくホテルのカフェでなくレストランで韓国式おかゆ。
 もう1度ビエンナーレ展示館を見てから、1時半にBTの取材で、組織委員長ユー・ジュンサンのインタビュー……のつもりが、ユーさんが来ない。1時間ほど待ってようやく捕まった。ユーさんはソウル・アートセンターの展示事業本部長で、フランスに留学してたことがあり、日本語も話す。穏やかそうな容貌や話しぶりとは裏腹に、ジャック・デリダや陰陽五行説についてしゃべったかと思えば、光州の役人の体質や韓国人同士の意地の張り合いについて痛烈に批判したりして、なかなかやる人。だけど時間を気にしないところは、やっぱり韓国人だなあ(ユーさんは「朝鮮人」というべきだと主張していたけど)。
 タクシーで5・18墓地へ。ここは1980年の民主化運動(いわゆる光州事件)で亡くなった人たちが埋葬されてるところ。別に墓参りでも墓荒らしでもなく、この周辺で開かれている「統一美術祭」を見に来たのだ。ところが、前回も来たという上田氏が迷ってしまう。それもそのはず、後でわかったことだが、この5月に墓地の拡張工事が行われていたのだ。そこには巨大なモニュメントが建ち、飯沢氏いわく「まるで北朝鮮みたい」。こーゆーモニュメントに莫大なカネとエネルギーを費やすことにおいて、南も北も紙一重なんて書いたら叱られるから書かない。あそうそう肝心の「統一美術祭」は学芸会でした。もっと叱られるか。
 いったんホテルに戻って、再び繁華街へ。みんな別々のチゲを頼んで回し食い。どの皿もトウガラシで赤いのに、見た目ほど辛くない。だから翌朝のウンコも辛くない。なるほど、カライもツライも同じ字なのはそーゆーことだったのか。ところで、英語のホットはアツイとかカライだが、じゃ冷たくて辛いキムチを食べたアメリカ人はなんていうのだろう。疑問は尽きない。

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