1989年、パリのポンピドゥー・センターでジャン・ユベール・マルタン監修の下開かれた「大地の魔術師」展は、キューバを含む中南米やアフリカ、アジアなどいわゆる第三世界と欧米先進国の芸術を初めて並置したということで、話題を集めた。それと呼応して90年代以降、欧米の主要な美術館で、プリミティヴ・アートを正面から扱ったり、キュビスムとの関連性に言及する展覧会が相次いで開催され、それらの芸術生産の価値が問い直される契機となったが、そうした試みに対しては、西欧の伝統的なオリエンタリズムと同様の構図であるという批判も当然成り立つであろう。ハバナ・ビエンナーレが、ヴェネツィア・ビエンナーレに次ぐ歴史を持つサンパウロ・ビエンナーレとともに、欧米現代美術市場にとって試掘の場となっているなか、ラサロ・サアベドラは、それが経済的成功への一階梯となっていることを批判する制作を行っているが、キューバの作家たちは、ビエンナーレのみならず、今回の展覧会のように外から向けられた眼差しをどのように意識しているのだろうか。
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クロニクル、展示/蒐集−3
猫はお嫌いですか?
――《熱い国から来たアート、キューバ現代美術展》
UAF ユーアーエフ
(Un Air de Famille)
19人の現代作家の出展により初めて本格的にキューバ美術を紹介する《熱い国から来たアート、キューバ現代美術展》が7月18日から8月2日まで代官山のヒルサイド・フォーラムで開かれた。キューバへの日本人移民100周年記念事業と銘打たれた一連の展覧会は、実際の運営作業はボランティアによって支えられ、資金繰りの一部に記念Tシャツの売り上げが充てられているなど、キューバに(美術に、あるいは国そのものに)魅了された関係者の思い入れが移民100年を口実に結実したと言ってよい。
1961年にアメリカと訣別、社会主義革命を宣言、1965年に急進自主路線を選択、共産党が誕生し、以来全面的にソ連の援助に依存してきたキューバ。早期に才能発掘、大学卒業まで無料で英才教育実践というように選良主義的美術振興政策を徹底しているキューバ。そうした事実は、我々に社会主義リアリズムのように権力に与した情報宣伝のための芸術生産を予想させるが、実際キューバの芸術とはどのようなものなのだろう。出展作品の多くは、革命後の1962年に創設されたハバナの国立芸術学校出身者と、1976年設立の高等芸術院(大学院にあたる)出身者による。彼らは、自国及び第三世界の美術を広く世に知らしめるため、キューバ政府により1984年に設立されたセントロ・ウィフレド・ラムが主体になって運営するハバナ・ビエンナーレを始めとして、政府機関によって組織された様々なコンクールで活躍、既に国内外で評価を勝ち得た芸術家たちだ。
ピロー(フリオ・ガルシア)
「アイデンティティの迷宮」1997年
ネルソン・ドミンゲス
「黒い儀式」1998年
ユネスコから1979年に出された、キューバ文化省の代表2名の手になる『キューバの文化政策』には、社会主義の下では、芸術や文化がブルジョワ社会を支配している需要と供給の圧力から自由であること、芸術文化の様々な表現は、何らかの歴史的社会的特質を伴って生まれるものであるが、ある種の国民的特性を有していること、キューバ共産党は、文化における国民的特性を擁護し、その愛国的、反植民地的な意義を再確認することなど、社会主義国家が文化について語る際の紋切り型が読まれる。さらに、ラテンアメリカおよびカリブ海の諸国は極めて大きな価値を持った文化的伝統を有しており、そこにはこの地域に特有の文明によって残された、計り知れないほどの価値を持った遺産が含まれているなど、民族主義、反植民地主義、地域主義の名の下、独自の造形言語を実現しようという意図が窺われる。とは言え、自由化以前の東欧諸国において芸術が自律的な分野として成り立ち得ず、人形劇やポスター、絵本といった媒体に表現の場が求められたり、西側の芸術拠点を通して初めて世にでることが多かったのと同様に、表現上、あるいは作品発表の機会に関する制約をキューバの作家たちが受けていたと結論してよいのだろうか。
スロヴァキア出身のイラストレーターであり、ブラチスラヴァ国際絵本ビエンナーレでの受賞経験多きドゥシャン・カーライがこの7月に来日した際、共産党政権下では〈赤〉の色調に関して印刷所からも注文を受けたため、その後微妙に色調の異なる赤を多用して(印刷所を困らせ)秘かな抵抗を続けた〈赤の時代〉について述懐していたが、東欧諸国の作家たちが体制によってもたらされる様々な困難に抵抗するためには、風刺、それも意味内容を直ちに把握することが困難な、それ故に追いつめられ切迫した印象を与える諧謔に頼らなければならなかった。キューバの作家たちが体制批判を芸術生産の契機としようとしたとき求められるのもそのような離れ業なのだろうか。今回展示されているキューバの作家たちの作品全体を展望して感じられるのは、よりあからさまな、しかしまたどこか「醒めたユーモア」なのだ。
1920年代始めに革命政権の文相ホセ・バスコンセーロスの庇護下で、ディエゴ・リベラ、クレメンテ・オロスコ、アルファロ・シケイロスといった画家たちが、インディオやメスティーソの生活や歴史という土着文化の記憶(そのような記憶がすべての民衆に共有されているかどうかは別として)を喚起するような題材を選び、公共建築物の壁一面に大胆な筆をふるったメキシコの事例のように、何らかの造形言語を〈国民〉統合の手段として機能させようという目論見は、キューバにあっては無効であったにちがいない。15世紀末、スペインの植民地化によって先住民がほぼ全滅、代わりに労働力となったのがアフリカから奴隷として連れてこられた黒人。その黒人と白人の混血が進んだ結果、現在の人口比率は白人、黒人がそれぞれ25パーセント、ムラート(混血)が50パーセントであるという。そこに中国や日本からの移民が加わる。このような状況で、たとえば西欧、あるいは資本主義を否定する立場は芸術家にどのような表象を可能とするのだろうか。少なくともそれは単一の造形言語では与えられまい。
なるほど国家がソ連と歩みをともにすることを決定した1970年前後に国立芸術学校を卒業した第一世代−今回出展している画家たちでは、ネルソン・ドミンゲスやフローラ・フォンら−は、先に挙げたキューバ共産党の文化政策理念と共鳴するかのように、(技法は極めて西欧的ながら)自らの民族的な起源を求める。彼らが描いたアフリカ文化に固有のいわば呪詛的自然観に基づく人物や鳥は、続く世代の造形言語に一つの範型として受け継がれたことだろう。しかしながら、こうした生産が西側の芸術市場でプリミティヴィズムの名の下に回収されてしまう危険と常に表裏一体であるのも事実である。一方、続く第二世代が直面せざるを得ないのが、米国から経済制裁を受けつつ、ソ連からの援助も今では途絶え、10万人以上が難民化するに至っている経済的困窮の現実であろう。ガソリン不足を補うために中国から大量の中古自転車が輸入されたことを皮肉るカチョー。この作家は難民が海を渡る困難を表現するために筏や廃船を素材に用いる(1998年1月、ギャラリーGANでの作品展示)。あるいはキューバが観光国家と堕したことを、カストロを思わせる針千本を旅行鞄に詰め込んだオブジェで批判するサンドラ・ラモス(ツァイト・フォトサロン)。そこにはキューバを訪れる西側の観光客に対する皮肉も込められているのかもしれない。こうした若い作家の知的な諧謔精神は、美術市場の求める価値基準との絡み合いのなかで、多義に渡る意思表示として機能し得るというのが現状のようである。
1945年から現代までのエコール・ド・パリを扱う大部の書物からの引用。「ウィフレド・ラムは教養ある中華系商人の父と、アフリカ、ヨーロッパの先祖を持つムラートの母の下に生まれたのだが、この二重の出自が、アフリカ系キューバ的な根と無時間的な神話と出会うラムの極めて私的な主題世界をもたらした。…経験を通して豊かなものとなったラムの絵画は、コントラストが明確で活力ある色調に生硬で角張った線を示す。そこではプリミティヴであることを選び、しかし悲愴なところは微塵もない精神が君臨している。」パリで制作した作家全てをエコール・ド・パリに含めるというこの著者の歓待精神はここでは問うまい。今回の展覧会では、展示作品のほとんどすべてが「キューバ」を主題にしていた。確かに自らを取り巻く社会状況を対象とせざるを得ないのが現状なのかもしれない。また今回の出品作品決定には、作家の手元にあった作品からという限定もあり、偶然の要素が強かったと言えるかもしれない。しかしそれに対して第三世界の芸術とはかくあるはずだ、という先に引いた著者も抱いたであろう、我々眼差す側の先入見はなかっただろうか。かつて映画批評家セルジュ・ダネーは、受け手の側の一義的解読を要求する形象をヴィジュアル、読むことと別の視覚経験に開かれ、解読を阻止するようなある欠如によって成立する形象をイメージと呼んだ。そしてその欠如こそ、あらゆる文化が生み出さざるを得ない他者の場所であるという。女性の作家は自らの女性性を疑いフェミニスト・アーチストとなり、第三世界の作家は帝国主義支配以前の自らの起源を問う民族的芸術家たることが、芸術を受容する側の期待の地平として確立してしまっているとしたら、そしてそのことが逆に生産者の側に何らかの権力として機能するとしたら、芸術制作は単なる思想の絵解きに過ぎなくなってしまうであろう。エコール・ド・パリの一員として数えられるのであれば、キューバ出身の画家が白壁に猫を描いて悪いという法はないはずだ。
キューバを代表する2人の作品展
ギャラリー・プロモ・アルテ
1998年7月21日-8月3日
キューバ・4人の現代作家展
ツァイト・フォト・サロン
1998年7月1日-25日
nmp1997年6月10日号
第6回ハバナ・ビエンナーレ取材日記……●名古屋 覚
カチョー(アレクシス・レイバ・マチャド)
「長い旅」1998年
撮影:桜井ただひさ
サンドラ・ラモス
「都市の底」1997年
ウィリアム・エルナンデス・シルバ
「マルティ」1997年
1997年6月17日号
Art Information Special
ヴェネツィア・ビエンナーレ
……●村田 真
nmp1997年7月24日号
ヨーロッパ3大国際展特集
ヴェネツィア・ビエンナーレ
……●名古屋 覚
ロベルト・ファベロ
「キューバの小さな夢物語」1998年
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