キュレーターズノート

「MEDIA/ART KITCHEN YAMAGUCHI──地域に潜るアジア:参加するオープンラボラトリー」

阿部一直(山口情報芸術センター[YCAM])/井高久美子/渡邉朋也

2014年10月01日号

 前回の座談会の時点では、「地域に潜るアジア」が一般公開していなかったため、準備段階というエクスキューズがあるなかで、コンセプトやビジョン、そのとき進行していたリサーチを話題にした(展覧会「地域に潜るアジア」については前回の連載をご覧いただくか、プレスリリースがありますので、そちらをご覧いただきたい)。今回はあれから約3カ月が経って、その間に展覧会も無事オープンして、さまざまな実践が積み重なり、市民からのレスポンスや参加も多数ある。そこで今回は、事前に掲げていたビジョンやコンセプトがどれくらい遂行されたのか、あるいは予想していない創発や発見が生まれたのか、展覧会を取り巻く具体的なエピソードについてディスカッションを行なった。

阿東での3週間──出張ラボラトリー

渡邉──まず、井高さんにお聞きしたいのですが、展覧会が始まってからこれまででなにか印象に残っている出来事、重要だと感じられた出来事などはありますか?

井高──前回の座談会で「エイリアン」、つまり地域にとって外部の他者、よそ者の話をしていたと思うんですけれども、そういう意味では、7月下旬から8月上旬にかけて行なった「出張ラボラトリー」は、かなり意義のあるトライアルだったなと思っています。
 今年の3月に、展覧会に参加しているアーティストのヴェンザ・クリスト(インドネシア)と一緒に岡山をはじめとする山口市の中山間地域でフィールドワークを行なった際、ヴェンザがその成果として、UFOをつくるというアイデアを提案してくれました。エイリアンとしてさまざまな周辺地域に出掛けていき、そこで活動を展開できる移動式の基地のようなものをつくれないかということです。
 そういうこともあって、YCAMにあるレーザーカッターや3Dプリンターなどの機材をバスに積み込んで、ヴェンザと一緒に「出張ラボラトリー」としておよそ3週間にわたって山口市の北東部にある阿東地区で活動しました。このバス自体は、名古屋を拠点に活動するアーティストの河村陽介さんが所有されている「MOBIUM」をお借りしました。


旧阿東町立亀山小学校に設置された「MOBIUM」

渡邉──阿東での具体的な活動を教えてください。

井高──まずはこのバスを、地元の人に自由に使ってもらえるラボラトリー、ものづくりのための実験工房として公開していました。すると、地元の人たちがこういうものをつくりたいとか、こういうものが必要だということを持ちかけてくれるので、旧亀山小学校で「阿東文庫」という私設図書館の運営に関わられている明日香健輔さん、今回の展覧会に「共同リサーチ・プランニング」というかたちで携わってもらっているファブラボ北加賀屋とともに、要望を実現する方法を考えるためのミーティングを行ないました。これに加えて、現地でパーソナルファブリケーションの機材に触れるきっかけになるようなワークショップであるとか、ヴェンザとの公開ミーティングといったイベントを行ないました。

渡邉──そのラボラトリーを活用して、地元の方々がつくりたいものというのは、たとえばどういうものなんですか?

井高──何人かの現地の方々からコアな要望があったので、それについてはファブラボ北加賀屋と地域開発ラボがネットワーク越しに連携して、聞き取り調査から解法の検討ミーティングを行ないました。ひとつの例を挙げると、阿東在住で農家をされている吉松さんですね。イセヒカリという米の品種固定でよく知られる方です。吉松さんが田畑がイノシシに荒らされないようにスピーカーとライトを組み合わせた装置をつくりたいとのアイデアをお持ちだと聞きました。とくにラボラトリーではフレネルレンズを加工して特殊なレンズをつくりたいと。
 なんでそんなことをする必要があるのか、私たちは最初よくわかっていなかったんですけど、ようするにレンズでセンサーが感知できる光量を多くして、100メートル先の動物をセンシングしたいということで、実際に吉松さんと話をするうちに、田畑が100メートル角だから、100メートル先の動物をセンシングする必要があるのだという状況が理解できました。それで、YCAMのテクニカルスタッフやファブラボ北加賀屋が吉松さんと実現に向けた話をすることになるのですが、あるときヴェンザが吉松さんと話すなかで「重要なのはセンサーをつくることではないのではないか」と投げかけたんですね。たとえば、装置をつくらなくても、田畑の周りに住む人々の生活や行動のリズムをランダムにすることで、イノシシが近寄りにくくなる。それも獣害対策のひとつではないかということです。ある解法の実現ありきではなくて、問題の根本的な部分を共有すると、ヴェンザみたいに違う解法を提案できる可能性があるんだなと思いました。


吉松さん(左)と話をするヴェンザ・クリスト(右)

阿部──1対1の対応からなにかをやることではなく、常に1対多とか、多対多を意識して、問題を投げ掛けられる、さらには共有できるような仕組みをつくるということですよね。われわれは、アートプロジェクトとして、こうした地域課題への取り組みを行なっているわけですが、それこそ解決しなければならない課題は千差万別にごまんと転がっているわけで、それに対する個別の解法自体に興味があるのではない。ひとつの糸口から見えてくる、これまで存在していなかった解法への到達経路や思考継続の共有の仕組みづくりにこそ意味があるのではないかと思うのです。実践の普遍化というか。
 そのためには、各取り組みのプロセスの可視化/共有化、延いては、そのフローのアーカイブ化による公開や方法論にどう取り組むかという話にまで発展しますね。それはファブラボの抱えている前提となる社会的意義(日本ではモノづくり工房的なとらえられ方が先行していて、シェアカルチャーの普及という社会貢献への戦略的理解が弱い)や今後の課題とも重なってくるのですが。

井高──ファブラボのネットワーク化という話とも繋がってくると思うんですけど、どうやって問題の根っこにある物語を共有していくかとか、共有しやすくするために問題を抽象化したり図式化するかということは重要だと思いました。

渡邉──ワークショップでは具体的にどんなことをしたんですか?

井高──阿東で採れる竹を使って楽器をつくるというワークショップを開催しました。このワークショップは、いわば呼び水のようなもので、出張ラボラトリーが阿東に来たという紹介で、実際にラボラトリーに触れる機会をつくるという狙いがありました。それと、もうひとつ重要な狙いがあって、これは遠隔地で制作プロセスを共有するための実験でもあります。
 プロセスの共有というのは、世界各地のファブラボでも大きな課題のひとつで、さまざまな方法が試行錯誤されていますが、たとえば、「fab table」というテーブルの真上にカメラを取り付けて、なにかをつくる際の作業の様子、手順を撮影し、撮影した映像を遠隔地のデスクの上に投影して、手順だけではない「つくり方」を共有する、という仕組みも試行錯誤されています。このワークショップの裏側でも、遠隔地での協働の可能性を検証する目的で、プロセスの記録と共有方法の実験をファブラボ北加賀屋とともに行ないました。


「竹楽器のワークショップ」の様子

渡邉──そもそもの話なんですが、なぜ今回は、ファブラボ北加賀屋と一緒にプロジェクトを展開していくことになったんですか? ファブラボ自体は、東京や神奈川、福岡、宮城などいろいろな場所にありますよね。

井高──ファブラボ北加賀屋がある大阪の北加賀屋地区(大阪市住之江区)では、おおさか創造千島財団による「KCV(北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ)構想」が行なわれていて、北加賀屋地区に点在する空き物件や空き地を利用して、アーティストやクリエイターが活動しています。そのような地区に位置するファブラボとして、付近一帯も含めた共同体とのコミュニケーションに力点が置かれている印象を受けました。今回、アジア展の会場デザインを担当しているdot architectsは、ファブラボがある「コーポ北加賀屋」の2階にオフィスがあり、展覧会の具体的な構想を練っていくなかで、自然と「コーポ北加賀屋」という場の中で生まれる連携が興味深かったです。風通しがいいというか、積極的に他領域と繋がっていこうという想いも感じました。それが大きいと思います。あとは、メンバーの津田さんが資源循環やサステナブル・デザインの研究者でもあり、ヴェンザのリサーチのことで相談させていただいて、一緒にやることになったという感じです。

渡邉──ヴェンザの公開ミーティングでは、どのようなことをテーマに、どのような議論があったのでしょうか?

井高──大きな前提としては、森林資源の問題についてですね。展覧会に先駆けて行なったヴェンザのフィールドワークでは、最終的に竹が題材として選ばれたのですが、もともとは森林資源全般の問題をどういうふうに考えていくのかという意識が根底にありました。

阿部──それを単純化してしまうと、行政的な現実対応の一面性だけが見えてきてしまうんだけれど、そうではなくもっと社会学的、生態学的、さらには人類学的、考古学的な視点だったりという、さまざまな切り口からの提案を連鎖させていくということが重要な意味を持っていると思います。日本は、森林の国なので、これはある程度どの地域でも通用する問題意識だと言っていいはずです。


公開ミーティングの様子

井高──その公開ミーティングではヴェンザが、インドネシアの森林がものすごい速度で伐採され、わずか数年後に資源がなくなろうとしている状況を、政治的な混乱をひとつの要因として紹介しました。そして、こうした問題に対して、インドネシアの若い世代が、どういうアクションを起こしているかという事例を紹介してくれました。
 ようするにそうした問題の背景のひとつには、世界的な経済効率優先社会があり、ひとつの地域だけの問題ではなく、国境を越えた関係性を持っている、そのなかには当然日本も含まれているということです。インドネシアの森林で伐採された木の多くは木材として日本に輸出されている。その反面、インドネシアや南米から安い木材が輸入されるから、日本の中山間地域はある時代に大量植林されたまま、現在は手付かずで放置荒廃しているケースが多く、気候変動による災害や、生態系が崩れていく要因にもなっています。その中山間地域には、もちろん阿東も含まれるわけです。また、地域にはそれを真剣に問題として意識化している人々がいるということです。

阿部──東南アジアの森林伐採が、阿東の森林の放置に繋がっていると。

井高──ヴェンザは、阿東という山口の中山間地域に潜り、掘り下げていきましたが、結局はローカルに潜れば潜るほど、アジア諸国の社会状況に繋がっていくことを示してくれました。阿東もアジアの一角なのだと。参加者には竹材業に従事されていた方がいたこともあって、山間部の資源というキーワードから火がついたように激論が飛び交うようになって、一方的な啓蒙とは異なるかたちの情報交換が行なわれました。

渡邉──そこでは具体的な解決策が出たりするのでしょうか? 出るとすればどういったものでしょうか?

井高──阿東の山間部に生えているスギは、植えられてからもう70年経っているため、育ちすぎてしまって建材として使うことができないそうなんです。燃料としてしか使い道がないんじゃないかという話になりました。それを考えると、このプロジェクトで最初に私たちがリサーチした、岡山県西粟倉村で、森林資源による地域のエネルギー自給モデルについての研究と実践を行なっている井筒耕平さん(村楽エナジー株式会社代表)とも繋がってくる。井筒さんがいま西粟倉で取り組んでいる事業というのが、熱ボイラーを使って森林資源をエネルギーとして利用していくというものです。阿東には莫大な森林資源があって、その大半は眠っているわけですから、井筒さんの活動を紹介したところ、やはりすごく反響があった。
 阿東は過疎化・高齢化が進んでいる地域なので、多世代の住民が集まって話をするような場がなかなかないそうなんですよね。みんなスタンドアローンで動いている印象です。視点や立場の違いが、場を共有することであぶり出されて来たように思います。


公開ミーティングの様子

阿部──日本の森林の問題に関しては、経済効率追求を優先する大企業への糾弾というよりも、ここで重要なのは、効率化の歴史から埋没してしまっている知識です。たとえば、竹という素材にマッピングされているあらゆる領域の民間の知の体系や道具と連動する想像力というものがあって、それらと最新のバイオサイエンスやエネルギーの知見とを照合させることが可能になる共有のプラットフォームづくりが大事だということですね。それには、共時的な多領域の横断もあれば、多層な過去をつむぎあわせて現在へと連結する通時的横断もある。あるいは、それらを総合的に斜めに走査する連動もありえる。等身大で見たときに、シリアスな問題として、実践的な議論や思考を展開していく「共有のパレット」をネットワークさせ、そこから新たな概念を生み出すことに大きな意義がある。
 たとえば、この展覧会の「音のラボラトリー」で長年山口県内で作業歌を録音収集されてきた民謡リサーチャーの伊藤武さんにコレクションの一部を公開していただいているのですが、作業歌というのは、まさに集団作業のなかで生まれる無記名のオーラルヒストリーのようなものであり、労働と文化に自然との対話が混入し、反復的運動をつくり出しているという共有知のアーカイブになっているわけですよね。フーコーやアンソニー・ギデンズが主張するように、時間から空間だけが切り離されて制御拡張されていくのが近代主義化の盲点であるとすれば、それを回避して持続していた反復性がそこに眠っているのではないか──。現在のわれわれは、そこから労働にまつわる異なった展望を持つ、新たな概念を再創造することができるのかもしれません。こうした発見は、都市ではなくむしろ周辺地域からでないと生み出せないかもしれない。

井高──もともと、今年度からYCAMが創設した「地域開発ラボ」の命題として、地域の固有性や課題を発掘していくということがあったわけですが、公開ミーティングでのヴェンザは、エイリアンが自国について語ることで、ローカルな課題を浮き彫りにしていくという、思いもよらない方法で提示してくれた。これによって、議論や共有がまったく別のかたちで進められた。このあたりに今後の「地域開発ラボ」の役割や方向性があるのかなと思いました。
 それと、地域開発ラボというのは、それ自体が主体的に課題を解決したりするのではなく、むしろひとつのハブとして機能すべきではないかと思いました。さきほど、井筒さんの例がありましたが、私たちが培ってきた情報網をそこで活かしていくということです。

キュレーターズノート /relation/e_00026940.json l 10103311