キュレーターズノート
ムン・キョンウォン+YCAM「プロミス・パーク・プロジェクト[リサーチ・ショーケース]」
阿部一直(いずれも山口情報芸術センター[YCAM])/井高久美子/渡邉朋也
2015年01月15日号
対象美術館
「プロミス・パーク・プロジェクト[リサーチ・ショーケース]」とは?
渡邉──ムンのビジョンが映像インスタレーションというかたちで結晶化し、それを通じてビジョンを共有したのが2013年のフェーズだったとして、それでは2014年のフェーズ、つまりこの展覧会の役割というのはなんなのでしょうか。
井高──ムンのビジョンを引き受けて、それを押し拡げていくためのリサーチのフェーズが2014年です。そして、そのリサーチの成果を展示しているのが現在開催中の「プロミス・パーク・プロジェクト[リサーチ・ショーケース]」になります。最終的には、2015年にインスタレーションと今回のリサーチ結果も組み合わせた、総合的な作品展示を改めて開催する予定です。
阿部──近年、「ワーク・イン・プログレス」スタイルの認識やワークショップの重要性は広まりつつありますが、それでも世の中の展覧会や作品展示の多くは、最終的なアウトプットであるところの作品成果のみが展示されていて、その過程で行なわれたであろうリサーチやプロトタイピングなどは補完的なものとして、すべてブラックボックスになっている傾向が強いといえます。いま、ムン+YCAMでは、そうした部分もすべて可視化していって、表現において価値的にも方法論としても、これまで作品と言われてきたものに対して、リサーチ・プロセスを対等なレベルに引き上げようとする意図も背景にあります。「プロミス・パーク」で、直観から提示されたイメージを辿る旅を、実質的に過去/未来へと二重のパラメータを設定して?、リサーチ&ディベロップメントしていくような作業ですね。しかも、これまでのリサーチでは近代における過去を中心とする傾向がありましたが、ここでは文明史的な遡源にもパースペクティブを拡張・連結させようと試みます。
井高──このことにもムンが関係していて、さきほどお話した《News from Nowhere》がドクメンタの後に、School of the Art Institute of Chicago: SAIC(シカゴ美術館附属美術大学)に巡回して、実施されたんですね。それがまさに単純に作品展示をつくり込んで終わりというのではないものだったんです。そもそも、その会場自体がすごく特殊な施設で、シカゴ美術館付属の美術学校なんですが、キュレーターを目指している人たちと、アーティストを目指している人たちが一緒に勉強しているような学校で、展示室の前に講義室があり、教育と実践みたいなことがかなり密接に繋がっている学校なんです。そこで、ムンが展示の会期中、ワークショップやレクチャーをやりながら、学生が関わっていくことで、プロジェクトをアップデートしていったんですね。その成果とプロセスが展示に組み込まれていくようなスタイルのプロジェクトでした。
阿部──そうした方向性は、YCAMでひとつ前のタームで開催していた「地域に潜るアジア」展にもつながるものでもあるんですが、それを《プロミス・パーク》という作品のなかでもさらに掘り下げてやってみようということもあります。
渡邉──作品展示とリサーチを対等に見せることによってもたらされるメリットとはなんなのでしょうか。
井高──《News from Nowhere》の事例で言うと、元々の作品自体が、建築家の伊東豊雄やMVRDVをはじめとする世界各地のコラボレーターとのワークショップの成果の反映から成り立っていました。ですから、ドイツなりアメリカなり、作品が各地を回っていく過程で、さらにその土地の歴史や、その土地の人が持っている経験や感覚が作品のなかに反映されることになるわけです。そのことが作品にとって重要な要素といえるように思います。今回の「プロミス・パーク・プロジェクト」についても同様で、世界各地の公園や庭園史と同等に、山口というきわめて固有の土地の古代にまで遡る記憶の問題が密接に関わっている。今回、山口で庭や公園をリアリスティックに調査するからこそ、そしてその結果をプレゼンテーションするからこそ、プロジェクトが広がっていく感覚がありました。もちろん、そうしたごくローカルな調査を、より普遍的な問題系のもとに位置づけるのかは新たな問いかけとなりますが。
渡邉──いまの話は、どちらかというとプロジェクト側の目線というか、アーティスト側の目線だと思うんですが、アートセンターの側から見たメリットはどうでしょうか。
阿部──僕は、単体としての作品という、あるひとつの存在だけで世界を変えてしまうほどの徹底的な強度を持った象徴性や意義を否定するつもりはまったくありません。それはそれで必要だと思うんです。ただ、現状のカオス的な文化環境や教育環境を考えたときに、さまざまな立場の人たちが意見を言い合って、それによって空間や時間が生まれてくるものに対して形や場を与えることの方法論を具現化する必要性が切迫して出てきていると考えています。20世紀以降の美術制度では、作品が精緻に結晶化していく一方で、見る側は透明な存在、あるいは余白になっていった。公共文化施設はそうしたプラットフォームを維持しているだけでよいのだろうかという問題意識をボトムアップ的にアートに対して突きつけ、プラットフォームの変革というか、今日の環境に対応しうるなんらかの方法や個別の打開策をそれぞれ独自につくり出す必要性に公共文化施設は迫られていると思うのです。
自分としては、リサーチのプレゼンテーション、それらを横断するかたちで展開するワークショップや教育プログラムなどの人々の活動や営為を、展示自体に毎回形を変えて統合していくことがまず最初のトライ&エラーだと考えているんですね。むしろそうした作品生成の総体に形を与えるのは、作家だけではなしえないアートセンターの提供できる実験というか、可能性だと考えています。
渡邉──今回の展覧会では今年行なったリサーチがプレゼンテーションされているという話でしたが、端的に紹介してもらえますか。
阿部──まず今回のリサーチは四つの可能性に分類し、スキームをシミュレートする方法で行ないました。ひとつは、「公園」というキーワードに対して、新しいメディアテクノロジーを応用できないかという方向性。ふたつ目は、公園〜庭園〜庭〜それ以前の空間の関係を接続可能なものとして捉え、それを通して「地域」というものを再発見・再認識するということ、つまり、現在の近代的な都市化のなかで覆われてしまった過去を再表象できないかという可能性。三つ目は、今回「千年村プロジェクト」をこの展覧会のなかでジョイント的に紹介していますが、公園/公共空間を通じて見えてくるジオグラフィカルで超長期的なサステナブルビジョンの可能性。四つ目は、芸術史のなかで出てくる公園が、文化的にどのような遡源を持ちうるのかという可能性。これらに基づいてリサーチを行ない、その結果を映像、VR、論文、ダイアグラムなどのさまざまな自由な形態でプレゼンテーションしています。各フィールドの分析の踏み込みは相互にオーヴァーラップしていくことを期待しているのですが、とくにメディアテクノロジーの利用はそれをサポートできる力があるかもしれません。ここではそれぞれを細かく説明するとかなり長くなってしまうので、特徴的なものだけ説明していきましょう。
井高──そうですね。会場の入口付近には「St 1.0──《庭》の石から公園へ」というパートがあります。東京大学の博士過程に在籍している研究者・原瑠璃彦さんによる研究パートで、日本古来のオープンスペースについて過去の事例を遡って考えるものです。公園というのは近代化の時点で、日本だと明治維新の時に、庭園が公に開かれたことで成立したものというのがよくいわれる公園の歴史ですが、それ以前にも、開かれた場=オープン・スペースがあり、それはどのような場だったのかについて、作庭の根幹のひとつである「石を立てること」から読み解いていったパートです。いわゆる「庭園」にとどまらず、縄文時代の環状列石にまで遡り、紹介しています。
阿部──しかも、その場合の石は、ただ大きいとかだけではなくて、別のものを表象していることがあるんですね。たとえば太陽の運行を計測するための装置になっていることもあるし、道祖神のようなジオグラフィカルかつ精神界的なエリアの境界を指し示す装置になっていることもある。これがじつにサステナブルな時代を超えた指標となり得ているわけなんです。
井高──調べてみると山口にもそういった痕跡がいくつか残されているんですよね。原さんが、古来の都市空間にあったという「辻」と呼ばれる場所、これは人々が交易をし、歌垣など合コンみたいなことをやっていた場所なのだそうですが、こういう場所は開かれた空間であり、公園的な空間だったのではないかと考えて、そういう場所を山口市内でまず調査してみたんです。そうしたら、四辻(よつつじ)という名前の地域があった。しかもその近所には市(いち)という名前の地域もある。これはもしやということでさらに調べてみたところ、「建石」という謎の平べったい石がみつかったんです。展覧会では「建石」の原寸大のレプリカを展示しています。
阿部──それで、こういった石が市内の他の地域にもあるのではないかということで、石巡り発見の旅が始まったわけです。すると、結構な数の石やその痕跡が出てきた。それで、「建石」を中心に、その位置を古い神社や烽火の符丁となっていた山の頂の場所とともに地図上にマッピングしてみたところ、山口市の沿岸部から山間部を貫く一直線上に配置されていたことが、仮定的ですがわかってきたわけです。これは市史編纂室も知らなかった新しい発見のようです。室町時代に、現在の山口市の都市構造の基礎を敷設したといわれる大内氏が、画家の雪舟に依頼して、現在「雪舟庭」と呼ばれている庭園を造営させ、それを含んだ重要な菩提寺を設営しているのですが、そのなかの大きな二つの事例──常永寺と常徳寺──がこのライン上に置かれているのです。これは不思議な偶然です。
井高──こうした石の配置をより直感的に理解してもらえるよう、地図だけでなく、全方位カメラとヘッドマウントディスプレイを使って、石がある場所の周辺の様子、石からどういった風景が見えるのかといったものを仮想的に体験できる装置を制作し、会場に展示しています。さらにそれぞれのポイントから次のポイントへVR上でワープすることができるシステムを取り入れ、VRならではのスペース・トリップができるように工夫してあります。
阿部──市内の石のリサーチは展覧会全体のなかでは氷山の一角ですが、このようなかたちで展覧会前に行なったリサーチを紹介する一方で、この展覧会を通じてリサーチを行なうパートもあります。そのひとつが「千年村プロジェクト」のパートです。このプロジェクトは、その名の通り1000年以上の経過を超えてその土地固有の地勢が維持され、人間のコミュニティと関係を持ちながら営まれ続けている地域を、日本中からピックアップしてアーカイブ調査するプロジェクトで、早稲田大学、千葉大学、京都工芸繊維大学などの多くの研究者たちが参加する学術研究です。今年の2月にもこのプロジェクトのフィールドワークを山口市内で実施する予定です。
井高──千年村プロジェクトでは、調査結果を病院の診断結果のように「あなたの集落には、こういう機能があって、千年続いているのは、こんな理由があるんですよ」と地元の方々にお伝えしているそうなんです。それを山口市内における千年村の候補地のひとつである鋳銭司(すせんじ)でやってもらおうと思っています。鋳銭司は、建石のある陶地区に隣接し、先ほどご紹介した四辻を含む地域です。かつて銅山が存在し、平安時代に和同開珎などの貨幣を製造していた鋳造所があった地域でもあります。
阿部──各地域の人たちのあいだで古くから伝わる知識や経験を、相対的な知の体系のなかで捉えたときに、どれだけの価値があるのか、それを「千年村プロジェクト」を通じてリテラルで明確な認識として公開、パブリックドメイン化しつつ、地域に返すということになれば良いと思っています。「千年村プロジェクト」の発端は、やはり東日本大震災に大きなモチーフを見出しており、あの規模の津波は1000年に1回であったことがわかってきたうえで、それを乗り越えてきた地勢とコミュニティの関係を記憶していこうということと、近年、経済的効率性から過去の地名が合併などでどんどん消滅していっており、その土地の記憶を名前から辿れなくなるという事態も重要なモチーフになっているといえますね。
渡邉──2013年に始まった「プロミス・パーク・プロジェクト」が、これまでのリサーチを経て、今年はいよいよ総合的、総括的な展覧会になるわけですが、どういった展覧会になるのでしょうか。
阿部──基本的には、インスタレーションとリサーチのプレゼンテーション、そして公園史/庭園史に関するレクチャーシリーズなどで構成されることになると思います。日本の公園と韓国の公園の比較や関係性の抽出にまず取り組むほか、世界のほかの地域の公園と記憶に関する事例のサンプリングですね。今回、ニューヨーク〜マンハッタンのセントラルパークとロバート・スミッソンの分析事例のパートを上げましたが、ポール・オトレとル・コルビュジエの計画したムンダネウム・プロジェクトなども含まれるかもしれません。また、ミシェル・フーコーが、「ヘテロトピア」という短いテキストで言及しているのですが、アラビアの絨毯は庭園を表象していたというんですね。それはポータブルなもので移動する庭園であると、しかもそのイメージこそがユートピアにつながるものだという見解になっている。ワイルドな自然とナチュラルなパターン、それに対応/対抗する人工的かつデジタライズされたパターンの相関性・循環性なども構想の視野に入ってくるかと思います。いずれにせよ、公園〜庭園、ディストピア〜ユートピアの歴史をベースに、多様なパラメータを設定したリサーチとそれら分析個々の相互関係をメディアテクノロジーで接続させ、集合知とも関係づけていくようなインスタレーションとアーカイブを期待してもらえばいいかなと思います。