キュレーターズノート

京都市立芸術大学作品展/「FIX」展/京都オープンスタジオ:4つのアトリエ

中井康之(国立国際美術館)

2009年03月15日号

 最初に取り上げたいのは川上雅史《二枚組赤盤・青盤(怒る女・泣く女)》である。彼の作品は初見ではない。以前、京都市芸大の学内ギャラリーでグループ 展を開催していた際にも注目すべき作品を発表していた。確か、ピカソのキュビスム期の作品やF・ベーコンの作品を題材に、写真を素材として再構成したよう な作品で、その際に私は彼に対して、それらの引用が直接的に過ぎるような苦言を呈したかもしれない。しかし、その真意は、彼の作品が毒を含んだ不思議な雰 囲気を持っていることに圧倒されて言葉を重ねた面もあった。加えて、広島の大和プレス・ヴューイングルームでの展覧会で出品された川上の作品に対して、同 展図録に寄稿した拙文のなかで、前後の論旨の関係でネガティヴに触れたのである。以上のような経緯から、彼は私が彼の作品を評価していないと考えているか もしれないが、そうではなくまったく逆で、批評する論点を導き出してくれる作家として注目しているのである。実際、今回の作品《青盤・赤盤》は、その作品 を生み出した源泉を容易に見いだせないのであるが、しかしながら非対称なその図像と色彩は我が国の伝統的造形芸術を類推させるものであり、またさらには、 その用いられた画像に不吉な死と再生を見ることができるのである。表面的なパスティッシュ的表現を突き抜けて川上独自の表現へと変化を遂げていることを感 じた。

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川上雅史《二枚組赤盤・青盤(怒る女・泣く女)》

  同じコーナーに展示されていた福島春香、佐々木憲介、八木太郎の作品もとても興味深く鑑賞した。福島の作品は、日常的な光景を優れた感受性によって普遍 的な絵画空間へと変換していたように見えた。しかしながら、そのように見えるのは、彼女のタイトルから起因するものであり、制作過程はまったく逆に、優れ て感覚的に純粋な絵画空間を構築し、その絵画に示された図像のようなものから類推される日常的な光景を題名に導き出しているとも考えられるだろう。
 佐々木の作品は、じつはTARO NASU GALLERYで見る機会はあった。この作品を一点だけ見ることで彼の作品と直ぐに認識できたわけではないが、逆に一点だけ見ても、そのテーマの扱われ方 の正しさや、絵の具の用いられ方などに、一定水準にあることを伺わせるものだった。
 八木は、佐々木が具象的な図像を用いる新しい世代の絵画の水準を見せていると考えるならば、純粋形象による作品を用意する新しい世代なのだろう。その作 品を素描すると、ハードエッジな図像と地から図に往還するブラッシュ・ストロークの表現、というこの種のほとんどどの作品に対して用いる表現に終始してし まうのだが、それでも八木の描いていた作品には、いまだ見たことのない世界を、一瞬でも垣間見させるものなのである。
 おそらく彼らはよい意味で影響圏内にありながら制作を重ねているのだろう。それぞれが、言語化できない、作品だけが持ちうるある普遍的な言語によって活発に応酬を重ねながら、それぞれが問題意識を高めているのではないだろうか。

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福島春香《Breakfast (bread)》

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左:佐々木憲介、右:八木太郎

 

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