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林 十江《鰻図》本質をとらえた“うぶな筆”──「藤 和博」

影山幸一

2014年12月15日号

【鰻図の見方】

(1)タイトル

鰻図(うなぎず)。英名:Eels。双鰻図(そうまんず)と呼ぶ場合もある。

(2)モチーフ

二匹の鰻。全長1メートルほどの鰻に着眼した珍しいモチーフ。

(3)サイズ

縦126.6×横40.0cm。

(4)構図

真上から見下ろした斬新な視点で、交差して泳いでいる二匹の鰻を縦長の画面に表わした。一匹の鰻はフレームアウトしているが、躍動感が出て画面に大きさをもたらしている。

(5)色

黒、灰色。

(6)画材

紙本墨画、掛幅。紙は漉いた和紙に絹布(けんぷ)を型押しした絹目紙(きぬめがみ)かもしれない。

(7)技法

量感、質感、動き、光、水と奔放自在に表わす水墨画の技法。特に輪郭線を用いずに描く付立てや側筆(そくひつ)を使い、素早く描いている。上を泳ぐ鰻の背中と腹は別の筆致。これらの筆使いのなかに、円山四条派の影響が見受けられる。

(8)落款

画面右側中央に濃墨で「十江」の署名と「成文主人私印」の白文方印。モチーフや構図に合わせて“十江”の書体を変えており、もう一匹の鰻にも見える。また自信作には“十江”と入れているように思える。「成文主人私印」は意味不明であり、《鰻図》のみに見られる判というのもいまだ謎である。

(9)制作年

江戸時代・19世紀前半。年記がないため制作年の詳細は不明。

(10)鑑賞のポイント

二匹のS字形鰻が、泥を巻き上げながらぬらりと水に泳ぐ一瞬をとらえた。いかにも一筆で描いたかのように見えるが、数筆により細長い鰻の形状と質感までをも表わした十江の自在で幻妙な表現である。「十江真逸」の白文方印が押された《双鰻図》(個人蔵, 112.3×40.9cm)が、同画題同構図としてあるのも特徴(2作品図参照)。型にはまらない自我の解放と個性の強調表現は、当時の日本には類例がなく、孤絶した画家と言われている。国指定文化財の候補ともなった、十江の代表作のひとつである。


左:林 十江《鰻図》(東京国立博物館蔵)
[出典:ColBase
右:林 十江《双鰻図》(個人蔵)
無許可転載・転用を禁止

南画家の近代性

 十江は、強い好奇心に、屈折した性格とユーモアの精神を併せ持っていた。筆や指先、爪、こよりなどを使った速筆描法で、思いも寄らぬ画題を取り上げ、伝統的な制約から離れた自由な表現を形成した。多くの作品に年記はなく、一回性も強いため作風の変遷が定め難いという特徴がある。かつて横山大観、下村観山(1873-1930)、菱田春草が水戸で一緒に《松下吹笛図》を見て、十江の名前を知らずに声もなく作品に見入っていたという。
 儒学者立原翠軒によって発掘された画人十江の研究は、風俗史家で美術評論家の齋藤隆三(1875-1961)、戦後は美術史家の小川知二(1943-)、前板橋区立美術館館長の安村敏信(1953-)、そして藤氏へと受け継がれた。
 「十江は、どこから鰻を見ていたのだろうか。JR水戸駅から徒歩15分ほどの千波(せんば)湖は、江戸時代には現在の約3.8倍の大きさがあって、十江の生誕地からも近かった。鰻、蜻蛉、がまがえるを描いた十江の環境に水辺の風景があり、十江は一日中千波湖の橋の欄干にもたれて、底から這い上がってくる鰻を覗き込むように待っていたのかもしれない。また“私”を表に出している南画★1家は十江と渡辺崋山以外知らない。南画家である十江に近代性を感じる」と藤氏は言う。
 見る者を驚かせる十江の画風と似た画家としては長沢芦雪が挙げられる。円山応挙門下であった芦雪には円山四条派をはじめとする京都画壇が存在し、見る者を意識しながら制作する日々であったはずだ。一方十江は、水戸画壇はあったとしても、あらゆる枠内に納まらない自由さを求めた表現だった。
 美術史家の吉沢忠(ちゅう, 1909-1988)は「十江の画は、あたかも揚州八怪(ようしゅうはっかい)★2を思わせるような逸脱の趣があり、江戸時代の絵画としては、常軌をこえためずらしいものである」(吉沢忠『原色日本の美術 第18巻 南画と写生画』p.208)と記しており、歴史館にも勤務していた小川知二は、「あまり約束事にとらわれない「うぶ(初)」な表現の魅力であろうか。この場合「うぶ」というのは、十江の作品には個性的な表現が多く、他の絵画様式からの影響がほとんどみられないという意味であり、更にまた三十七歳の短い生涯の中での作画活動も、その都度ごとの一回性的な表現傾向が強いという二重の意味に解することができる」(小川知二『風狂野郎 林十江』図録p.93)と十江作品について述べている。

★1──南宗画を略した南画とは、中国の山水画を南宗画と北宗画の様式に分類したひとつで、北宗画は山の荒々しい皴法(しゅんぽう)を、南宗画は丸みのある山や柔らかな皴法を特色とする。
★2──中国、清の乾隆(けんりゅう)年間(1736-1795)に揚州に集まった八人の個性派画家の総称。金農(きんのう)・黄慎(こうしん)・李鱓(りぜん)・汪士慎(おうししん)・高翔(こうしょう)・鄭燮(ていしょう)・李方膺(りほうよう)・羅聘(らへい)。

奇才と水戸っぽ

 藤氏は、十江の奇才ぶりを窺わせるエピソードのひとつを紹介してくれた。「茨城県那珂市額田(ぬかだ)に棚倉街道の宿場町・額田宿がある。そこの泉屋という旅籠の衝立に、十江が虎の絵を描いたという伝説が残っている。一宿一飯の礼に絵を制作することにしていた十江だが、毎日酒ばかり飲んでいてなかなか絵を描かない。宿主はしびれを切らしながらも、画想の熟すのを待った。ある日、出来上がったという声。行ってみると衝立に一匹の大虎が描かれ『林長羽酔毫(ごう)』と署名がしてあった。しかし虎の瞳が描かれていない。主人が指摘すると、目玉を入れると虎は逃げ出してしまう、と十江は言葉を残して悠々と立ち去った。以来この虎の絵が評判となって店は繁盛したという」。早世した十江は奇才と言われることが多いが、山水人物画のような落ち着いた作品もあり、奇才という言葉に惑わされないように、一つひとつ十江作品と向き合うと、十江の奥深さを味わうことができると付け加えた。
 水戸で生まれた人の気質を指す“水戸っぽ”という言葉があり、“水戸の三ぽい”と呼ばれるそうだ。怒りっぽい・理屈っぽい・骨っぽいだ。「十江の住まいは町人の町なので、紙や版本、画譜や画手本類の流通もあったと思う。しかしこの水戸の町人の文化や歴史、その動向はほとんど研究されていない。十江作品の受け手側はどうしていたのか、受容層の研究もこれからの課題となっている。十江を受容する水戸人側の絵を見る環境が整っていなかったために、十江は表現の修錬が難しかったが、却ってよりてらいのない自然な表現になったとも言える。様式として洗練されてはいないが、素人のそれとは違い、また伝統の型を習熟した絵師とも違う十江独自の絵画世界を築いた」と藤氏は語った。

藤 和博(ふじ・かずひろ)

茨城県立歴史館史料学芸部学芸課首席研究員。1965年茨城県水戸市生まれ。1988年中央大学文学部史学科西洋史学専攻卒業。1990年茨城県立八郷高校教諭、1998年同県立日立第二高校教諭、2003年同県立水戸第三高校教諭、2008年茨城県立歴史館学芸課研究員を経て現職。専門:西洋史、対外交渉史。主な展覧会企画:「屏風絵の魅力展」(2008)、「狩野派の絵画展」(一橋徳川家記念室, 2009)、「特別展 立原杏所とその師友展」(2010)、「雛と人形展」(一橋徳川家記念室, 2010)、「仏教美術展」(2011)、「絵巻展」(一橋徳川家記念室, 2011)、「新たな国民のたから展」(2012)、「翠軒・杏所・春沙展」(2013)、「特別展 近世水戸の画人」(2014)など。

林 十江(はやし・じっこう)

江戸後期の南画家。1777-1813(安永6〜文化10)年。水戸の酒造業升屋の当主高野惣兵衛之茂の長男、のちに醤油醸造伊勢屋で伯父の林枝茂(父の実兄)の養子となる。名は長羽、字は子翼、雲夫、通称は長次郎。水戸藩の儒学者で彰考館総裁の立原翠軒に絵の才能を見い出され、その子杏所に絵を教えた。林家の家業を継ぎ、町名主の役割を担うが、絵を描き続け、俳諧や篆刻など、学芸の才を広げた。家産を傾け、江戸へ移った翠軒や杏所を追うように江戸へ出たが、病気になり水戸に戻る。37歳没。天才的な技量と省略された筆致で、人の意表を衝く作品を自由奔放に生き生きと描いた。関東南画史上独自の地位を占め、大胆な動物画や夢に遊ぶ山水画を残す。主な作品:《鰻図》《蜻蛉図》《蝦蟇図》《木の葉天狗図》《松下吹笛図》《蓬莱山図(山水図)》など。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:鰻図。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:林 十江, 江戸時代・19世紀前半, 紙本墨画, 一幅, 縦126.6×横40.0cm, 東京国立博物館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:東京国立博物館, (株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 15.1MB(1,000dpi, 8bit, RGB)。資源識別子:林十江《鰻図》画像番号C0021712, TIFF 56.9MB, 1,000dpi。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:東京国立博物館, (株)DNPアートコミュニケーションズ。






【画像製作レポート】

 《鰻図》は、東京国立博物館が所蔵。作品のデジタル画像を販売している(株)DNPアートコミュニケーションズのホームページから注文することができる。担当者へメールをし、後日送られてきたURLから作品画像をダウンロード。TIFF 56.9MB(カラーガイド・グレースケール付)の画像ファイルを入手。
 iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像の調整作業に入る。モニター表示のカラーガイドと作品の画像に写っているカラーガイド・グレースケールを参考にして、画集などの印刷物を参照しながら、目視により色を調整後、画面を0.1度反時計周りに回転させて、縁に合わせて切り取る。モニター表示のカラーガイド(Kodak Color Separation Guide and Gray Scale Q-13)は事前にスキャニング(brother MyMiO MFC-620CLN, 8bit, 600dpi)。Photoshop形式:15.1MB(1,000dpi, 8bit, RGB)に保存。セキュリティーを考慮し、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
 ここでの画像制作は、作品の色調整と画面の切り抜きを行なった。作品画像の付着物をフォトショップで消したり、色を塗ったりすることはしていない。実物を最も近くで見ている作品所有者が提供する画像は、完全ではないにせよ真正性が保証されるとして、ミュージアムが提供している画像をそのまま表示するよう努めている。
※《鰻図》の画像は、東京国立博物館の所蔵作品掲載期間終了のため削除し、ColBaseの画像をもとに作製、2024年10月31日に差し替えました。そのため画像の拡大はできません。



参考文献

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ハリー・パッカード「日本美術の盲点」『芸術新潮』第17巻第3号, pp.23-26, 1966.3.1, 新潮社
吉沢忠・山川武『原色日本の美術 第18巻 南画と写生画』1969.2.20, 小学館
吉沢忠『日本南画論攷』1977.8.10, 講談社
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牧大介「林十江小伝」『林十江 復刻』pp.79-86, 1978.11.30, 新いばらきタイムス社
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『藝文風土記』1988.2.1, 常陽藝文センター
図録『江戸文化シリーズ第8回展 風狂野郎 林十江』1988.4.9, 板橋区立美術館
宮島新一「特集・民芸再発見火の物 林十江と、この十年」『アート』No.124(Autumn), 1988.9.26, マリア書房
安村敏信「十江三滴」『古美術』No.88, pp.136-141, 1988.10.10, 三彩社
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図録『特別陳列「林十江に捧ぐ」展』1997, 水戸市立博物館
小川知二「林十江の造形意識─「蝦蟇図」再考」『東京学芸大学紀要』第2部門人文科学, No.49, pp.143-156, 1998.2.28, 東京学芸大学
図録『特別展 水戸の南画─林十江・立原杏所とその周辺』1998.10.7, 茨城県歴史館
島尾新監修『すぐわかる水墨画の見方』2005.2.1, 東京美術
島尾新「鑑賞の勘どころ(一)─水墨画」『国華清話会会報』第8号, pp.10-12, 2006.11.15, 國華社
河野元昭監修「谷文晁と水戸の南画」『別冊 太陽 日本のこころ150 江戸絵画入門 驚くべき奇才たちの時代』No.150, pp.84-85, 2007.12.20, 平凡社
小林富雄『林十江の生涯 画仙人 世の中の人には似ざりけり』2009.3, 小林富雄
後藤道雄「22 林十江」『水戸の先人たち』pp.86-89, 2010.3.31, 水戸市教育委員会
金子一夫「近代日本画の構図決定格子(八)──江戸期絵画概観、南画、林十江」『一寸』第42号, pp.31-35, 2010.6.10, 学藝書院
安村敏信『江戸絵画の非常識──近世絵画の定説をくつがえす 日本文化 私の最新講義01』2013.3.23, 敬文舎
図録「特別展 近世水戸の画人──奇才・十江と粋人・遷喬」2014.10.11, 茨城県立歴史館
Webサイト:「特別展「近世水戸の画人──奇才・十江と粋人・遷喬」」『茨城県歴史館』2014.10(http://www.rekishikan-ibk.jp/wp-content/uploads/2014/10/f470c4c7ccfba421a4e64592b93adecd.pdf)茨城県歴史館, 2014.10.31
Webサイト:「名品ギャラリー 鰻図(うなぎず)」『東京国立博物館』
http://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=A12100)東京国立博物館, 2014.10.31


主な日本の画家年表
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2014年12月

  • 林 十江《鰻図》本質をとらえた“うぶな筆”──「藤 和博」