アート・アーカイブ探求
[特別編:比較して見る]コロナ退散せよ! 葛飾北斎×しりあがり寿
影山幸一(ア-トプランナー、デジタルアーカイブ研究)
2020年05月15日号
対比と調和による継承
今5月号(2020)は、特別編として「絵画の見方:比較して見る」を試みたいと思う。毎月、一点の名画を採り上げ、作品の見方を専門家へインタビューし、絵画を見る目を追求する「アート・アーカイブ探求 絵画の見方」を連載してきたが、コロナ感染が収束しない渦中にあって、対面してのインタビューを自粛した“絵画の見方の変容版”である。
ピカソ(2018.6)からモンドリアン(2020.4)まで23点の作品を探求している[世界編]は現在進行中。これまで[日本編]として奈良時代から現代まで1260年余の時を横断し、日本全国の画家の120作品を採り上げてきた。それらが発するのは、古典は時代の変化にも淘汰されない生命力と、新たなクリエイションの源泉にもなり、現代美術は古典にも成り得る可能性を秘めているというメッセージだった。
古典と現代の作品を対比して見せる展覧会は多くないが、国立新美術館で開催を待つ「古典×現代2020──時空を超える日本のアート」展は、古典と現代の作品を並べて展示したユニークな展覧会になっている(国立新美術館は臨時休館中。開幕日は国立新美術館および展覧会HPでご確認ください)。開催に先立ってプレス内覧会が3月24日にあった。緊急事態宣言が発令される前とはいえ、コロナ感染の事態が深刻の度を増すなか、多くの関係者が集まっていた。
仙厓や円空、葛飾北斎、尾形乾山、曾我蕭白ら古典の名品と、現代作家(鴻池朋子、菅木志雄、川内倫子、棚田康司、田根剛、しりあがり寿、皆川明、横尾忠則)の作品を組み合わせ、仙厓の《円相図》一幅と菅木志雄のインスタレーションに始まる八つの展示室は、それぞれ古典と現代の作品の対比と調和によって、個性的な創造空間が生まれている。古典作品に敬意をもって解釈した現代作家たちが、古典を継承し、独自の作品展開に挑んでいた。
パロディの免疫力
「古典×現代2020」展で江戸後期の浮世絵師、葛飾北斎(1760-1849)と漫画家しりあがり寿(1958-)の展示室に入ると、すぐにオレンジ色のプリントが一枚ふわっとスタッフの女性から手渡された。半分に折ろうと思ったが、手書きしたような「コロナ退散」パロディ化したしりあがりの作品「ちょっと可笑しなほぼ三十六景」(全48点)が横一列に展示してあった。風景版画とCG作品を比較しながら移動していくことになる。北斎に集中し、しりあがり作品を見て「ふふっ」と頬が緩む。北斎としりあがり作品の類似点や相違点を見ながら浮かんでくるパロディの笑いは、ストレスを発散させ、免疫力も高めてくれるようだ。
の文字が目に入り、ファイルに挟んで持ち帰った。展示室では北斎の浮世絵版画「冨嶽三十六景」(全46点)と、それらを葛飾北斎は、狩野派、琳派、雪舟派や中国画、西洋画まで和漢洋の画風を吸収しながら、30数回雅号を変えて自己改造し、進化しては独自の様式を展開。50歳を過ぎた戴斗(たいと)期には絵手本のひとつとして森羅万象から神仏、妖怪なども加え『北斎漫画』を描いた。熟達した技量の元祖漫画家は、思いつくまま「漫(そぞ)ろに、画(えが)」いた。そして没後170年の時を超えて北斎の系譜にしりあがりが連なったのだ。しりあがりは、古典からインスピレーションを得てクリエイションしている。もう少し命が永らえればもっといい真正な絵師になれると90歳で没した北斎が、しりあがりの絵を見に現われるような気持になった。
テーマや対象など共通点のある二点の作品を並べて見てみると、そのわずかな差異が明らかになり、違いを発見することができる。特に描かれた図像が同じ絵画は、比較により理解が深まる。「差異を様式として認識するためには、自己の趣味や価値観を括弧に入れて、違う文化を独自の存在として認める歴史的意識とそれを支える寛容の精神が不可欠である」(佐々木健一『美学辞典』p.131)と、美学者の佐々木健一は創造の所産としての様式を知覚する重要性を指摘している。絵画の差異を発見し、視覚芸術の様式を認識する方法として比較は有効である。
リアルを捉える
19世紀後半のフランスでは、日本文化からヒントを得た新しい創造活動を意味するジャポニスムが流行し、印象派の画家などにも大きな影響を与えた。そうしたムーブメントのなかで繰り返し語られてきた絵師が葛飾北斎であった。日本をイメージさせるもっとも有名な絵と思われる葛飾北斎の代表作《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》(以下、《神奈川沖浪裏》) と、かけがえのない地球の美しさが目に焼きつくしりあがり寿の《ちょっと可笑しなほぼ三十六景 太陽から見た地球》(以下、《太陽から見た地球》) を見てみよう。
《神奈川沖浪裏》は、力強く立ち上がる大波と、遠くには霊山富士が船を見守っている。動と静、近と遠の鮮明な対比によって雄大な景色を表現。江戸へ鮮魚を運ぶ押送船(おしおくりぶね)三艘が、水しぶきをあげる大波と富士山型の波の間をチューブ・ライディングのようにくぐり抜けて進む。「神奈川沖」とは、東海道の宿場町・神奈川(横浜市神奈川区)の沖合、「浪裏」は波の裏を意味する。北斎72歳頃の為一(いいつ)期の作で、版元は永寿堂西村屋与八である。
一方、北斎を敬愛するしりあがりは、《神奈川沖浪裏》からインスピレーションを得て、《太陽から見た地球》を創作した。“波”を太陽の表面で起こる爆発“太陽フレア”に、“富士山”を“地球”に描き替え、宇宙の太陽系に生きる生物を連想させる構図とし、画狂人・北斎のダイナミズムに挑んだ。拡大表示すると地球の上にかすかに富士山の輪郭線を見出すことができる。脱臼したような驚きと笑いのなかにリアルが登場する。これがしりあがり美学なのかもしれない。
日本美術史家で日本・東洋古美術研究誌『國華』主幹の小林忠は「太陽のコロナの真っ赤な炎を『神奈川沖浪裏』の大浪に見立て、霊峰富士山を小さな青い地球に変えた図容には思わずぞっとさせられた。灼熱の炎に焼かれてしまうような、地球の滅びの未来が遠く予見されるようだからである」(小林忠「古典×現代2020」図録p.9)と、地球への警告と捉えた。表面温度6,000度という太陽から見た奇想天外な風景画である。現代のリアルを捉えたしりあがりのセンスに感心させられた。
A4の護符
《コロナ退散》(2020、インクジェットプリント、A4)すみだ北斎美術館蔵) を基にして制作。北斎の鍾馗 に比べ全体に赤味が増し、鍾馗像をにじませ、北斎の掛け軸から、身近なA4サイズの護符となった。コロナウイルスが鍾馗様に踏みつけられている 。また猫のしっぽのようなにょろりとした「コロナ退散」の文字もしりあがり作品の味わいだ 。
は、しりあがり寿が新型コロナウイルスの収束を願いグラフィックソフトで創作した新作であった。葛飾北斎の《朱描鍾馗図(しゅがきしょうきず)》(1846[弘化3]、絹本一幅、北斎の《朱描鍾馗図》は、画狂老人卍(まんじ)期にあたる数え年87歳に描かれた肉筆画
で、鍾馗の目や口、髪などに墨を用いて、濃密な隈取り、繊細な毛描きが施され、中国画の学習や武者絵の制作経験が発揮されている。有名な絵描きさんに描いてもらえば描いてもらうほど子供を守れるという親心に応えた護符である。比較鑑賞の思わぬ展開
しりあがり寿は3歳の頃、両親の読んでいた「鉄腕アトム」「火の鳥」「ブラック・ジャック」などの手塚治虫(1928-1989)の漫画に憧れ、漫画家になったという。現在、新聞の夕刊紙面に日々四コマ漫画「地球防衛家のヒトビト」を描き続けている。2017年に東京・すみだ北斎美術館から「北斎で何か面白いものをつくらないか」と声が掛かり、しりあがりは昔から好きだったパロディで作品をつくろうと思ったそうだ。翌年には展覧会「ちょっと可笑しな ほぼ三十六景 しりあがり寿 北斎と戯れる」(2018.1.27-2.4)が開催され、このとき初めて《太陽から見た地球》が美術館で公開された。
東京のJR両国駅から徒歩10分ほどにある近未来的な外観のすみだ北斎美術館は、建築家・妹島和世(1956-)の設計であり、2016年墨田区亀沢に開館した。江戸本所割下水(現墨田区北斎通り辺り)に生まれた北斎ゆかりの地である。北斎の作品を収集し、北斎の一大コレクターであるピーター・モース(1935-93)と、浮世絵研究者の楢﨑宗重(1904-2001)のコレクションを所蔵する。《神奈川沖浪裏》と《朱描鍾馗図》も美術館の所蔵品である。
しりあがりの作品《太陽から見た地球》と《コロナ退散》を並べてみると、コロナウイルスを踏みつけてくれた鍾馗様が、地球の様子を八方睨みで見ているように感じる。「コロナ退散」には「コロナ絶滅」ではなく、「コロナ共存」を前提とした意図があるのだろう。地球の環境を宇宙から俯瞰する鍾馗様の眼差しは、地球防衛家のように優しくも心に刺さる。
美術館の所蔵品をデジタルアーカイブとして公開しているところが増え、実物では難しかった比較鑑賞が容易になってきつつある今日この頃。いわば、比較鑑賞時代がやってきたともいえる。ステイホームはまだしばらくは続きそうである。絵画のデジタル画像を比較してみると、鑑賞の間口が広がり新しい見方や思わぬ視覚芸術の世界が待っているかもしれない。
協力:すみだ北斎美術館
☆しりあがり寿作《コロナ退散》(2020、A4、PDF)をプリントアウトしてご活用ください。
ダウンロードはこちら。
しりあがり寿(しりあがり・ことぶき)
葛飾北斎(かつしか・ほくさい)
デジタル画像のメタデータ
参考文献