アート・アーカイブ探求

[特別編2:絵の中の絵を見る]画中画の超越性──
ダーフィット・テニールス(子)《ブリュッセルのギャラリーにおけるレオポルト・ウィレム大公》

影山幸一(ア-トプランナー、デジタルアーカイブ研究)

2020年06月15日号

※《ブリュッセルのギャラリーにおけるレオポルト・ウィレム大公》の画像は2020年6月から1年間掲載しておりましたが、掲載期間終了のため削除しました。


絵の何を見ているのか

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が猛スピードで世界中に拡散した。大都市を中心に宿主となるヒトがウイルスを感染させ、世界の死者数40万人超と日常生活を壊している。気がつけばCOVID-19は2019年のいつ、中国・武漢のどこで、最初の症例が出たのか、確かな日付や具体的な場所のイメージを世界の人々と共有できる記録が見当たらない。福島の原発事故は2011年3月11日に、福島第一原子力発電所で発生したが、人類滅亡を予兆したようなコロナの発生は、始まりも場所も曖昧だ。目に見えない脅威という点では、コロナは放射性物質と同じであり、フクシマの人たちの苦悩が少しわかった気がした。

ウイルスに人間が自粛させられ無気力化していくより、積極的な自粛でウイルスを封じ込めたいと思案している。自粛生活を能動的に送る一環として、絵画を見るという行為を考えてみると、絵の何を見ているのか、絵を見るとはどういうことなのか、と改めて思う。絵を図として見ているのか、絵という物が発するエネルギーを感じているのか、あるいは絵の中に描かれた人物や風景など、内容を読み取っているのだろうか。「絵画」とは、物体の形象を平面に描き出したもの、と広辞苑にあった。そこでは平面に描かれた形象の意味は問われていない。視覚の仕組みは複雑であるが、主体的にものを見ることで眼と脳が作用し、“見る”から“感じる”、“考える”へと発展していくのだろう。

先月に続き、インタビューシリーズの変容版となる「特別編2」の今回は、「画中画」を見てみようと思う。ベルギー出身の画家ダーフィット・テニールス(1582-1649)と同じ名前の息子(1610-90)が描いた《ブリュッセルのギャラリーにおけるレオポルト・ウィレム大公》(スペイン・プラド美術館蔵。以下、《ギャラリーにおける大公》)を採り上げ、絵の中における絵の存在に注目して、絵がどのような役割や機能を果たしているのか、絵を見る意味を探求してみたい。《ギャラリーにおける大公》の中には、インテリアのようにたくさんの絵画作品が描かれているが、それらは一点一点の作者が同定できるほど克明に再現されている。画中画を通して考えることで、絵を見る意味とともに画家の制作意図や、鑑賞者の自己への反映性も見出せるかもしれない。


記録としての絵画

17世紀ネーデルラント(オランダ・ベルギー地方)では、富裕層のコレクターの様子とともに、収集された絵画を一緒に描く「画廊画」と呼ばれる絵画形態が流行していた。一枚の画布を名画で埋め尽くし、所有する絵画を管理する記録としての役割もあった。《ギャラリーにおける大公》の「画中画」には、貴族たちに好まれた繊細で洗練されたヴェネツィア派★1の作品が多く、当時の人気ぶりが伝わってくる。

山高帽をかぶった人物が、ギャラリーの持ち主でコレクターでもあるレオポルト・ウィレム大公(1614-62)だ。1646-56年までスペイン領ネーデルラント総督としてブリュッセルに滞在し、交易が盛んなこの地で約1400点の絵画を収集した。1647年、農民風俗画を描いていたアントワープ画家組合長の画家ダーフィット・テニールス(子)を、絵画の管理官として雇い、大公のギャラリーの状景を油彩画に描かせた。机の側で紙を手に持つのが宮廷画家となったテニールス自身である。テニールスは実物に忠実に画中画の図柄を描いたが、寸法は変更し、ギャラリーも絵で埋め尽くされてはいなかった。

《ギャラリーにおける大公》の画中画の多くは作者が判明している。代表的な作品を挙げると、画面の中央上部の大きな絵は、ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1506-76)と工房作の神話画《ディアナとカリスト》。神聖ローマ皇帝のマクシミリアン2世(1527-76)の死後に大公の手に渡り、その後1781年オーストリアのベルヴェデーレ宮殿が所蔵し、1891年にウィーン美術史美術館に収蔵された。そして左上にも同画家の《羊飼いとニンフ》、その一段おいて下にパオロ・ヴェロネーゼ(1528-88)の《ナインのやもめの息子の蘇生》、その下にティツィアーノの《罪を犯した女》、床にはヤン・ホッサールト(1478頃-1532)の《聖母を素描する聖ルカ》。大公の右側にはラファエロ・サンティ(1483-1520)の《聖マルガリタ》、その右手前にティツィアーノの《化粧する若い女》、その奥にピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)の大作《キリストの割礼》、右端にアンソニー・ヴァン・ダイク(1599-1641)の《イサベル・クララ・エウヘニア内親王の肖像》。右上にはティツィアーノの《ダナエ》、その下にヴェロネーゼの《東方三博士の礼拝》がある。これらの多くは現在オーストリア・ウィーン美術史美術館で見ることができる。

★1──イタリアの商業都市ヴェネツィアを中心に、ルネサンス期の15世紀後半から16世紀、および18世紀に活躍した美術の流派で、描線に関心の強い知性的な形態主義のフィレンツェ派に対して、感覚的で官能的な美を追求し色彩主義を特色とした。



【ブリュッセルのギャラリーにおけるレオポルト・ウィレム大公の見方】

(1)タイトル

ブリュッセルのギャラリーにおけるレオポルト・ウィレム大公。英題:Archduke Leopold Wilhelm in his Painting Gallery in Brussels

(2)モチーフ

レオポルト・ウィレム大公、50点ほどの絵画、4人の紳士、二匹の犬。

(3)制作年

1647-51年。テニールス40歳頃。

(4)画材

銅の薄板・油彩。

(5)サイズ

縦104.8×横130.4cm。

(6)構図

中央に黒い額縁の絵のように半開きになった扉を配置し、向かいの部屋が見通せ、遠近感をもたせている。画面全体は、天井の高い室内の構造や壁に掛けられた多数の額による水平・垂直を活かし、正面性を強調した構図である。

(7)色彩

赤、青、黄、緑、茶、白、黒、金、灰色など多色。

(8)技法

写実的な油彩。

(9)サイン

左側下の床に立て掛けられた絵の前に濃茶色で「DAVID・TENIERS・FEC」と署名。



西洋の画中画

ディエゴ・ベラスケス(1599-1660)の《ラス・メニーナス》(プラド美術館蔵)は、正面の壁に大きな2点の絵、制作中の絵の裏側と鏡、開かれた扉を描き、複雑な絵画空間をつくり上げ、作品解釈の自由度を広げた。レンブラント・ファン・レイン(1606-69)の《アトリエの画家》(ボストン美術館蔵)は、イーゼルにのせた画板の裏面を中央に大きく描き、想像力を刺激させる。ヨハネス・フェルメール(1632-75)は、青色の女性の髪飾りを描いている画家の後ろ姿を、斜光に配慮して《絵画芸術》(ウィーン美術史美術館蔵)に描いた。また、絵を中心に空想のアトリエをリアルに描いたギュスターヴ・クールベ(1819-77)の《画家のアトリエ、私の芸術的生涯の7年間にわたる一位相を確定する現実的寓意画》(オルセー美術館蔵)や、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-90)の《タンギー爺さんの肖像》(ロダン美術館蔵)は、浮世絵を背景に力強いタッチと平面性を強調した。模写したセザンヌの絵を基調に女性の肖像を描いたポール・ゴーガン(1848-1903)の《セザンヌの静物画のある女性の肖像》(シカゴ美術研究所蔵)、複数の絵で赤いアトリエの室内を飾るように整えて、絵の絵をつくったアンリ・マティス(1869-1954)の《赤色のアトリエ》(ニューヨーク近代美術館蔵)など、西洋の画中画は、近代以降アトリエの中で画家の主観に基づいて描かれ、主題やジャンルを超えて描き続けられている。


東洋の画中画

日本の画中画としては、平安時代に制作された国宝《源氏物語絵巻》(徳川美術館蔵)が早い例として知られている。平安時代の宮廷生活を描写した紫式部(生没年未詳)の長編物語『源氏物語』の要点となる場面を絵画化。絵巻の中の「柏木(二)」には、襖と屏風にやまと絵が描かれ、松やすすきの生える山野が見られる。また「東屋(一)」の襖や几帳には山水図、「宿木(一)」の襖には山岳風景、副障子(そえしょうじ)★2には水辺の鳥が装飾的に描かれている。室町後期には画中画として扇面屏風★3などがつくられたが、江戸初期の寛永年間(1624-44)に描かれた六曲一隻屏風の国宝《彦根屏風》(彦根城博物館蔵)が好例として挙げられる。作者不明であるものの、画中画に描かれた山水図の技量などから狩野派の絵師と推測されている。

日本美術史・中近世絵画史を専門とする大阪大学の奥平俊六名誉教授は、「画中画は、その本来虚構である絵のなかにさらなる虚構を仕込むことにほかならない。これが画面の空間構成の上で機能するとき、現実感を増幅させる」と述べ、《彦根屏風》は日常のなかの非日常の遊里と、画中画で実現される非日常の山里とのつながり、あるいは山里は鏡のように遊里の真実を映し出しているという。人々は現世の不安のなかで非日常の鏡を求める。「峨々たる山容、峻険な懸崖、根を張って伸び上がる樹木を描く筆線は自信に満ちており、まったく戸惑いを見せない」と《彦根屏風》の画中画を評している(奥平俊六『絵は語る10 彦根屏風』pp.96-109)。

中国に目を向けると、中国文化遺産研究院の王元林(おうげんりん)は「近年、陜西省(せんせいしょう)西安から発見された前漢時代の墓葬壁画中に、二曲屏風が描かれており、屏面全体の画題は判明しないものの、これによって画中屏風絵の源は、漢時代(紀元前206-220)に遡るということが言える」(王元林『美術史論集 第8号 2008年』p.77)と述べている。画中画の重要な作例として挙げられているのが、五代南唐時期(937-975)の人物画家である周文矩(しゅうぶんく。生没年不詳)の作と伝わる《重屏会棋図巻(ちょうへいかいきずかん)》(北京・故宮博物院蔵)である。黒枠の大きな衝立が描かれ、その衝立の画面には三曲の水墨山水屏風が透視遠近法を用いて描写されている。“絵の中の絵の中の絵”という入れ子の多重空間構成を機能させ、文人の理想的な境地を表現した。屏風の中の屏風「重屏」、ダブルスクリーンの名作と呼ばれている。


★2──壁に添える装飾用の衝立パネル。
★3──書画を描いた扇面を貼りつけた屏風。または屏風の表面に扇形を描き、中に書画を描く。


虚構のなかの真実

現実を間接的に投影するイメージであることから、絵画は鏡や窓にたとえられる場合がある。キャンバスのこちら側に空間を拡張するときには鏡を描き、キャンバスの向こう側のときには窓を描く。画中画も鏡と窓と同様にこちら側と向こう側、現実と虚構の構造を操作し、多様な効果を生じさせることができる。

西洋中世・キリスト美術史を専門とする名古屋大学の木俣元一教授は「イメージの中のイメージにおける、含むものが含まれるものに含まれ、外部と内部が入れ替わるというこの相互性にこそ、この不思議で魅力的なテーマのもっとも本質的部分が存するにちがいない」(木俣元一「自身について語るイメージ」『西洋美術研究』No.3、p.7)と言う。

また、20世紀後半のフランス美術界を代表する美術史家アンドレ・シャステル(1912-90)は「画中画というものは絵画作品を要約したものだから、描かれた現実ではなく1枚の絵画に見えるように凝縮されねばならない。そこにこそ重要なニュアンスがある。というのも、16世紀より前の絵画では、主要な場面に付随する場面[画中画など]の人物たちは、彼らが絵の中に[主要な場面として]描かれたときと区別がつかなかったのである。こうした人物たちは、主要な場面にいる人物たちとまさしく同じ程度の現実味を持たされている。完全には統一されていない空間では、現実と想像の世界との間には区別はないし、この両者とそれらの再現との間にいたってはなおさらだ」(アンドレ・シャステル著、木俣元一・三浦篤監修、画中画研究会訳「絵の中の絵」『西洋美術研究』No.3、p.15)と語っている。

画中画は、絵画と現実との関係のなかで新たな時空間をつくり、現実と創造世界をつなぐ。そして画中画は自立した絵画であることを発している。絵の中の絵を見るという新たな視座には、絵画を考える仕組みがあった。絵を見る方向だけでなく、大量の絵に囲まれた《ギャラリーにおける大公》にみるように、絵に見られる体験の大切さを再認識した。絵画のある環境が絵の見方を育てる。

二次元の平面の上に三次元の世界が広がっている絵画を見る意味は何か。画家は絵を描くことは生きることだと言う。テニールスの描き出したギャラリーの中の画中画には、いまも現存する名画がある。絵の中につくり出された虚構のなかの真実を、時を超越して見つけることができる。画中画に込められた真実に出会うことが、絵画を見る意味のひとつであろう。ポスト・コロナ時代の絵画の見方のひとつとして、画中画が加わった。




ダーフィット・テニールス(子)(David Teniers, the Younger)

フランドル(ベルギー)の画家。1610-90。アントウェルペン(アントワープ)に生まれる。同名の父に学び、1632年アントウェルペンの画家組合に登録。1637年ヤン・ブリューゲル(父)(1568-1625)の娘と結婚。1651年レオポルト・ウィレム大公に招かれ、ブリュッセルで宮廷画家および美術品管理侍従として活躍する。妻の死後、貴族出身の婦人と1656年に再婚、自らも貴族に列せられることを熱望した。美術品の収集図を描き、画廊画ともいえるひとつのジャンルを創始する。1665年アントウェルペンのアカデミー設立にも貢献した。アドリアーン・ブラウエル(1605-1638)をまねながら、静物画的な要素を加味した農民の風俗画や、風俗画ともとれる風景画、集団肖像画など、広い画域を備えていた。代表作:《ブリュッセルのギャラリーにおけるレオポルト・ウィレム大公》《奏楽する三人の農夫》など。


デジタル画像のメタデータ

タイトル:ブリュッセルのギャラリーにおけるレオポルト・ウィレム大公。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:ダーフィット・テニールス (子)《ブリュッセルのギャラリーにおけるレオポルト・ウィレム大公》1647-1651年、銅の薄板に油彩、104.8×130.4cm、スペイン・プラド美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者: プラド美術館、Bridgeman Images、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式50.2MB(762dpi、8bit、RGB)。資源識別子:BAL70762.jpg(Jpeg、50.2MB、762dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:プラド美術館、Bridgeman Images、(株)DNPアートコミュニケーションズ。作品画像の掲載期間は1年。


参考文献

・奥平俊六「彦根屏風について──〈鏡像関係〉と〈画中画〉の問題を中心に」(『美術史』30(1)、便利堂、1980、 pp.12-25)
・『新潮 世界美術辞典』(新潮社、1985)
・ホセ・アントニオ・デ・ウルビノ著、田辺徹訳『プラド美術館 Scala/Misuzu美術館シリーズ 3』(みすず書房、1990)
・エウヘーニオ・ドールス著、神吉敬三訳『プラド美術館の三時間』(美術出版社、1991)
・大高保二郎・雪山行二責任編集『NHKプラド美術館3 王室の大いなる遺産 ボッス、ティツィアーノ、ルーベンス』(日本放送出版協会、1992)
・波多野宏之『画像ドキュメンテーションの世界』(勁草書房、1993)
・奥平俊六『絵は語る10 彦根屏風──無言劇の演出』(平凡社、1996)
・『西洋美術研究』No.3、(三元社、2000)
・泉万里『光をまとう中世絵画: やまと絵屏風の美』(角川学芸出版、2007)
・天野由紀代「絵画における「間テクスト性」(その3)──画中画を読む」(『東洋学園大学紀要』第23号、東洋学園大学、2015、pp.167-183)
・Webサイト:桑名麻理「ミニ用語解説:画中画」(『三重県立美術館』友の会だよりno.40、1995.12.10)2020.6.5閲覧(https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/53321036398.htm
・Webサイト:「風俗図(彦根屏風)」(『彦根城博物館』)2020.6.5閲覧(http://hikone-castle-museum.jp/collection/331.html
・Webサイト:王元林「絵画空間に展開する二重的空間の構築について──東アジアにおける画中屏風絵を通して」(『美術史論集 第8号 2008年』神戸大学美術史研究室、pp.75-93)2020.6.5閲覧(http://www.lit.kobe-u.ac.jp/art-history/ronshu/8-5.pdf
・Webサイト:「The Archduke Leopold Wilhelm in his Painting Gallery in Brussels」(『Wikipedia』)2020.6.5閲覧(https://en.wikipedia.org/wiki/The_Archduke_Leopold_Wilhelm_in_his_Painting_Gallery_in_Brussels
・Webサイト:「El archiduque Leopoldo Guillermo en su galería de pinturas en Bruselas」(『MUSEO DEL PRADO』)2020.6.5閲覧(https://www.museodelprado.es/coleccion/obra-de-arte/el-archiduque-leopoldo-guillermo-en-su-galeria-de/461e64f1-71a3-46fb-961b-3958286a12c5?searchMeta=el%20archiduque%20leopoldo%20guillermo%20en%20su%20galeria%20de%20pinturas%20en%20bruselas



掲載画家出身地マップ
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2020年6月

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