もしもし、キュレーター?

第3回 地域のことを考えないと、美術館自体が成立しない──尺戸智佳子(黒部市美術館)×藤川悠(茅ヶ崎市美術館)

尺戸智佳子(黒部市美術館)/藤川悠(茅ヶ崎市美術館)/杉原環樹(ライター)

2021年12月01日号

「学芸員/キュレーター」という職業に対して多くの人が抱くイメージは、展覧会の企画や解説をする人、といったものかもしれません。実際はそれだけではなく、学校と連携して教育普及事業を行なったり、地域と美術館をつないだりと、外からは見えない幅広い業務に携わっているのが学芸員の日常です。
従来の「学芸員」の枠組みにとらわれず、ときに珍しい活動も展開する全国各地のキュレーターにスポットをあて、リレー対談の形式で話を聴いていく連載「もしもし、キュレーター?」。第3回目の今回は、茅ヶ崎市美術館の藤川悠さんが、いま一番対話をしてみたいキュレーターである富山県・黒部市美術館の尺戸智佳子さんを訪ねます。
企画した展覧会の関連イベントとして、地域の自然や文化を深く知るためのバスツアーやイベントを近隣の文化施設と協力して開催したりと、展示室の中だけにとどまらない鑑賞体験づくりに日々奮闘する尺戸さん。地方の美術館で現代作家を扱う意義についてや、展覧会をつくるうえでのアーティストとリサーチの関係性など、示唆深い話題が豊富な対談になりました。(artscape編集部)
[取材・構成:杉原環樹/イラスト:三好愛]

※「もしもし、キュレーター?」のバックナンバーはこちら


地域資源を開くリサーチの楽しさを、ツアーにする

──この連載では、全国各地でユニークな取り組みをされている学芸員さんをリレー形式でつないでいます。初回に登場した千葉市美術館・畑井恵さんからバトンを受け取った藤川さんが、第3回でぜひ話を聞きたいと指名したのが尺戸さんでした。

藤川悠(以下、藤川)──いま名前の挙がった3人には、学芸員の仕事として一般にイメージされやすい「展覧会企画」のほかに、「教育普及」にも力を入れているという共通点があると思います。この二つは、美術館によっては別の担当者が行なう場合もあるけど、とくに黒部市美術館や茅ヶ崎市美術館は規模が小さくて、人員も少ないから、分ける余裕なんてない……(笑)。だから私たち、展覧会企画も教育普及もごちゃまぜでしょう?

尺戸智佳子(以下、尺戸)──ごちゃまぜです(笑)。両方ともやっています。実は私、専門でもないのに教育普及をしていることに引け目もあったんですね。でも、畑井さんが記事(本連載第1回)で、本来は展覧会企画も教育普及も一体であるべきと話されていて、励まされました。

同じ北陸だと、金沢21世紀美術館さんは大きくて、各分野にスペシャリストがきちんといる印象があります。でも黒部市美では、学芸員は同僚と私の二人ぼっち。これでいいのかな、ああした方がいいのかなと、日々手探りをしています。


尺戸智佳子さん


藤川──大きい美術館ほど特化した専門領域を深めていける良さがあるけど、小さな美術館には、ひとりが担う業務の幅が広いからこそ生まれる面白さもあると思う。それで言えば、私が尺戸さんの取り組みに感じる魅力のひとつも、展覧会から広がる「+α」の部分なんですね。

黒部市美では展示に関連して、「見て!感じて!作品鑑賞ツアー」や「アート&サイエンス・ツアー」などのツアーをやられていますよね。これが魅力的で、たとえば去年の「風景と食設計室ホー」というユニットのツアーでは、美術館鑑賞のあと、富山県北方領土史料室を見学し、北洋の館でサンマ定食を食べ、生地鼻灯台にも行っています。2019年の風間サチコ展★1では黒部ダム見学、2016年の下道基行展★2では縄文土器の制作をしている。すごく面白いですよね。この試みはどのように始まったのですか?


「下道基行展─風景に耳を澄ますこと」展覧会関連イベント風景(2016)、朝日町ヒスイ海岸にて。地形や石についての解説を受けながら、土器制作用の石の採集をしているところ[撮影:柳原良平]


尺戸──ありがとうございます。まさに、下道さんからなんですよ。ご存知の通り、下道さんはプロジェクト型の作品の多い作家さんですが、黒部で関心を持たれたのが、海沿いの住民が浜辺の石を拾ってきてさまざまな用途に使う石の風景だったんです。でも、当時、黒部2年目の私にはそこに接続する知識が全然なくて……。そこで近くにある黒部市吉田科学館にその頃おられた久保貴志さんに連絡してみると、とても熱い方で、いろんな場所を周りながら石の解説をしてくれて。さらに、朝日町にある埋蔵文化財保存活用施設まいぶんKANの川端典子さんにもつないでくれ、4人で楽しいリサーチをしたんです。

そのなかで私がすごく良いなと思ったのは、アーティストが専門家の協力も得ながら土地の歴史や自然を調査して、独自の視点で表現に変換するなかで、地域の風景や資源が別の思考に開かれていくようなドキドキする瞬間があったこと。このリサーチ中の面白さを共有したいというのが、ツアーを始めるきっかけになりました。


「下道基行展─風景に耳を澄ますこと」展覧会関連イベント風景(2016)、まいぶんKANにて。土器制作中の様子[撮影:柳原良平]


「下道基行展─風景に耳を澄ますこと」展覧会関連イベント風景(2016)、黒部市内施設のキャンプファイヤー場にて。土器の野焼きをしているところ[撮影:柳原良平]


藤川──そうした自然な経緯があったんですね。でも、そこには一か八かな部分もありませんか? アートでは不確かさを楽しむ部分がありますが、科学館や資料館などの学芸員の場合、職業的に事実以外は明言しづらいこともありますよね。いかにアートの良さを担保しながら、連携しているのか、気になっていました。

尺戸──リサーチからご一緒したことが大きいと思います。だから、学芸員側にも作家の思考への理解がありましたね。あと、たしかに本業のアウトプットの方法は違うんですけど、案外、対象にドキドキしたり、ロマンを感じる部分はお互い似ていたり。そうした学芸員からすると、自分の展示ではなかなか出せない部分を、アートを通してなら出せる。理解がある学芸員さんに出会えたことが大きかったですね。


行政区分に縛られない、「ジオ」感覚によるつながり

──ツアーが、本当にアーティストの経験の辿り直しにもなっているんですね。

藤川──よく地域や他館と「連携を」とは言いますけど、取って付けたように連携してもうまく行かないですよね。

尺戸──そう思います。黒部では、いまもツアーをやるかどうかは、リサーチで面白い出会いがあったかと、作品とあわせて見ると面白い場所かどうかで、ツアーありきでは企画していないんです。下道さんのときも、あくまでも4人でのリサーチがすごく楽しかったことがベースになっています。

藤川──同時に、こうした分野もエリアもまたいだツアーは、観客の関心が地域に広く染み出していく、観光的な要素もあるのが面白いです。

尺戸──実は「見て!感じて!作品鑑賞ツアー」の方は、主に黒部市生涯学習文化スクエア「ぷらっと」(旧:黒部市立中央公民館)と連携して、生涯学習的要素で地元の方に向けて考えているものですが、先行していたアート&サイエンス・ツアーを知ってくれていた担当者から、「ジオ」(地球、大地などの意)的な要素を入れたツアーも楽しそうと相談をいただいたんです。特にご高齢の方にとっては、プチ旅行的な楽しみにもなっているそうで、黒部ダムと組み合わせたときは予約が殺到しました。

藤川──富山のこの辺りについて調べると、たしかに「ジオパーク」という言葉がダーっと出てきますよね。土地柄的に「地域を丸ごと」という感覚が強いんですか?

尺戸──そうなんです。わりとすぐ、行政の枠を超えて連携しますね。現在開催している「山下麻衣+小林直人『蜃気楼か。』」展★3でも、お隣の市の魚津埋没林博物館にお世話になっています。

藤川──すごく地続きなんですね! そういう連携のしかたに抵抗がないのでしょうね。茅ヶ崎でも少し近い事業★4が行なわれているのを思い出しましたが、「ジオ」なんだ。

──行政の枠を越えた連携は珍しいことなのですか?

藤川──同じ市内の連携や、割引の連携、歴史的な知識共有はよくあるけど、黒部市美でやられているのは知識とともに経験の共有みたいな部分で、そこは面白いつながり方だと思います。これも先ほどの話と同じで、行政区分ありきではなく、アーティストのリサーチでつながっているのが大きいですよね。おそらく、そこでもっとも緩やかに各所とつながれるのは、美術館ならではでしょうか。

尺戸──それは感じますね。私がひとりでアーティストの関心をフォローしきれなかったこととも関わりますが、アートは全部に跨っているところがある。だからこそ、普通はつながらないものをつなげるポテンシャルもあるのかなと思います。


「ゆかり」をいかに広げるか

藤川──私が黒部市美に関心を持ったまた別の理由は、「ゆかり」にも関係しています。私、茅ヶ崎市美術館に来て「ゆかり」という言葉を多く聞くようになったんですね。美術館で「ゆかり」というのは、その土地で生まれたか、滞在したか、亡くなったか。このどれかに該当する作家の展示がつくられていくニュアンスを感じました。当時はいまほど地域のことも作家も知らなかったこともあり、そうした選び方にクオリティの担保はあるのか、その理由でいいのかな、など正直色々と迷っていました。それ以外の「ゆかり」のあり方ももっとあるんじゃないかと。

そんなあるとき、黒部でトーチカさんの展示★5があると知り、驚いたんです。トーチカさんは黒部出身ではないし、どちらかと言えばハイクラスのメディアアートユニットじゃないですか。それで興味があって、黒部に訪れたら、すごく素敵に展示されていて、また驚いて。黒部市美での、「ゆかり」の考え方が気になっていたんです。


藤川悠さん


尺戸──トーチカさんにお願いする際に意識していたのは、地域の人を巻き込んだ展覧会づくりでしたが、たしかに、「ゆかり」ではないですよね。もしかしたら、黒部市美の基本方針がとても柔らかいことも関係するかもしれません。その方針には「多彩な美術活動を行う」ことや「特色ある美術館」などを目指すとあるのですが、後者は、当館が主に所蔵する郷土作家や近現代の版画の紹介だろう、と。では、前者の部分は? という風に解釈して、いろんな作家の展示を行なっているんです。

藤川──限定しない書き方がされているんですね。

尺戸──そうなんですよ。あと、私と同僚が入ったとき、上司から「せっかく人が変わるんだから、美術館のイメージを変えるようなことを」と背中を押していただいたことも、幅広いつくり手を紹介するきっかけになっています。

──個人的にも、黒部市美で展示される非郷土作家の作品と、地域の関わりは気になっていた点でした。僕が見たのは「風間サチコ展─コンクリート組曲─」と、今回の「山下麻衣+小林直人『蜃気楼か。』」展なのですが、両展とも黒部ダムや蜃気楼、近辺の風景といった地域の要素と、アーティストの作風をすごく自然に擦り合わせていると感じたんです。展示としてリサーチ感が強ぎないところも、自然体で惹かれました。


《infinity〜mirage》(2021/「山下麻衣+小林直人『蜃気楼か。』」展示風景より)[撮影:柳原良平]


尺戸──ひとえに各作家さんの力が大きいのですが、個人的に大きかったのは、2015年の岩崎貴宏さんの展示★6でした。これは、小山市立車屋美術館の中尾英恵学芸員との共同企画なのですが、私は黒部に来て初の企画で、地域との関わりを気にする余裕がなかったんです。でも、そこで岩崎さんが自発的に、黒部の海辺や宇奈月温泉の峡谷などの風景を、人との関わりも含めて作品で表現してくれて。

黒部ではお客さんの見方も都会とは少し違うので、現代アートを見せるときに、こういう方向性はいいなと思ったんですよね。そこからリサーチベースの作家を意識してお声がけするようになりました。

藤川──さっきの「連携」と同じで、地域へのコミットも最初から目的だったわけではなく、自然にできていったんですね。

──その方向をいいなと思ったのは、地域資源を広げる可能性を感じたからですか?

尺戸──それはもう少し後で発見しましたね。最初は本当に単純に、こうした見せ方をすることで黒部の人が喜んでくれるのではないか、現代美術を楽しんで見てくれるのではないかと思ったんです。ただ、それから展覧会を重ねて、いろんな分野の学芸員さんと出会うなかで、私自身の世界の見方も大きく変わっていきました。


地方で生きているからこそ、できることがある

尺戸──私、それまで完全に人間中心の文化で生きてきたんです。人がつくった歴史やアートを楽しんで、人間以外の世界があることに意識が向いていなくて。でも、黒部に来ていろんな方と出会い、石にこれだけ感動する人がいるんだとか、海や山の歴史は人間の誕生のはるか前からあるんだとか、地球や宇宙規模の俯瞰的な視点、世界の見方が初めて自分に入ってくる感覚があったんです。

そうしたときに、過去に展覧会でご一緒した作家さんには、そういう大きな視点から人間を改めて見つめさせてくれる人が多かったな、と。回を重ねるうち、そんな自分の関心が明確になるような感覚もありました。

──黒部で尺戸さん自身の世界観が変わったんですね。

尺戸──180度変わりましたね。それは出会った学芸員さんもそうですが、作家さんのおかげでもあります。作家が土地に興味を持ってくれたからこそ、一緒にリサーチをする過程で私も少しずつ知って、考えて、成長してきたところがあります。

藤川──私も茅ヶ崎に引っ越して、海や自然を間近に暮らしていると、「美術」の範囲が広がる感覚がありました。おっしゃっていることが、すごくわかるような気がします。

──第2回でも、藤川さんは東京から離れたことで、情報戦のように「最先端」を追い求めるアートシーンへの関心が薄くなったと話されていましたね。

藤川──本当にそうで、私は「アートワールドの何か」ではなく、それがアートかわからない状態からやりたいというか。誰かのお墨付きではないものの価値を考える。そんなアートの本質に戻れたところが、地方の小さな美術館に来て良かったことでした。

「ゆかり」のことも、最初は戸惑ったものの、実際に作家と作品と地域の関わりを模索しながら仕事をしていくうちに多くの作家や作品とも出会え、意識も変化し、地域でともに生きているからこそできることがある、と気づけていきました。尺戸さんは作家とともに、そこを自らどんどん開拓されていきましたよね。

尺戸──最近は、もしかするとリサーチがなくても地域につながれるのではないかと思案中です。この環境のなか、これまで作家さんと積み重ねてきたさまざまな視点や考え方を反映したうえで展示を依頼する作家さんを考えることで、黒部市美らしいメッセージを発信できる可能性もあるのではないか、と。

藤川──尺戸さんのなかに人と物に関する俯瞰的な視点が生まれて、かつ黒部の知識の蓄えもできてきたことで、作家が何を出してきても「これは黒部とつながる」と思える状態になってきたということですね。

尺戸──そうですね。キュレーションでつなげられる方法もあるのかもしれない、と。藤川さんの「ゆかり」の話とも似ていますが、正直、作家のリサーチに依存しすぎてしまう可能性もあると感じてきました。これまでは自然とリサーチをして地域とつなげてくれる作家で、もちろん今後も興味を持っていただければ大変嬉しいのですが、その継続性は気になっていて。黒部に来て8年目ですが、いまはちょうどこれまでの仕事を振り返られる時期なんだと思います。


巡回展、地域貢献、博物館実習──他館との連携

藤川──お話を聞いていると、尺戸さん自身の関心が次のステージに向かわれているのを感じます。「ゆかり」という概念も、更新されていくように思いました。

そして、この美術館ならではの展示をと考えつつ仕事をする一方で、同じ作品が巡る「巡回展」のあり方も、少し気になりはじめていまして。先ほども挙がった岩崎さんの展示は、小山市立車屋美術館と会期をズラしながらそれぞれ異なる岩崎さんの作品を紹介する、一般的な巡回展とは違うユニークな取り組みでしたよね。

尺戸──この展示は車屋の中尾さんから誘っていただいたもので、まさに大きな美術館同士の巡回や連携に対して、小さな美術館同士の連携を、という発想がありました。ここでもやはり、岩崎さんがインスタレーションの作家だったことが大きかったです。

藤川──絵画などだと、作品自体は変わらないですものね。

尺戸──そうなんです。岩崎さんが二つの会場を見て、空間が全然違うので、それぞれで考えてくださったのですよね。数点だけは同じ作品ですが、それ以外はまったく別の展示で、2館を周ると岩崎さんの作品がだいぶ体系的に見られるという内容でした。


「岩崎貴宏展─山も積もればチリとなる」展示風景(2015)[撮影:柳原良平]


──一般的な巡回展は、いわばパッケージ化されたものを回すわけですが、複数の美術館を巡りながらひとりの作家を理解していくことは、それとは異なる体験ですね。

尺戸──展示空間とその外に広がる地域性で、作品の見え方や展示内容が影響するかもしれません。小山は都会のベッドタウン、黒部は自然豊かな田舎ですが、どちらも大きな鉄塔や国道沿いの画一化された風景があったり。各館で展示内容は異なっていましたが、どちらにも「地方」が裏打ちされていたように思っていました。

また運営面では、この岩崎展のような方法だと予算も少し抑えられますし、その割には内容が充実するのです。そういうメリットはすごく感じました。あと、小さい美術館で、人、時間、予算、とにかくすべてが足りないなかで、あれもこれもやりたいと、いろんなことを足し算でやると、疲弊してしまう。連携は、疲弊しないためのひとつのツールとも思っています。

──黒部市美は近隣の「黒部市宇奈月国際会館セレネ」とも連携していると聞きました。

尺戸──セレネ美術館とは以前から両館の学芸員でシフトを組み、教育普及活動として小学校に授業をしに行く活動をしています。あと、当館では大学の博物館実習を受け入れる余力もないのですが、それでは公共施設の役割を果たせない。そこで、学生さんにその2館と黒部市歴史民俗資料館も加えた3館を2日おきに周ってもらうような受け入れ方法を確保しています。これは我々の負担の分散でもありますが、結果的に幅広いジャンルの作品に触れることになり、学生さんにもメリットがあると考えています。


地域に求められる美術館を

藤川──自館で賄い切れない部分は他館と緩やかに、という広げ方が良いですよね。

尺戸──こうした緩やかな連携は、1館では完結できないことが多すぎるからこそ編み出された部分もあるんですが、「地域全体の一部」という俯瞰的な視点を自覚して運営することで、必ずしも自分たちの館でたくさんのものを持たなくても良いのかも、と思えてきたところがあります。地方の小さな美術館では、いろんな条件によってできないことも多いですが、施設や人材や資源がもっと流動的につながり、開かれることで、負担を減らしたり、地域への還元を増やすこともできるかもしれないと思うんです。

──必要に駆られた連携や対応も、ポジティブに捉えられるようになったと。

尺戸──本当に自転車操業で、ゆっくり調査する時間も予算もない。だから、同僚と手分けして年間4本の展示を企画する際、そこに郷土作家の調査や教育普及的な活動を含ませることもあります。それは、従来は必要に駆られてのものでしたが、藤川さんや畑井さんのような教育普及専門の学芸員さんの展覧会の手法を参考にすることで、ポジティブな考えに転換をすることができると感じられるようになりましたね。

藤川──私たち3人が違うのは、畑井さんや私がエデュケーター方面から来て、それを展覧会に応用していったのに対し、尺戸さんは展覧会の方から入って、作家と一緒に現代美術をやるなかで、自ずと教育普及的な領域まで広がったことですよね。

展示の企画も、予算も、受付も、監視も、施設管理も担う。いろんな視点が、小さい美術館だと入ってくるじゃないですか。そうすると、自ずと展覧会という枠だけでは仕事がまったく収まらず、視点も考え方も裾野が広がり、重層的になっていく。たぶん小さな地方の学芸員は、展覧会を一本つくるというだけではなく、そこからどのように地域や人に美術館の存在意義をわかってもらうか、そこまで含めてつねに活動をしているところがありますよね。尺戸さんのお話を聞き、そんなことを思いました。

尺戸──地方の場合、地域を考えないと、美術館自体が成立しないんですよね。美術館が機能することを考えると、誰かが利用してくれないと難しい。それはただ展覧会を見に来るという意味の利用だけではなく、あらゆる意味で求めていただかないといけなくて。

例えば、黒部市美では鑑賞事業の浸透に苦戦しているのですが、逆に地域に関連した展覧会を続けるなかで、富山大学の人間発達科学部の先生が興味を持ってくれて、学生さんが卒業論文のテーマに美術館を選んでくれたり、授業で作品鑑賞のワークシートの制作を取り入れてくださったりする。また、隣町の入善高校にアートと観光のコースができ、作家のリサーチを学びに生徒さんが美術館を訪れてくれたこともありました。現在の山下麻衣+小林直人展でお世話になっている魚津埋没林博物館の佐藤真樹学芸員は、蜃気楼によって美術館近くの海岸に「∞」マークを浮かび上がらせるプロジェクト《infinity〜mirage》をほぼ毎日観測して、データを取って蜃気楼の研究をしています。そうしたつながりが、とても大事だと思っています。




揺さぶられ、やがて「役に立つ」経験を与えたい

藤川──尺戸さんは黒部市美で現代作家を扱う意義をどんなところに感じていますか?

尺戸──現代美術の作家さんとは「いま」と「ここ」を共有していて、ある意味、現代の地域の人たちに響くところがあるのではないかと思っています。すごく遠く離れた歴史的な作品って、わかるようでわからない。何が描いてあるかはわかるけど、当時の人たちが見ていた本当の意味は勉強しないとわからないですよね。

その点、現代美術は基本的に誰かの言葉を借りずとも前提が共有でき、それを自分なりに解釈して考え方の助けにできる。そこに現代美術の魅力を感じます。

──藤川さんが茅ヶ崎に来てから美術の捉え方が変わったと話されていましたが、尺戸さんも黒部で世界観が広がるなか、美術の捉え方自体も変わった部分はありますか?

尺戸──自分でもまだ答えが出ていない部分がありますが、他分野の方々と関わりながら作品がアウトプットされるのを前にすると、どうしてもアーティストと研究者の違いを考えてしまうところはあって。大きな世界のなかでの人間的な輪郭について考えるようになったのと同時に、アートの輪郭もすごく意識をするというか、つねに自らに問いかけるようになりました。

研究者は、基本的に事実に基づいて文章を書き、展示にする。でも、アーティストはそこに思想や哲学を入れて、別のものに転換していく。そうしたアートになるかならないかのプロセスの違いは、よく感じます。ただそれも、黒部に来て、いろんな分野や出来事の間にあった境界が薄くなってきたからこそ、感じるのだと思います。

──訪れる人にとって、美術館という場所はどのような場所であってほしいと思っていますか。

尺戸──作品に揺さぶられた感覚を、そのまま持ち帰るような体験をする場所であってほしいと思います。私が展覧会を企画するときは、作品を通して、生きていくうえで助けになる考え方や発想を共有したいと考えているところがあって。なので、何か作用したものが、言葉にならなくても残っていて、いつかその人の役に立てばいいな、と。

「役に立つ」というのも、実用的という意味ではなく、生きるうえで、何かを考えるうえで助けになるという意味で、「役に立つ」経験であってほしいと思っています。


人生の助けになる、表現の力

藤川──いまのお答えはすごく尺戸さんらしいなと感じました。尺戸さんのなかで、美術館に勤めようと思われたほど、強烈な美術の体験ってありますか?

尺戸──京都国立近代美術館で1999年に開催された「身体の夢 ファッションOR見えないコルセット」展★7で見た、ピピロティ・リストの映像インスタレーション《永遠は終わった、永遠はあらゆる場所に》(1997)です。駐車中の車のガラスを次々に割りながら歩く生き生きとした女性の様子が衝撃的でした。ほかにも、金沢21世紀美術館が準備室のときに金沢市民芸術村のシリン・ネシャット展★8で見た《歓喜》(1999)は、能動的に見ることを教えてくれた作品でした。どちらも大きく感覚が揺さぶられたその印象だけが身体のなかに強く残っていたことを覚えています。

──具体的な情報などではなく、その感覚こそが大切だったんですね。

尺戸──展示を通して伝えたいのは、そういう部分でもありますね。加えて、藤川さんが第2回の記事で、「自分は伝えることにこだわっている」と話されていましたよね。それってよくわかって、現代美術ってわからない部分も含めて面白いとよく言われるし、実際そう思うけど、私がツアーまでして伝えたいのは、「表現とは」という部分なんです。

表現はこんなに多様で、こんなことをこんなかたちで表現できるんだ、というところを伝えたいんです。美術に限らず、どんな形式でもいいんですけど、表現の面白さの部分に観客をどうしても連れて行きたいといいますか。難しいんですけどね。

藤川──難易度、高いですよね。けど、醍醐味でもありますよね。

尺戸──本当に、そうですね。

──開催中の「蜃気楼か。」展でも、美術館近くに生えた、風に揺れる葦の葉をただ数分間撮影しただけの映像★9がありました。あれも、どこにでもある光景なのに、映像で切り取られた瞬間に、大きな世界のなかで思考している自分を想像させるところがある。そういう表現の力ってありますよね。

尺戸──そう、あの葦を切り取るだけで、こんなことが感じられる、こんな風に伝えられるんだという、言葉にしがたい表現の力がある。それを知ることは、生きるうえで役に立つことだと思うし、美術館はそれに出会える場であってほしいです。


《考える葦、考えない葦》(2021/「山下麻衣+小林直人『蜃気楼か。』」展示風景より)[撮影:柳原良平]



(2021年10月17日取材)




★1──「風間サチコ展─コンクリート組曲─」(黒部市美術館、2019年10月12日〜12月22日)
★2──「下道基行展─風景に耳を澄ますこと」(黒部市美術館、2016年7月23日〜10月10日)
★3──「山下麻衣+小林直人『蜃気楼か。』」(黒部市美術館、2021年9月25日〜12月19日)
★4──「ちがさき丸ごとふるさと発見博物館」。エコミュージアムの考え方に基づき、市内全域を「屋根も壁もない博物館」に見立てた茅ヶ崎市内の活動
★5──「トーチカ展 ひかりあそび」(黒部市美術館、2015年9月12日〜11月8日)
★6──「岩崎貴宏展─山も積もればチリとなる」(黒部市美術館、2015年4月25日〜6月28日)。「岩崎貴宏─埃と刹那」(小山市立車屋美術館、2015年7月11日~9月6日)との共同企画
★7──「身体の夢 ファッションOR見えないコルセット」(京都国立近代美術館、1999年4月6日〜6月6日)
★8──「シリン・ネシャット展」(金沢市民芸術村、2001年3月3日〜25日)
★9──山下麻衣+小林直人《考える葦/考えない葦》(2021)


イラスト:三好愛
1986年東京都生まれ、在住。東京藝術大学大学院修了。イラストレーターとして、挿絵、装画を中心に多分野で活躍中。2015年、HBGalleryファイルコンペvol.26大賞受賞。主な仕事に伊藤亜紗『どもる体』(医学書院)装画と挿絵、川上弘美『某』(幻冬舎)装画など。著書にイラスト&エッセイ集『ざらざらをさわる』(晶文社)。
http://www.344i.com/

編集協力:平河伴菜

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  • 第3回 地域のことを考えないと、美術館自体が成立しない──尺戸智佳子(黒部市美術館)×藤川悠(茅ヶ崎市美術館)