もしもし、キュレーター?
第8回 美術を辞めて日常に戻る人の背中が、もっと見たくなってしまって──奥脇嵩大(青森県立美術館)×森山純子(水戸芸術館)[前編]
奥脇嵩大(青森県立美術館)/森山純子(水戸芸術館)/杉原環樹(ライター)
2024年01月15日号
学校と連携して教育普及事業を展開したり、地域と美術館をつないだり──従来の「学芸員」の枠組みにとらわれずユニークな活動を展開する全国各地のキュレーターにスポットをあて、リレー形式で話を聴きつないでいく対談連載「もしもし、キュレーター?」。今回と次回は、水戸芸術館で長らく教育普及事業に携わる森山純子さんが、青森県立美術館の奥脇嵩大さんを訪ねます。
美術と農業の接続を試みる「アグロス・アートプロジェクト2017-18 明日の収穫」や、青森県内の美術館から離れたエリアでの制作と展示を通した「美術館堆肥化計画」など、人の生活や営みの目線からさまざまな独自の企画を立ち上げてきた奥脇さん。美術館が人々の「肥やし」として長く続いていくもっと自由なあり方を想像し、そのための土壌を耕していく様子を、2023年の「堆肥化計画」開催地でもあった本州最北端・下北半島をはじめ青森県の各地で探ってきました。(artscape編集部)
[取材・構成:杉原環樹/イラスト:三好愛]
※対談の後編(第9回)「美術館を出て考える、人が「ここ」で生きている意味」はこちら。
※「もしもし、キュレーター?」のバックナンバーはこちら。
美術館内だけの活動の“ジリ貧”感から出発して
────本連載では前回、森山さんが水戸芸術館(以下、水戸芸)で長年やられてきた、美術館と地域の関係を模索するような教育普及プログラムについて話を伺いました。そんな森山さんは、今回なぜ青森県立美術館(以下、青森県美)の奥脇さんの話を聞いてみたいと思われたんですか?
森山純子(以下、森山)──水戸芸が開館した約30年前(1990)、地方の街に現代美術に特化した美術館をつくることはなかなかチャレンジングなことでした。当時水戸近郊では、美術館自体も珍しいし、インスタレーションなんてはじめて見聞きするする人がほとんどでした。そうしたなか、開館直後から勤め始めた私は、教育プログラムを通して答えのわからないものをなぜ展示するのか、税金を使うのか、地域に対してその理解の糸口を探し、人々につなげることが大切な仕事のひとつでした。つまり、美術館があることで、地域の人や歴史に何ができるかということが、私の大きい命題のひとつとしてあったわけなんです。
また近年では、気候変動や紛争など地球規模の大きな問題から、身近な社会や家族の問題など、私たちをとりまく課題を地域の人たちと共に考える練習の場として、美術館に可能性を感じてきました。アートがもたらす小さな気づきや出会い、ユーモアは多くの方たちを励ましてくれます。ただ、そのことを地域にもっと広げるにはどうすればいいのか、そんな課題も抱えていました。そうしたなか、奥脇さんの実践に自分と近い問題意識を感じたんです。
具体的に奥脇さんの活動に初めて触れたのは、2017〜18年の「アグロス・アートプロジェクト 明日の収穫」(以下、「アグロス」)でした。これは美術館と農業の関係を問い直すプロジェクトで、私が訪れた際は青森県美の敷地内で稲を育てていましたよね。
奥脇嵩大(以下、奥脇)──一番大変だったときです(笑)。軽くご挨拶もさせていただきましたね。
森山──そのときも、美術館で農業! もっと話を聞きたいと直感的に思いました。奥脇さんはその後も「アグロス」に連なる仕事をされていて、今回の「美術館堆肥化計画」(以下、「堆肥化計画」)もそう。「堆肥」という言葉からは、即効性の何かではなく、時間をかけて地域を耕そう、人と地域と美術の有機的なつながりを考えようという意図を感じます。こうした活動の背景を知りたくて、今回伺いたいと思いました。
奥脇──ありがとうございます。森山さんたちによる前回の記事は、個人的にも美術館への問いかけとして共感する部分が多くて。特に、美術館は「ただ居ていい場所」「地域のなかのライフライン」だという主張には感銘を受けました。青森県美の設計者の青木淳さんが、使われることのなかにこの美術館の特質を見出そうとして「原っぱ」と呼んだことにも通じると思う。それで、森山さんほどではないですけど、僕も美術館のもっと自由な使い方を考えてきたところがあります。
「アグロス」はその始まりとなる活動で、当時感じていたのは、美術館という枠組みの内部だけで活動することのジリ貧感でした。美術館のなかで、既存の美術の枠組みに回収される活動だけをしていたら、それを楽しめる層と楽しめない層の溝がどんどん深くなってしまうのではないか。であれば、もうちょっと広い枠組みのなかで、つくったり学んだりという場自体を設計した方がいいんじゃないか。そんなことを考えているとき、「うちは敷地も広いんだから、ここで美術以外に何かをつくれたらいいんじゃないか」と思ったんです。
森山──そもそも青森県美は、三内丸山遺跡というかつての人々の暮らしの上につくられた場所ですもんね。
奥脇──そうなんですよ。その暮らしの延長のようなかたちで、新しい営みを被せることができないか。そのとき僕らが立ち返れるものとして思いついたのが、米づくりでした。それを育て、作品をつくり、見せたりする過程で、美術が僕らが依って立つ社会や環境と接続する。そのとき初めて美術は自律した価値を伴って還ってくると思ったんです。「地域アート(笑)」とかなんとか言われようが、そのような美術が生まれる場所であることが地域に根ざした公立美術館の責務だと思っていました。
作品制作を辞め、日常に帰った人の背中
森山──なるほど、歴史的に長くお米は価値の基準でしたものね。お米づくりはどなたかに手伝ってもらったのですか?
奥脇──秋田で活動する画家の齋藤瑠璃子さんに相談しました。齋藤さんは東京の美術大学を出た後、地元で農業を営みながら制作している方で、作品づくりの間合いもわかるし、「美術館で農業します」といういかにも片手間な、プロの農家さんには鼻で笑われそうな試みにもプロでありながら耳を傾けてくれるかなと(笑)。さらに、以前自分の地元の神社に天井画を奉納するプロジェクトをやられていた画家の大小島真木さんにも声をかけて、2年間かけて米づくりとそれに基づく制作を行ないました。苗床は、美術館にたくさん残っていたリンゴ箱を改造してつくりました。
作品としては、米づくりの一年を円環で表わすような巨大な絵画を中心に制作しました。画材にはお米を擦り潰して粉にしたものを使ったのですが、お米で絵を描くことに抵抗感がある参加者が結構いて、途中で「展示するという考え方を改めた方がよくないか」とか、神社に奉納するみたいに美術館に入れるだけ入れて見せないようにしよう、などの話し合いの場面もありました。
森山──お米を神聖なものだと感じる人は多いかもしれないですね。
奥脇──ええ。美術館に「奉納する」という、見せるよりも隠す気持ちを大事にしながら展示できるなら、ということで制作は継続することになりました。全体に、矛盾を抱えながら作品づくりができたのは良かったですね。
あと、この活動中に印象的だったのは、参加していたリンゴ農家さんが、「素晴らしいプロジェクトだ。しかしだからこそ、僕は自分の生活の根っこを太くすることが必要だと思うので、辞めます」と言って、作品が完成する前に辞められていったことでした。
森山──面白い辞め方! 日常に帰っていったんですね。
奥脇──そうなんです。最初は驚いたんですけど、よく考えたら、面白いからこそ自分でも何かを引き取って、自らの生活を豊かにしていくことにするって、作品づくり以上に豊かなことですよね。この取り組みが、ある人の行動を変容させたことに感動しました。
森山──素晴らしい美術館の使い方だと思います。
奥脇──結局、この出ていった人の背中が、次の「堆肥化計画」につながりました。「アグロス」自体は、作品はよくできたし、展示もできたし、美術館の使い方を広げられたと思うのですが、辞めていった人の背中がもっと見たくなってしまって。美術館が、むしろ生活空間の方へと出ていき、現地の人たちの行動を変化させていったら、地域に根ざしたかたちで、これまでにない美術館のプレゼンスを発揮できるのではないか。この頃からそんなふうに、地域のなかで美術館が文化的な肥やしになるという関心が広がっていき、そこから「堆肥化計画」が始まりました。
美術館の延命措置としての「美術館堆肥化計画」
──そもそも「堆肥」とは、土壌の中の有機物を微生物が分解することでつくられた肥料のことですが、これをプロジェクト名に冠したのはどんな思いからだったんでしょうか?
奥脇──青森県は自然が豊かで、オーガニックな側面が価値として取り上げられることが多いですよね。でも実は原子力関係の施設が多く、大きな開発資本が入って人工的につくり変えられた土地でもある。考えてみれば農業、特に近代農業も人工的な側面があります。2023年の「堆肥化計画」の舞台となった下北半島(青森県北東部、本州最北端部の半島)もそう。風力発電の巨大なプロペラがたくさん立っていて、人工都市のような側面もあるんです。
──半島に出入りする際、突然風景のなかに巨大な人工物が現われる様子は、ある種の異様さを感じさせました。
奥脇──そのようにつねに人、というより巨大な資本の手が入り続けている状態は、ある意味アートや美術を「生産」するためのこれ以上ない最適な状態です。それを背理的足がかりとして、それとは違う、有機的な個人のつながりのうちに、もう一度美術や美術館というものを取り戻していくことができないか。そうした思いが「堆肥」という言葉にはあります。
森山──奥脇さんが「堆肥化計画」の記録集で、宮沢賢治が腐植質(落ち葉などの植物枯死体が土中の微生物により分解されたもの)に触れた言葉を引いて、堆肥のことを「動的な状態にある」「混合物」であり、変化の象徴として書いていたのが印象的でした。それでいうとおそらく従来の美術館は、基本的に固まっている場所ですよね。
奥脇──そうですね。美術館にはもちろん「保存」や「収集」という役割があるわけですが、僕が「アグロス」を始めるときに考えていたのは、そこで貯められたモノといまを生きる人たちが本当につながっているのかという疑問でもありました。さらに言えば、収集保存のための空間的なキャパシティや、電気インフラの限界も見えてきているなかで、ただモノを集めて増やしていくだけでどうするのか、とも思うんです。
そのとき、美術館を成り立たせる経験の条件のようなものを地域に暮らす人々の生活のなかに求めることができたら、例えば将来、空間的な限界が来たり、電気代を払えなくなったりして美術館がいまのインフラを支えられなくなったときにも、「県立美術館」はどこにでも生まれるんじゃないかと思っていて。そんな感じで、そう遠くない未来、美術館が閉館するかもしれないときのための救命措置みたいな活動として「堆肥化計画」はあるんです。
──つまり、奥脇さんのなかで「県立美術館」の機能は、必ずしもハード(建物)のなかにあるものではないわけですね。
奥脇──はい。既存のハードや資本にある部分まで寄生しながら、そのことを足がかりに、生きることを成り立たせる枠組みとして県立美術館を扱い直す部分を設計したいと考えています。
森山──なるほど。だから「堆肥化計画」には、「旅するケンビ」と「耕すケンビ」という二つの枠組みがあるんですね。前者は、青森県美の活動を地域に知らせる活動で、今回もむつ市のショッピングセンター「マエダ本店」に、仮設的なホワイトキューブが置かれたビジター展示がありました。
後者は、アーティストと組んで地域の性質を踏まえた作品をつくる枠組みで、今回はアート・ユーザー・カンファレンス、小田香、イタズラ・ヌーマンという3組が参加していた。それらは美術館の機能を外に出していく活動なんですね。
奥脇──そうです。あと開催地の基準としては、青森にある主要な5つの美術館(青森県美、青森公立大学国際芸術センター青森、弘前れんが倉庫美術館、八戸市美術館、十和田市現代美術館)がカバーできないような地域に行くことにしていて。その5館の網目からこぼれてしまいそうな地域に行くことで、美術や美術館がその「分際」を自覚し、地域とフェアにつながっていくやり方を見出していけるのではないかと思っているんです。当たり前ですけど、地域のなかでは美術や美術館が中心でないのが良いです。通常、美術館というのは本当に特殊な限定された場所だと思います。
地域のなかに、人が生きることと向き合う場を埋め込む
森山──そもそも小さい頃に美術館へ行く機会がなかったという人も、大きな県では結構いますよね。そのなかで、美術館が近くにないエリアに美術館の側から出て行ったり、ショッピングセンターのような日常の場でふと作品に出会ってしまう機会をつくるのは重要なことですね。
実際、昨日みんなでマエダ本店を回ったときも、イタズラ・ヌーマンの作品が飾られたゲームセンターの一角で、ひとりのおばあさんと話す機会がありましたよね。
──イタズラ・ヌーマンは裁縫をするグループですが、その方は壁にかかった作品の下で縫い物をしていたんですよね。我々が作品について尋ねると、「これは芸術ではない」と熱く語ってくれて。感想は否定的でしたが、翻って真剣に見ていることが伝わりました。
森山──あのおばあちゃんも、普段は美術館なんて行かないかもしれないですよね。そうした人が、感想はどうであれ、美術というものに触れ、真剣に見ることが起こっている。
あと、あのおばあちゃんがそれを芸術と感じなかったのは、作品がお店の風景に溶け込んでいるからでもあると思います。私も、あまりの馴染み方に驚きました。
奥脇──どこまでが作品なのか、わからないですよね(笑)。
──まさに土中というか、完全に作品が埋め込まれていました。
森山──それって、すごい勇気がいる展示方法だと思うんです。ふつう、そういうコンセプトであっても、少しは枠を残しますよね。でも、マエダ本店の一部の展示にはキャプションも何もなく、作品が風景に同化していた。あの展示の仕方は、毎回そうなのですか?
奥脇──「堆肥化計画」を3回やるなかでそうなったんです。1回目(2021/津軽地域)はキャプションももう少し丁寧に置きました。だけど、例えばここにあるコップも、もしかしたら全部作品かもしれないと思いながら目の前のモノを見る、その目線や枠組みに「美術館」というものを託したいという思いがあって、徐々に説明を減らしていきました。
森山──鑑賞者というか、生活者が見てくれるという信頼がないとできないことですね。
別の会場である尻屋崎では、下北半島で育った寒立馬(かんだちめ)の放牧地にあるビジターハウスの中で、小田香さんが撮った馬の写真が、普段から展示されている愛好家の方々の写真に紛れて飾られていました。あれも、本当によく見ないと気がつけない。だけど馬のなかに実際に入って撮っているのが伝わる写真で、そこにも信頼を感じました。
奥脇──あの小屋は、自分もその方のTwitter(現X)で知ったのですが──地元の方が小中高生のときに、家にいても怒られるから、友だちと暖を取るために過ごしていた場所なのだそうです。そうした時間を過ごしていた人たちなら、たとえ時間がかかっても、作品に表われている馬との距離感や、その意味するものを身体の深いところで知っていて、わかってくれるだろうと思ったんですね。
森山──それは、本当に微かな世界ですね。その当時の子たちにとっては、すごく大きな意味をもつかもしれないし、でも、もしかしたら何も感じないかもしれないし……。
──そうですね。いまのお話を聞いて、奥脇さんが求めている人と表現の接し方は、美術館で解説を読んで「わかった」というのとははっきり違うと感じました。あの小屋で、子供の頃に横目で見ていたものが、いつの間にか大切なものになっている。その価値は全然自明ではないけど、奥脇さんはそうした微細な価値を重視しているんだなと思いました。
奥脇──それこそ、美術館は何のための場所なのかということだと思うんです。知識を得るためであれば図書館でも良くて。美術館には、人の見てきたものやつくってきたものが形になって置かれていて、鑑賞者はそれをもとに、自分と対話したり、自分が生きてきたことを反芻したりする。美術館とはそうした経験の場所だと思えば、それは美術館の建物を離れてもできるはず。生きていくことを太くしたり、豊かにする場をつくりたいんです。
[後編「美術館を出て考える、人が「ここ」で生きている意味」へ続く]