会期:2024/02/11〜2024/02/24
会場:東京芸術劇場プレイハウス[東京都]
公式サイト:https://www.geigeki.jp/performance/theater350/

「我々のほとんどは、同性愛の健全な姿がどんなものか、示されたことがない。当然教わりもしない、どう愛して、どう愛されるかなんてな。文化の中に答えがないから、お互いの中に見つけるしかないんだ。内密に、怯えながら、時には喜びに満ちて。我々の教育は、夜の公園や公共トイレや、まさにこのファイアー・アイランドの砂の上でなされて来た。すべては危険で、禁断にして秘密裏で、素晴らしかった。その途上で我々は傷つけ合い、時には苦痛を与え合った」。

『インヘリタンス─継承─』の物語の外側に立ち、現在を生きる登場人物たちを見守るモーガン(篠井英介)ことE・M・フォースターのセリフだ。ここでいう文化は物語と言い換えることもできるだろう。モーガンの言葉は同性愛者の、ゲイの存在が、その物語が十分に語られてこなかったことを指摘するものだ。現実にせよ虚構にせよ、しるべとすべき物語が不在であるということは、一人ひとりが真っ暗な闇を手探りするようにして個々の生を生きていかざるを得ないことを意味している。闇の中でなんとか生き延び、運よく仲間と出会う者もいれば、独りで闇に呑まれる者もいるだろう。だからこそ同性愛者の、ゲイの物語が語られることには大きな意味がある。前後篇合わせて6時間半にも及ぶ長大なゲイ・プレイ『インヘリタンス─継承─』(作:マシュー・ロペス、翻訳:早船歌江子、演出:熊林弘高)は、まず第一に語ること、語り継ぐことをめぐる物語であり、つまりそれは生きること、生きていくことをめぐる物語だ。

フォースターの小説『ハワーズ・エンド』に着想を得たという『インヘリタンス—継承—』は次のような言葉ではじまる。「彼には語るべき物語がある──物語が自分の中で暴れて、出て来ようともがいている。でもどうやって書き始める? 彼は大好きな小説を開く、何度も読んだ出だしの一行にインスピレーションをもらいたくて」。そうして「彼」は『ハワーズ・エンド』とモーガンの存在をしるべとして物語を紡ぎはじめる。

[撮影:引地信彦]

時は2015年。エリック(福士誠治)は恋人のトビー(田中俊介)とともにニューヨークのアパートメントに暮らしている。本来ならば手が出ないほど家賃の高いその場所にさほど裕福でもない二人が暮らせているのは、政府による戦後のレントコントロール(家賃規制)の恩恵を受け、祖父母の代から一家でそこに住んできたからだ。しかし祖母も亡くなり、やがてエリックは家族の歴史と思い出が刻まれたその家からの立ち退きを迫られることになる。物語のはじまりにおいて「家」の継承の途絶が予告されていることは示唆的だ。それはエリックがゲイであることとも無関係ではないだろう。

一方、トビーにおいて継承のテーマは語ること(の失敗)の問題として立ち現われてくる。トビーは長年の苦労の末、自らの半生をもとに書いた自伝的小説『最愛の少年』でようやく評価されはじめたところだ。自伝的小説が認められるということは作家として認められることであると同時に、トビー自身の人生が認められるということでもあるだろう。どうやら舞台化の話も来ているらしい。パートナーとして7年もの間付き合ってきたエリックからのプロポーズを受け、来年には結婚することも決まった。トビーの人生はまさにこれからだ。

ある日、二人はアダム(新原泰佑)という人懐っこい青年と出会い、その魅力に惹かれ急速に親交を深めていく。文化的メンターの役を自ら任じるエリックがアダムと連れ立って美術館や劇場へと出かける一方、舞台版『最愛の少年』の執筆に明け暮れるトビー。だが、俳優の卵であるアダムが『最愛の少年』のオーディションで才能を発揮し主人公エランの役を勝ち取ると、三人の関係にも変化が訪れる。トビーとアダムは舞台の準備のため、エリックを残してシカゴへと飛び立つのだった。

[撮影:引地信彦]

ニューヨークで独りきりになったエリックは、家の改築で一時的に階下に越してきた年長の友人ウォルター(篠井英介)と親しく付き合うようになる。ウォルターのパートナーであるヘンリー(山路和弘)は世界中を飛び回る不動産王だ。二人は結婚しているわけではないが、エイズが蔓延した恐怖の時代から36年にわたってパートナーであり続けてきた。ぎこちないディナーからはじまった交流を通じて、エリックとウォルターは互いに通じ合うものを見出していく。

そして開幕した『最愛の少年』の舞台は熱狂的な賞賛をもって迎えられ、翌年秋にはブロードウェイに進出することになる。だが、アダムが「記憶にある中で最もスリリングな舞台デビュー」と絶賛されたのに対し、トビーは期待したほどの評価を得られない。ときは折しも2016年。大方の予想に反し、その年の大統領選を制したのはドナルド・トランプだった。それが何かの予兆であったかのように、やがてすべては悪い方へと転がりはじめる。

[撮影:引地信彦]

エリックがトビーに立ち退きの件を黙っていたことをきっかけとしてはじまった口論は婚約の解消へと発展。ちょうどそのときアパートメントを訪れたヘンリーはウォルターが病気で亡くなったことを告げるのだった。一方、エリックのもとを去ったトビーはその足でアダムのもとへ向かい愛を告げるが、拒絶され追い返されてしまう。そうして独りになったトビーは孤独と退屈を紛らす一夜の相手を探すうち、アダムと瓜二つの顔を持つ男娼レオ(新原泰佑)と出会うことになる。

一方、ウォルターの喪失を共有するヘンリーとエリックは、ともに時間を過ごすなかで互いに親愛の情を抱くようになっていく。第一部はエリックがある田舎の一軒家を訪れる場面で幕を閉じる。そこはかつて、エイズの蔓延するニューヨークから逃れるための安全な場所としてヘンリーとウォルターに見出され、そして後にはウォルターがエイズで衰弱した多くの仲間たちを受け入れ、ケアし、そして見送った場所だ。その家でエリックは、そうして見送られた最初のひとりでありウォルターとヘンリーの友人でもあったピーター(久具巨林)の姿を目撃するのだった。

[撮影:引地信彦]

エリックは新たな「家」と出会った。ではトビーは? 7年間を共に過ごした家にエリックのみならず自らの両親の遺品までも置き去りにし、トビーは過去から目を背けたまま歩みを続けようとする。そんなトビーにモーガンは自分自身と周囲との関係に正直に向き合うべきだと助言するが、トビーは取り合おうとしない。モーガンにそんなことを言われる筋合いはないと言うのだ。そう、モーガンことE・M・フォースターはゲイであることを隠したまま1970年に亡くなったのだった。同性愛を描いた小説『モーリス』は1913年に執筆されたものの、彼の死後に出版されるまで限られた友人にしか読まることはなかった。トビーはモーガンを糾弾する。「いいから想像してみてよ、あんたの時代にゲイ小説を出版してたらどうなったかって! 山だって転覆させてたよ、命だって救ってた。でもあんたはやらなかった」。

フォースターの時代、彼が生きたイギリスでは同性愛者として「正直に」生きることはできなかった。では2016年のアメリカはどうか。2024年の日本はどうか。『インヘリタンス─継承─』は変わりゆく時代、それぞれの場所でそれぞれの物語を生きるゲイの姿を描き語り継ごうとする作品だ。その顛末は後篇へと持ち越される。


後篇へ続く)

関連レビュー

『インヘリタンス—継承—』後篇|山﨑健太:artscapeレビュー(2024年4月16日)
『インヘリタンス—継承—』日本におけるゲイ・プレイの上演について(『インヘリタンス—継承—』から考える)|山﨑健太:artscapeレビュー(2024年4月17日)

鑑賞日:2024/02/11(日)