スタッフエントランスからミュージアムの奥に入り、知られざる「アートの仕事人」に出会うシリーズ第8回目。今回は、ヤマト運輸の美術品輸送部門で作品の保存のお仕事をされている相澤邦彦さんにご登場いただきます。[聞き手:坂口千秋](artscape編集部)
ヤマト運輸株式会社 美術品輸送部門 相澤邦彦さん
[イラスト:ハギーK]
美術品輸送会社のなかのコンサヴァターの役割
──相澤さんが現在所属するヤマト運輸の美術品輸送部門とはどのような部署ですか?
相澤──美術品輸送部門は、宅急便で知られるヤマト運輸のなかでも美術品を専門に扱うセクションで、美術品のロジスティクスに関する業務全般を手がけています。美術品は高額で代替がきかないものですから、作品に適した梱包や輸送用木箱を制作し、美術品専用車両で輸送して、開梱、展示撤去といった一連の作業を行ないます。美術品独特の通関手続や保険に精通したスタッフもいます。美術館や個人コレクター、ギャラリーなどの美術品を保管庫でお預かりする業務や、コレクションを活用した展覧会企画のお手伝いなども行なっています。
──美術品輸送部門は全国にどのくらいあるんですか?
相澤──東京では本社内に事業本部があり、事業所が2カ所あります。全国では北海道、仙台、長野、名古屋、京都と大阪、広島と福岡にありますが、やはり東京と関西が大きいですね。ヤマト運輸全体で約16万人の社員のうち、美術品輸送部門は230人と小さな部署ですが、近年は仕事が増えて忙しく、私も時々展示作業の手伝いに行きます。
──そのなかで、コンサヴァター(コンサベーター)として相澤さんはどんなお仕事をされていますか?
相澤──ひとつは社内で美術品を扱うリスク予防や修復のためのアドバイスです。ヤマト運輸に入る前は、複数の美術館で20年以上保存修復に従事していました。そこで得た知見をもとに現場からの相談に応え、初めての事例は調べて一緒に考えます。また美術館やコレクターの方からの修復に関する相談にも対応しています。そのほか、世界の美術品輸送業者が集まる国際ネットワーク会議に出席して情報収集もしています。安全な状態を維持して美術品を運び活用する仕事と考えると、これまでの仕事の延長線上にあると思っています。
──どんな相談がありますか?
相澤──絵の破損の原因調査、燻蒸の効きめ、現代作品の保存や修復に関するアドバイスなど、ありとあらゆる具体的な現場の話です。過去のさまざまな事例や研究成果が対処の仕方の参考となるため、情報収集や情報交換は欠かせません。いまは論文や最新の知見がインターネットで読めますが、もっと時間が欲しいです。
──それは、帰宅後や休日に本を読んだりネットで調べたりされるのでしょうか?
相澤──そんな感じです。だから、ひとり研究所(笑)。それは美術館でも会社でも変わりませんね。
──美術品輸送会社は国内にいくつかありますが、海外にもたくさんあるのですか? 違いはありますか?
相澤──各国に美術品や文化財があるので、美術品専門の輸送会社は大小たくさんあります。その国の文化や風土によってそれぞれ特徴が異なることと、展覧会等のための国際的な作品の移動は常にありますから、情報交換が盛んです。イタリアをはじめ海外の輸送会社にはコンサヴァターを置くところが多く、修復工房を持つ輸送会社もあります。日本では、多分私が初めての例ではないかと思われます。
SDGsの取り組み
──輸送会社のなかに相澤さんのような経験を積んだコンサヴァターがいると安心でしょうね。
相澤──これまでの経験やネットワークなどを、いまの仕事や研究開発に少しでも役立てることができれば、と思っております。いま、環境危機への対策は環境負荷が大きい輸送業界全体のグローバルな課題であり、ヤマト運輸もSDGsを考えた輸送の研究にかなり力を入れています。海外輸送用の頑丈な木箱は再利用が難しいため毎回使い捨てでしたが、繰り返し使える絵画用の汎用クレートをアーティゾン美術館や国立アートリサーチセンター/国立西洋美術館と共同開発しました。この汎用クレートを活用して輸送箱に使用する木材と廃棄量を減らし、再生資材の積極的利用も進めようと、海外の先行事例を聞き取りしているところです。
絵画用のクレート。従来の使い捨ての作品輸送用木箱。温湿度の安定化や振動軽減のために2重構造になっている。個々の作品に合わせて箱が作られることと長期的な保管場所確保の課題があり、繰り返しの使用が難しい
国立アートリサーチセンター/国立西洋美術館と共同開発した輸送箱(リユーザブル・クレート)。さまざまな作品サイズに対応し、繰り返し使用可能となるよう工夫されている
──確かにクレートが毎回使い捨てというのはもったいないですね。汎用箱が普及するといいのですが。
相澤──ただ、問題は箱の保管場所です。温湿度管理も必要で広大なスペースが必要になります。長期的には汎用クレートを使う方がコストは下がりますが、一個あたりの額が高価なことと、保管場所が課題です。
──環境負荷を抑える海外の具体例はありますか?
相澤──欧米の環境危機への意識は高く、輸送箱や展覧会用の仮設壁の再利用、空調管理の精査は以前から行なわれており、緑化によって空調の負荷を抑えようという事例もあります。また時期を変えて同じ展覧会を開催したり、収蔵品を活用するなど、企画自体も変化してきています。作品輸送時にクーリエが同行せず飛行機による移動を減らす取り組みもあります。しかし私も経験があるのですが、リモートではやはり状態がよくわからないし、指示も伝えづらい。また自然災害や戦災のような緊急時にクーリエが現地にいないと対応が遅れる心配があります。いずれの場合もメリット/デメリットがありますが、環境問題は差し迫った危機ですから、かかるコストと環境へのメリットのバランスを探っていく必要があります。
美術館におけるコレクションの保存と修復
──相澤さんが保存修復の仕事につかれたきっかけは?
相澤──美術や美術館に興味をもったのは大学受験の浪人生のときでした。実家に比較的近いところにDIC川村記念美術館があり、美術作品と美術館という制度そのものに興味を持ちました。大学では歴史学や社会学を横断的に勉強しましたが、もう少し美術や美術館について知りたくて学芸員資格をとり、その後、川村でアルバイトを始め、いろいろな縁があって大学最後の頃は修復工房や額縁工房で週に5-6日フルで働き出張にも行っていました。90年代後半からの5年間は、まさにオン・ザ・ジョブ・トレーニングで修復について学びました。
──その頃はどういった作品の修復をされていたのですか?
相澤──私の先生に当たる方は油彩画の修復が専門でしたが、新しい作品の修復も積極的にやっていたので、現代美術の作品がよく回ってきました。50年代終わりから60年代の日本の戦後美術が中心で、リキテンシュタイン、ピカソ、ティンゲリーなど海外の作品も扱いました。現代美術作品は構成素材の寿命が短く、構造的に脆弱性があって早々に問題が生じるものも多く、その場合必ずしも伝統的な修復方法が適用できないため、ひとつずつ検証と考察を重ねて処置をしながら多くを学びました。
──その後、森美術館、兵庫県立美術館、金沢21世紀美術館と移籍しながら、常にコンサヴァターの役割でした。この間の変化というのはありましたか?
相澤──森美術館に10年、兵庫県立美術館に7年、金沢21世紀美術館に4年いましたが、その間に民と公、地域性、新聞社等による巡回展が多いか、自主企画展を中心とした運営か、などいろいろな違いを経験しました。また国内でも現代美術館がいくつもオープンし、芸術祭などで現代美術を見る機会も増えていきました。そのなかで、日本の保存修復をめぐる課題のようなものが、次第に私の関心を占めるようになりました。ヤマト運輸に入ったのは一年半前くらいです。
いまは美術館から離れて仕事をしていますが、別角度から美術館や美術の世界を幅広く見ることができている気がします。ただ、公共財としての美術品に仕事として携わる、向き合うという点では、美術館にいたときといまの状態はまったく変わりはないように思っております。
現代美術の多様性と一回性
──日本の保存修復を取り巻く問題はどこにあるのでしょうか。
相澤──私見ですが、ひとつには、保存行為の優先順位がどうしても低いように思われることです。日本全国の美術館で、常勤の保存修復担当がいる館は数えるほどしかありません。これは欧米やアジアの新興国、また古文化財を持つ国内の博物館と比べてもその差は明らかです。集客性や直近の収益性(現世利益的な)はもちろん重要ですが、そこにつながりにくい保存維持行為はどうしても後回しになってしまうと言えそうです。しかし保存とは、実は展示・発信にも教育普及にも必ず関わるはずなんです。デジタルアーカイブの活用も、記録をとりアーカイブを整えて初めて発信が可能になるはずです。しかし現時点ではデジタルの活用の部分が先行していて、デジタルアーカイブ化自体はなかなか進んでいないように思われます。
アーカイブや保存に⼒を⼊れることは、発信⼒の強さや広く共有されること、アクセス可能となることに欠かせないのではないかと思われるのですが、現状では難しい課題が多々あるように感じています。
美術品を国⼒として前⾯に押し出して競い合う国のなかでも、シンガポールや韓国などアーカイブや保存に⼒を⼊れる国はやはり発信⼒も強い。将来的なリスクに対処することが⽇本は弱いように思われますし、いまは国の経済⼒も落ちているので、残念ながらこの状態はずっと続くのではないかと思われます。
──活用のためにこそ保存が重要なんですね。
相澤──そうだと思います。さらに現代美術の多様性と芸術の一回性の問題があると思います。現代美術作品の素材や表現方法は年々複雑化し、多様化しており、その拡張する多様性そのものが現代美術の特徴です。とりわけ近代以降、美術や芸術作品の価値とは、個々の作家がつくった代替不可能なものであるという一回性が支持されてきました。昔は修復すると、違う作品になって返ってきたなんてこともあったんです。そうした改変が少なからず行なわれて、その反省も含めて19世紀、20世紀のほかの学問の発展とともに、保存修復の理念や倫理性が体系化されてきました。いま受け継いでる美術品は、過去から現在、将来に引き継がれるべきものです。現代美術は変化していくものという考えもありますが、私自身は時代によってその作品が変わることはなるべく避けなければならない、それが公共財を扱う保存の原則ではないかと考えております。
──保存は将来と過去の他者のため……
相澤──そう言えると思います。修復は、その公共財の価値が発揮される状態を保つために、やむを得ず行なうものだと思います。だからもし手を加えるなら、そうせざるを得なかった理由を説明し、記録を残す必要があって、でないと本物がレプリカになったり、手を加えた人の作家性すら乗って来る可能性があるわけです。信頼できる修復家は、一回性や公共性という言葉を使わなくても、いつも悩みながら慎重に手をいれていると思います。
──作品のパーツが生産終了したり、腐ちて変化したり、パフォーマンスのように残らない作品の保存はどのように考えたらいいのでしょう?
相澤──なるべく多くの人で、横断的に考察し続けること、その記録がいつでもアクセス可能であることではないかと思います。作家や関係者のインタビューを含め、あらゆる角度から情報を集め、後世での判断材料をできる限り残す必要がありますが、膨大な作業になります。ナム・ジュン・パイクのブラウン管にしろダン・フレヴィンの蛍光灯にしろ、製造終了に伴い、いくつかの作品は展示再現が難しくなるはずです。そうなればオリジナルの情報を提示しながら代替品で再現することになるでしょうが、そのときオリジナルの一回性の価値はどう保たれるのか。公共性と一回性、その落ち着きどころが作品ごとにすべて異なるところが現代美術の難しいところかもしれませんね。
──保存が現代美術の根幹とも関わるとても面白い話です。もっと保存の現状に対する議論が増えて、保存の重要性への理解が広まっていけばいいと思いました。
相澤──私もそう思います。いろいろな議論がもっとあっていいのではないかと思います。川村美術館休館のニュースも個人的には本当に残念ですが、企業が経営する美術館ではあり得るかもしれないと思っていました。ただ、休館等によって作品が失われるわけではなくて、仮にロスコの部屋が海外の大きな美術館にそのまま移れば、より多くの人が見に訪れて、もしかするとさらに研究も進むかもしれません。公共財の視点から見れば、そうした指摘も可能ではないでしょうか。
──厳しい状況ですが、この仕事に就きたい人にどんなアドバイスがありますか?
相澤──日本にもわずかですが教育課程はありますし、国内外でまずは学位取得を目指すことが選択肢になると思います。そのあとは、現状では経験の場を探しながら自分で勉強するしかないかもしれません。国内の就職口は限られているので、海外で働くことも視野に入れると可能性が広がるだろうと思います。ただ、国ごとの環境もシステムも全部違うので、知識技術だけではなかなか仕事になりません。その土地や環境に応じて組み換えて調整する力も必要だろうと思われます。
──キュレーターを目指す人は多いですが、キュレーターとコンサヴァターはどこが違うのでしょうか?
相澤──キュレーターの仕事は、たとえばアート全体を群で見て展覧会に集約していく側面を感じるのですが、コンサヴァターの仕事、とりわけ修復の仕事は、一つひとつの作品にかなり時間をかけて向き合うことがどうしても求められます。やはりキュレーターの仕事とコンサヴァターの仕事は、関心の持ち方や方向性が必然的に異なると思います。でもキュレーターの仕事とコンサヴァターの仕事で重なる部分もあると思います。たとえば修復における技法や素材の科学的な知識など、キュレーションするうえでも参考になるはずですから、ゆるやかに横断的な、統合的なカリキュラムがあってもいいように思います。保存に携わる人材の継承は本当に難しいので、仕事(ポスト)の拡充と次世代の人材確保の必要性を感じています。この点については、まずは、一般のなるべく多くの方にコンサヴァターという仕事を知っていただくことが前提になるのではないかと思います。もし広く、多くの方がその重要性を知って支持してくださったら、システムも少しずつ変わっていくのではないかと思います。
──今後はどんなことに目を向けていきたいとお考えですか?
相澤──保存修復に関しては、これまで一つひとつの事例に取り組んできましたが、ひとりの人間ができることには限界があるので、やはりシステム化されて普及しないと、誰かがその場でがんばってもなかなか長く続かないように思われます。ですからいまはやはりシステムに関心があります。この点に関しては、美術館の保存機能や保存体制のシステムについての研究を可能な範囲で進めたいです。これまで近現代のアートに数多く実際に触れてきた自分の経験を活かして、研究を続けて発信していけたらと思っています。
相澤邦彦さんの仕事道具
①拡大鏡:頭につける虫眼鏡。手が自由に使えるのと、対象箇所を詳細に観察するのに欠かせません
②ポケットライト:光が十分にないと詳細に確認できないため、必須です。一番よく使う道具かもしれません
③カメラ類:デジタル一眼レフ、マクロレンズ、標準ズームレンズ、広角ズームレンズ、フラッシュ、コンデジ。詳細な記録のために欠かせません
④基本の道具:外科メス、紫外線ライト、極細の筆など、修復/額装/展示などで基本となる道具類です
⑤絵具類:補彩用の絵具、水彩ガッシュ、透明水彩絵具、アクリル絵具、色鉛筆など。補彩時は
将来的に容易な除去も考慮して、簡単に取り除ける絵具を選びます
⑥電気コテ:割れて浮き上がった絵具を平坦化し固着するのに用います
⑦竹串:作品表面をクリーニングする際に、串の先に脱脂綿を小さく巻いて用います。「B72」は修復用の合成接着剤です
ヤマト運輸株式会社 美術品輸送:https://business.kuronekoyamato.co.jp/promotion/art/
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