
会期:2025/04/05〜2025/04/28
会場:庭文庫[岐阜県]
公式サイト:https://niwabunko.com/2827/
(前編から)
いったいどれがなにであるか、作品タイトルや値段と照らし合わせて確かめる必要性はほとんど感じない。だが、小内が詩人であることをもし知らないのだとしても、入口付近には詩集が置かれていて、この陶器の手触りと同じように言葉を読めるのだと想像してしまう。タイトルにあてられた言葉を見逃すことは私にはできなかった。
ハンドアウトは貸し出し制になっており、片面に庭文庫の平面図と一部の本棚の立面図が、もう片面に全作品のタイトル、ナンバリング、値段、素材が載っている。76まで振られた数字のうち2つは縁側の窓際に吊られた可視光の練習(カーテン)を指す★3。残りの数字で指される作品のいくつかは同じタイトルを共有しているが、焼き物であるそれらは、工業製品のような同一性を持つわけではない。本屋の天使のオーナメントの形のずれは、個体差というよりひとつの存在が少しずつ違う姿を見せているように思える。膝を抱えた羽つきの生き物に見える疲れたジンも同様だ。いくつもの場所にいるからこそ、むしろ同じものに見えてくる。異なる時制にあるものが、いま同時にいるような……。
ナンバリングから外れたものとして、a安全な孤独について、bコップとお皿と振られたもののふたつがある。aは山側の幅広の廊下にあり、bは入口に入ってすぐのハンドアウトを置いたレジの近くにある。ほかの部屋は元々の襖が外されて連続した空間になっているが、この二つは少し外の空間だといえる。
安全な孤独について、と題されたaは46点の小さな写真で構成されている。同じ日の24時間かは不明であるが、さまざまな時間帯の風景が写されている。幅2メートル近い空間なので、廊下というよりは部屋に近く、廊下のように奥と手前を行き来するだけでなく、ぐるりと回れるゆとりがある。写真は時計回りにたどると時系列になっていて、時折短いテキストが添えられている。直接見えていなくても、視野の端に、背中側に、あの写真があることを強く意識することになる。あの写真に写っていたのは、1日というひとつらなりの時間のなかにそれぞれあったものたちだ。一方、bはその名のままに、日用品のようだ。同じかたちをしたものが集まって並んでいる。
76のものたちも、窯の中では集まっていたのだろうか。同じ時に焼かれたものたちが、いまは部屋のあちこちへ分かれている。
文机や棚の上にも作品が置かれている。疲れたジン(草むら)[撮影:明津設計]
「今回の展示では、宿という性質上ほとんど在廊はしないつもりです。(中略)心配で在廊してしまいがちなわたしですが、わたしがいないということを前提に構成したので、安心して見てもらえたら嬉しいです」と小内は展示の紹介文で述べている。意図的に、このテキストのねじれは残されているのだろう。「心配で在廊してしまいがち」なのは小内であるが、「安心して見てもら」いたいのは来訪者である。このねじれの間で省略されているのは、わたしの在廊があなたの心配につながるかもしれないという予感だろう。わたしがいないということへのわたしの心配よりも、わたしがいることによるあなたの心配をわたしは尊重し、あなたに「安心して見てもらえたら」わたしは「嬉しい」。わたしの「心配」はあなたの「安心」によって「嬉しい」に変わりうる。庭文庫にいるものたちに出会うこと、そこで少しばかり大きな生き物として過ごすこと、それが孤立ではなく孤独であると感じられるようになること。安全な孤独というのは、それが孤立ではないと思えるように、先に確かめられた状態なのかもしれない。小内は私たちを先回りして待ち構える者というより、ただ先にここへ来たことがあるだけの者だ。だから、小内は自分のしたことで安心できるかどうかを、あなたに先んじて考えている。そして、わたしにとっての安心があなたの安心につながるよう、安全を守ろうとする。
笠置ダムから上流側を眺める。この方向に笠置峡を進んでいくと大井ダムが現われる。庭文庫から見下ろすあたりもこのような静けさ[筆者撮影]
その小内もまた、庭文庫の中に、わたしより先にいたものの安心を感知している。少なくとも100年、この安心は続いてきたことだろう。笠置峡の水面は、ただ流れている川を目にするよりも、過去を思わせ、この風景が続いてきたことに信を置けるよう助けてくれる。時間の流れがおかしくなっているようだ。
可視光の練習。ばらばらに訪れた私たちは、長い時間をかけてようやく写し取れる光を、一緒に目に焼き付けているのかもしれない。あの縁側から、背後にわたしたちやあなたたちのいることを思い出しながら。この水面の左にも、右にもまだ続きのあることを思いながら。
★3──植物を大きく拡大し、ぼけさせた写真が全面に印刷されている。この方法は、北アルプス国際芸術祭で発表された《えねるぎの庭》(2024)にも見られた布の使い方から続くものと思われる。前作では小さな横長の一枚であったが、透ける布越しに光が見えて、視野の端で布の向こうにある小さな池が見えていた。そういえば、この池も小川の流れる途中にあって、ほとんど止まっているようだった。
滞在日:2025/04/22(火)〜23(水)