暑い! 今年は梅雨明け宣言が出る前から、すでに尋常ではない熱気に包み込まれていて、外に出るとうだってしまう。夏は好きな季節だが、さすがにこの暑さのなかを歩き回るのはかなり体に応える。とはいえ、夏は写真展の季節ではある。記憶を辿ってみても、蝉時雨のなかをギャラリーや美術館にようやく着いて、そこで冷房でやっと一息という年が多かったような気がする。今年も夏の到来とともにいい写真展が目白押しで、充実した日々を送ることができた。
2025年5月22日(木)
大阪・服部天神にあるG&S根雨は、5年前にオープンしたギャラリー。オーナーの石井仁志さんは昔からの知り合いで、孤軍奮闘でよく頑張って運営しているので、一度訪ねなければと思っていた。ちょうど大学の授業で大阪に滞在していたので、見に行こうと思ったら、あいにく水曜日と木曜日は休み。でも、無理にお願いしてギャラリーを開けてもらって、展示を見せていただくことができた。G&S根雨では、今年1月から連続展「北井一夫という写真家」を6回にわたって開催している。「抵抗」「過激派」などの初期の作品を展示した第1期からスタートして、今回見ることができたのは、第3期の「1973年中国」「1990年代北京」という、中国を撮影した写真69点の展示だった(2025/05/09-06/30)。以後も「村へ」「三里塚」「いつか見た風景」などの代表作を含む北井の写真が、12月まで開催される予定である。写真はすべて、作家本人の手焼きのプリント。北井一夫の写真の世界を、丸ごと、そのままの形で伝えたいという石井さんの思いがあらわれている。ちょうど今年80歳を迎えるということで、1960年代後半以来、日本の写真を牽引してきた北井の写真の仕事をあらためてふり返るいい機会となるだろう。
石井仁志氏[筆者撮影]
2025年5月29日(木)
普後均「On the Ground」(MEM、2025/05/17-06/01)には、「蝉を拾う」「時に触れる」「天地を見る」の3シリーズが出品されていた。「蝉を拾う」は2004年、他のシリーズは2008年に撮影された未発表作品である。家の周囲や近くの運動場で、蝉の遺骸を拾って撮影する(最終的にはそれをすり潰して瓶に入れて保存する)、運動場の地層にカメラを向ける、足元の地面を撮影した後に目を上げて空を撮る――それらの行為を積み重ねることで、生命の誕生と死、それらを貫く時間の流れ、空間の広がりなどが写真に写り込んでいく。いかにも普後らしい、コンセプチュアルなアプローチなのだが、撮影行為そのものには、自由でのびやかな気分が漂っているように感じる。展示作品を見ているうちに「身近な永遠」という言葉が頭に浮かんできた。
「On the Ground」展示風景[筆者撮影]
2025年6月1日(日)
幸本紗奈は1990年、広島県生まれの写真家。武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業後、着実に自分の写真の世界を育てていこうとしている。2019年に刊行された最初の写真集『other mementos』(Baci)もそうなのだが、小さな画像に写り込んでいるのは、意味を結ぶ前の断片的なモノや風景である。今回の東京・目黒金柑画廊での個展「hums behind mirror」(2025/05/31-06/22)でも、鳥や貝などの生き物、子供の姿、螺旋状の建造物(マケット)、不分明な光や影など、写真のテーマはとりとめがない。だが、それらが目に飛び込み、ゆるやかに結びついていくと、「物事が像になる前の気配や、言葉に落とし込まれる前の世界」が、たしかに形をとりつつあるように感じる。写真相互の関係性を強く保って、より大きなグループとして見せていくようにすれば、作品全体のヴィジョンがもっと明確に見えてくるだろう。銀塩カラープリントへのこだわりを感じさせる、上質の写真群なので、その選択と配置に一貫性とスケール感がほしい。
「hums behind mirror」展での幸本紗奈[筆者撮影]
2025年6月13日(金)
東京・恵比寿のsee you galleryで開催された、アートコレクティブ、GC magazineの展示「魁*タギッテルステイト」(2025/05/31-06/17)が、とても面白かった。黒白チェックのフラッグ、レンガのオブジェ、映像、湿板写真、写真集、顔ハメパネルなどによるインスタレーションなのだが、中心的なテーマは写真家・土門拳の若き日のエピソードから採られている。土門は下積み時代に、レンガをカメラ(ドイツ製のアンゴー・カメラ)に見立てて、縦位置500回、横位置500回、目の所まで持ち上げる鍛錬をしたのだという。その様子を、GC magazineのメンバーが道着に上半身裸で再現した映像、それを撮影した写真が、展示のテーマになっていた。700ページの分厚い写真集、鉄鎖付きのフレームにおさめられた湿板写真など、作品の作り込みが丁寧で、「かつて写真そのものに宿っていた熱量の根拠」を問い直すという彼らのコンセプトが、しっかりと伝わってきた。
「魁*タギッテルステイト」展示風景[筆者撮影]
2025年6月14日(土)
永瀬沙世は、zineの刊行を中心として、コンスタントに作品発表を続けてきた。今回、東京・恵比寿のALで開催された個展「EYE」(2025/06/10-06/22)でも、展示に合わせて、自身のレーベルYomogi Booksから13冊目の同名の写真集が刊行された。本作が撮影されたのは、韓国のソウルである。といっても、取り立てて特定のテーマや被写体にこだわっているわけではなく、街でふと見かけた場面が、断片的に切り取られている。その視点に独特の角度があり、特に被写体のテクスチャー(ツルツルのものから、ざらついたものまで)への繊細な目配りが感じられる。以前に比べると、被写体の実在感が増し、生々しい傷口をさらしているように感じるものが増えてきた。被写体の選択の幅を広げ、ほかの都市の写真も取り入れた、より大きな括りのシリーズも考えてよいのではないだろうか。
「EYE」展示風景[筆者撮影]
2025年6月25日(水)
ピンホールカメラを使った作品は、どうしても同じような見え方になってしまう。ややピントの甘い不分明な画像多くなるからだ。だが、岡本明才の「Pinhole Camera Extended」(kanzan gallery、2025/06/07-07/13)の展示を見て、あらためてピンホールカメラによる表現の可能性を感じた。岡本は、2006年ごろからピンホールカメラによる作品を制作しはじめる。内側に印画紙を42枚貼り付けたという「軽トラほどの大きさの巨大カメラ」からスタートして、部屋自体をピンホールカメラにする、デジタルカメラでさらに巨大化を進める、ピンホールの穴と外の風景を一緒に写す、戸口のような大きな穴を使って撮影するなど、さまざまな実験を試みてきた。その成果を集成した本展を見ると、岡本の関心が「写す」ことではなく「写す仕組みを作る」ことに移行してきたことがわかる。ピンホールカメラで像を得ることの初発的な歓びが、どの写真にも宿っているように感じた。
「Pinhole Camera Extended」展示風景[筆者撮影]
2025年6月26日(木)
1981年、神奈川県出身の宇田川直寛は、横田大輔、北川浩司と結成したアートユニット「Spew」などで、写真作品の発表を中心に活動してきた。だが、もともと彼のなかには、制作行為と生活とを同レベルで捉えていきたいという志向があり、近作では生活感のあるオブジェによるインスタレーションの比重が高まってきている。今回、ふげん社ギャラリーで開催された個展「家のやり方」(2025/06/06-06/29)でも、写真プリントもあるが、会場の大部分を占めていたのは、テーブルをひっくり返したような空間に、無造作に並べられた奇妙なオブジェの群れだった。インスタレーションの素材となっているのは、「セラミック、百日紅の枝、紙に鉛筆とインク、タイルカーペット、葉、片栗粉、砂糖、水、小麦粉、塩、蜜蝋、石膏、虫ピン、テグス、マスキングテープ、シール」など、とてもアート作品の材料とは思えないものばかりだ。彼自身の生活において実際に使われていたモノがほぼ無作為に取り込まれ、どこか楽しげな不協和音を奏でている。ここからしかアートは始まらないという、宇田川の確信が伝わってくるいい展示だった。
「家のやり方」展示風景[写真提供:ふげん社]
2025年6月29日(日)
東京・中目黒のギャラリー、Poetic Scapeは、家から近く、会期も長いのでいつでも行けるように思ってしまう。ところが、ついうっかり頭から抜けていることがあって、気がつくと展覧会が終わっているということがよくあった。今回の野村浩の個展「RUINDAKU/KUDANIRU」(2025/05/17-06/29)も、気づいたら最終日になっていた。慌てて出かけたのだが、行ってよかったと思える展示だった。野村はPOETIC SCAPEで12回個展を開催していて、そのうち6回が写真、6回が絵画を中心とした展示だったという。東京藝術大学出身で、両方のジャンルに足をかけた作家活動を展開している野村らしいラインナップなのだが、今回は油彩による絵画作品の展示だった。とはいえ、「人々のあいだで共有されているようで、実際には曖昧なもの」を象徴化した「KUDAN」=件(くだん)という、角が生えた牛のキャラクターが登場する今回の展示もそうなのだが、彼の発想は元々写真と絵画の両方にまたがっているので、その両ジャンルの往復にはまったく無理がない。「KUDAN」のキャラが、今後、写真や言葉の領域にはみ出ていくことも、充分に考えられそうだ。
「RUINDAKU/KUDANIRU」展での野村浩[筆者撮影]
2025年7月3日(木)
暑い日が続いているので、新井靖雄の「雪の屋久島」(ニコンサロン、(2025/07/01-07/14)のような清涼感のある写真展に足を運ぶとホッとする。新井は、清水武甲に師事して、秩父地方を中心に撮影してきた山岳写真家だが、58才の時に、屋久島の永田岳大岩壁の威容を目にして、2000メートル近い宮之浦岳をはじめとする、冬の屋久島の山岳地帯に通い詰めることになった。厳冬期の「雪の屋久島」の自然環境の厳しさは想像を超えていて、樹木や岩に風で雪や氷が付着する「エビのシッポ」と呼ばれる現象など、「誰も見た事がない自然」の眺めを撮影することができた。その成果は2020年に写真集『雪の屋久島』(言叢社)として刊行されたのだが、今回のニコンサロンでの展示は、40点の写真で13年間にわたる屋久島体験を集大成している。特筆すべきは、斉藤敏夫によるプリントの素晴らしさで、その深みのあるモノクロームのトーンによって、比類のないスケールの屋久島の自然の姿がくっきりと浮かび上がってきていた。
「雪の屋久島」展での新井靖雄[筆者撮影]
2025年7月4日(金)
守田衣利の2024年度第4回ふげん社写真賞の受賞は嬉しかった。私は1990年代にキヤノン主催の「写真新世紀」の審査員を務めており、守田は1998年に優秀賞(ホンマタカシ選)を受賞している。その頃から力のある写真家だと思っていたのだが、その後、写真集『ホームドラマ』(新風舎、2005)は刊行してはいるものの、あまり目立った活動を展開してはこなかった。その間、彼女は結婚し、娘を出産し、ニューヨーク、ハワイ・マウイ島、東京、上海、熊本、宮崎、サンタモニカと移り住み、現在はサンディエゴに在住している。ふげん社写真賞を受賞し、同社から写真集も刊行されたた本作「Moon Rainbow」は、守田と家族3人の日々を、2005年から2023年まで綴った作品で、その間の家族間の感情の機微、周囲の状況の変化を、丹念に、しかも深まりゆく思いを込めて撮影している。ひとりの女性の「人生」そのものの記録ではあるが、重苦しい印象はなく、むしろ「これでよかったのだ」という安堵感に包み込まれる。ふげん社のギャラリーで開催された同名の展覧会(2025/07/04-07/27)も、写真の大きさ、配置に気を配った極上の出来栄えだった。
「Moon Rainbow」展での守田衣利[筆者撮影]
2025年7月11日(金)
楽しみにしていた展覧会。期待に違わぬ、いい時間を過ごすことができた。ルイジ・ギッリ(1943-1992)はイタリア・レッジョ・エミリア近郊のスカンディアーノで生まれ、主にモデナで創作活動を行なった。1970年代から写真作品を発表するようになり、スナップ写真の表現可能性を、独特の切り口で拡張したカラー写真で評価を高めていった。日本でも2000年代以降、小規模な展覧会は開催されてきたが、東京都写真美術館 2階展示室で開催された「ルイジ・ギッリ 終わらない風景」展(2025/07/03-09/28)は、彼の日本では最初の大規模な回顧展である。ポスター、看板、地図などのある街路や室内を、現実と虚構とを意図的に撹乱するように写しとる、絵画作品とそれを見る観客との関係に着目する、自室の蔵書や家具をセルフポートレートの代替物として撮影する、建築家のロッシや画家のモランディーニのアトリエに、彼らの作品へのオマージュを込めてカメラを向ける――ギッリの写真は、いつでも自然体で、撮ることの歓びがみなぎっている。彼が伝えてくれる、世界を目だけではなく、全身で味わうことの幸福感は他に代え難いものがある。
「ルイジ・ギッリ 終わらない風景」展示風景[筆者撮影]
2025年7月15日(火)
世田谷美術館で開催中の「野町和嘉─人間の大地」展(2025/07/05-08/31)を見にいこうと、田園都市線の用賀の駅を出て歩いていたら、いきなり大雨になった。風も出てきて傘も役に立たず、びしょ濡れになってしまった。われわれの日常では、こんな時以外は自然の力を思い知ることはない。だが、美術館にようやく辿り着いて目にした野町の写真の世界には、圧倒的としかいいようのない大自然の姿がありありと写り込んでいた。むろん、彼の写真の中心的なテーマは、自然と対峙しつつ、祈りとともにその力を受け止め、生き抜こうとしている人々の生の営みなのだが、むしろ彼らを包み込む世界の広がり、深さ、美しさの方に目を奪われてしまう。野町は1972年、25歳の時に初めてサハラ砂漠に足を踏み入れ、以来世界各地に旅して、その驚嘆すべき眺めを撮影し続けてきた。本展はその50年以上にわたる写真家としての営みの集大成だが、もはや二度と撮影できない奇跡のような場面が連続する展示を見ながら、人も自然も急速に画一化されつつある、現在の地球の状況に、どうしても思いを馳せざるを得なかった。
「野町和嘉─人間の大地」展示風景[筆者撮影]
2025年7月17日(木)
戦後80年という区切りの年に、土田ヒロミの広島の写真が何箇所かで展示される。そのうちのひとつ、大阪・中之島香雪美術館で開催されている「土田ヒロミ写真展『ヒロシマ・コレクション』─1945年、夏。」(2025/06/28-09/07)を見て、あらためて、月並みな感想ではあるが、写真による“記録”の凄みに感嘆した。土田は広島平和記念資料館が所蔵する、被災者たちの資料、400点余りを、1982年から継続的に撮影してきた。当初はモノクロームでの撮影だったが、2018年からはデジタルのカラー写真に変わる。だが、一点一点の作品に向き合い、衣服、日用の品々、玩具などを、視覚的な情報量を最大限に発揮するように、その細部まで克明に撮影していくやり方に変わりはない。結果として、それらの写真を見ることで、われわれはあの1945年8月6日の、夏のよく晴れた朝の時間に一気に連れていかれる。余分な感情移入や解釈抜きに、モノそのものを提示するという、写真撮影の基本に立ち返ることの重要さを、強く喚起する展示だった。
「ヒロシマ・コレクション─1945年、夏。」展示風景[写真提供:中之島香雪美術館]
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