
ペトルス・クリストゥス《若い婦人の肖像》
1470年頃、オーク板・油彩、29.1×22.7cm、ベルリン国立絵画館蔵
[Photo: AMF / DNPartcom / © bpk / Gemäldegalerie, SMB / Christoph Schmidt]
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装飾的で謎めいた世界
眉毛もまつ毛もない、おでこの広い人形のような少女がこちらを見ている本の表紙に目が留まった。『描かれた身体』(小池寿子著、青土社、2002)だった。
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の《モナ・リザ》(ルーヴル美術館蔵)を思わせる居住まい。おしゃれをしているのに嬉しそうではなく、冷めた顔でつんと澄ましている。卵型の顔に白い毛皮のV字が目を引く。黒い服と背景の板壁は平行で、帽子の刺繍と首飾りは装飾的で半円を描いて呼応している。絵の表面の細かなひび割れが模様のように感じられ、謎めいた世界に引き込まれていく。ペトルス・クリストゥスの《若い婦人の肖像》(ベルリン国立絵画館蔵)である。
ペトルス・クリストゥスとは誰なのだろう。不思議な違和感のある肖像画《若い婦人の肖像》について、本の著者であり國學院大學名誉教授の小池寿子氏(以下、小池氏)に話を伺いたいと思った。小池氏は西洋中世美術史を専門とされ、ネーデルラント美術に詳しい。東京・渋谷の國學院大學へ向かった。
小池寿子氏
オリンピックの夢から中世美術へ
1956年群馬県桐生市に生まれた小池氏は、4歳から前橋市で育った。父は実家が寺であったが化学教員となり、その後医学部へ。小学校の教師だった母、二人の兄の五人家族という。小池氏は子供の頃からスポーツと絵を描くのが好きで、西洋絵画ではモーリス・ユトリロ(1883-1955)などの静かな絵を好み、一時は漫画家になろうと思ったこともあるそうだ。また世界中を旅行してみたいという気持ちが強く、地図を見るのも好きだったという。
中学生時代は、バレーボール部のアタッカーとして活躍した。高校時代は、走り高跳びの選手として背面跳びの練習に明け暮れていた。オリンピックの出場を夢見ていたが、中学生の時の回転レシーブなどで、腰椎を圧迫骨折していたのにもかかわらず、まったく気がつかぬまま高校で背面跳びをしていたため腰を悪化させた。また17歳のとき、父が神経症から拒食症になってしまい、小池氏もその影響を受けて食事ができなくなると、体重は38キロになったという。
スポーツの選手を続けられなくなり、美術の世界へ進路を変えた小池氏。魔女狩りなど、暗い中世の時代に惹かれ、西洋中世美術史を専門とした柳宗玄(むねもと)先生が教鞭を執るお茶の水女子大学に入学した。
見つめ合うように佇む
お茶の水女子大学では、ネーデルラント美術を選び、卒業論文と修士論文は、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1399/1400-1464)の《十字架降架》(1435頃、プラド美術館蔵)について書いた。その後、博士課程へ進み、ベルギーのブリュッセル自由大学へ1年間留学する。留学先の恩師の助言もあって、中世末期のヨーロッパで流行した「死の舞踏」図像をテーマに据え、美術作品から“死生観・身体観”を読み解く研究がライフワークとなった。
1983年お茶の水女子大学大学院の博士課程を満期退学。お茶の水女子大学の助手として就職し、1989年には文化女子大学の造形学部助教授となり、1998年より國學院大學文学部助教授、のち哲学科美学芸術学コース教授、2024年9月末に早期退職した。
小池氏がクリストゥスの《若い婦人の肖像》の実物を初めて見たのは、2003年初夏だったそうだ。國學院大學の海外派遣研究として2003年4月から2004年3月までブリュッセルを拠点にヨーロッパ各地の「死の舞踏」を調査するなか、ベルリン国立絵画館で対面した。「ようやく会えたという感慨でした。色彩が鮮やかで、図版では伺えなかった、彼女の初々しさと、はにかみを感じ、見つめ合うようにしばらく佇んでいた。鮮烈で新鮮な体験だった」と小池氏は述べた。
柔らかい表現の第二世代
ペトルス・クリストゥスは、ネーデルラント(現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルクを含む低地諸国)のバールレ=ヘルトフ(現ベルギーのアントウェルペン州)に、1410年から20年頃に生まれたと考えられている。1443年頃にブルゴーニュ公国の都で、国際商業と芸術の中心地であったブルッヘ(英名:ブルージュ、仏名:ブリュージュ)へ移住し、翌年には市民権を購入して工房を構えた。そして画家組合に入り、画家としての活動を開始する。外部の人間がブルッヘで働くためには、画家組合に加入することが不可欠であった。それ以前のクリストゥスの生活や修業の過程については知られていない。
この時代は、ブルゴーニュ公国のフィリップ善良公(ル・ボン、1396-1467)がブルッヘを好み、本拠地として居住することが多く、著名な客人が外国から多数訪れ、豊かな宮廷文化が花開いていた。1441年に巨匠ヤン・ファン・エイク(1390頃-1441)が亡くなると、跡を継ぐクリストゥスの存在が増していった。クリストゥスは、1450年代末から60年代末にかけて、二つの兄弟会(相互扶助的な性質を持つ宗教団体の信徒会)に加入し、パトロンとなり得る人々と広く知り合い、スペインやイタリアでも作品が称賛されていた。
「ヤン・ファン・エイク、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、ロベルト・カンピン(1375頃-1444)の三巨星が、1400年代前半にブルッヘで活躍した時代をネーデルラント美術の第一世代とすると、1450年代以降に活躍したクリストゥスやハンス・メムリンク(1430-94)たちはその後継者である。彼らは第一世代のテクニックを受け継ぎ、ブルッヘの絵画を躍進させたが、第一世代に比べて厳格な描写ではなく、表現が柔らかい。ついで、彼らのように他地域出身を含めた数々の画家たち、そして奇想の画家ヒエロニムス・ボス(1450頃-1516)らの活躍期が訪れるが、ピーテル・ブリューゲル(1525/30頃-69)が掉尾(とうび)を飾る」と、小池氏はネーデルラント美術全体を大きく三つないし四つの時代に分けて捉えるとわかりやすいと解説してくれた。
クリストゥスは、単一の消失点をもつ遠近法を取り入れ、肖像画に室内環境の表現をもたらし、また風景画へとつながっていく自然へのまなざしを導いた。小池氏は「現存する作品は30点あまりで、多くが宗教画である。やや生硬(なまかた)く、手本としたファン・エイクの霊妙な絵画世界からすれば見劣りするのは否めない。しかし、クリストゥスが晩年に描いた《若い婦人の肖像》は、キリスト主題の宗教美術が多い中世において稀有な存在感を醸し出している」という。クリストゥスは1475年ブルッヘにて亡くなった。
若い婦人の肖像の見方
①タイトル
若い婦人の肖像(わかいふじんのしょうぞう)。英題:Portrait of a Young Lady
②モチーフ
10代半ばの若い婦人。
③制作年
1470年頃。クリストゥス50~60歳。
④画材
オーク板、油彩。
⑤サイズ
縦29.1×横22.7cm。
⑥構図
室内空間を暗示する壁面を描き、四分の三正面観の簡素な構図。肖像画は単色の背景に横向きが多かったが、ネーデルラント絵画より人物の個性が表われた四分の三正面観が登場する。
⑦色彩
黒、グレー、茶、黄、青、ピンク、白など多色。
⑧技法
薄めた顔料を塗り重ねて深みや遠近感を出すグレーズ技法を用いて写実的に描いた。背景に壁板を描き、左から差し込む光によって、鑑賞者の方を向く婦人に空間を与えている。
⑨サイン
なし。19世紀に消失した額には「Opus Petri Christophori」と銘文が刻まれていた。
⑩鑑賞のポイント
清楚でありながら、どこか奇妙な雰囲気を漂わしてこちらを見る、左右で形の異なる黒い瞳の目[図1]、はにかんだような薄紅色の唇。若い女性の青白い顔から不思議な魅力が放たれている。貴族的な威厳を感じさせつつ、重厚なドレスが狭い肩、ほっそりとした首の繊細さを引き立たせている。目を凝らして見ると、V字の切れ込みを埋める黒い肌着には小さなピンがあり、それは胸元から首筋を覆う透明の薄い布を留めている。金の縁取りと小さな真珠で飾られた円筒形の黒いベルベットの帽子。輝く真珠でつながれた精巧な三連のネックレス[図2]。白いアーミン(オコジョ[シロテン])の毛皮で縁取られた青いドレス。額には黒いベルベットの輪が垂れ下がり、その当時の流行に合わせて、髪を後ろにくしけずって広い額が際立っている。眉毛を落とした欠如感や、左右の眼差しのずれによる不均衡が、女性的でありながら子供のような人工的な官能性を醸し出す。無表情のなかに入り組んだ内面性を表出したクリストゥスの代表作であり、ヨーロッパ絵画の歴史のなかでもよく知られた肖像画の逸品である。
図1 左右形の異なる目(《若い婦人の肖像》部分)
図2 精巧な三連ネックレス(《若い婦人の肖像》部分)
無表情という表現
ネーデルラントの第二世代、1450年代に活躍したペトルス・クリストゥスは、モデル(被写体)の個性が表われてくるような肖像画を描くようになった。小池氏は、その理由を「キリスト教一色といってもいいような長い中世を経て、ハンザ同盟の隆盛や15世紀にイタリアのメディチ家が財によってパトロンになったことが大きい。ネーデルラントでは交易が盛んになり、イギリスから羊毛を輸入して毛織物産業が栄え、たくさんの商人が生まれ豊かになった。ブルッヘやロンドンにメディチ銀行の支店ができ、銀行家や商人たちが自分たちのステータスを確立するために絵画を注文することが起こった」という。
「クリストゥスの肖像画は、個性の表出という点で傑出している」と小池氏。モデルの性格や気持ちがわかると言い、美術評論家の粟津則雄は、「彼がここで表現したことは表現ではなく、無表情である。だが、いったんそれに気がつくと、その無表情は、生き生きと身を起こし、ふしぎな力で見る者を捉えるのである。クリストゥスの手柄は、無表情という表現を発見したことにあると言っていいかも知れぬ。この作品に見られる無表情は、まさしく無表情であることによって、見る者の眼に、消しがたく刻みつけられるようだ」(粟津則雄『美術の窓』No.358、p.74)と書き残している。
小池氏は「この時代の特色は個の表現である。“個人の誕生”や“個の目覚め”と言ったりもする。中世の宗教画や肖像画を時系列で見ていくと、クリストゥスの肖像画は、中世から抜け出ており、近代的な感覚を覚える。鑑賞者を見つめているという点でも、同時代の肖像画とは異なる」と述べた。
クリストゥスによって、肖像画における室内表現も創始され、やがてディーリック・バウツ(1415頃-74)によって室内肖像画ともいうべき表現へと継承されていった。クリストゥスの《若い婦人の肖像》は、フェルメール(1632-75)の《真珠の耳飾りの少女》や、コロー(1796-1875)の《真珠の女》につながっているようにも思えてくる。
危うい揺らめき
小池氏は「《若い婦人の肖像》の女性がいったい誰なのか、注文主は誰なのか、わかっていない」という。若い婦人はイギリス人やフランス人などと言われているが不明である。絵の額に「Talbot」というイングランドの貴族のサインがあったことから、女性は薔薇戦争の名将、初代シュールズベリ伯爵ジョン・トールボット卿の孫であり、第二代伯爵の娘アンかマーガレット、あるいはトールボット卿の次子の娘エリザベスか、もうひとりのマーガレットという名の娘。または、イギリス宮廷からブリュッセルへ送られた使節エドワード・グリムストーンの妻アリスや、ブルゴーニュ公シャルル突進公(ル・テメレール、1433-77)の二番目の妻でブルボン家のイザベラなど諸説あり、未解決だそうだ。
「《若い婦人の肖像》の女性は、目がつり上がっていて、おすまししたような唇で、とても魅力的。女性は16歳頃。絵のタイトルでは婦人となっているけれど少女である。当時の結婚は16歳くらいが多く、それを過ぎても二十歳を越えることはない。結婚の記念に描かれた可能性はある。向かって左側の顔だけを見ればあどけなく、右のみに視線を集中すれば、少女を脱して生の何たるかを知りはじめた女を垣間見せる。その危うい揺らめきが、この顔を忘れがたい小品にしている」と小池氏は述べた。
《若い婦人の肖像》の見どころとしては、「目と唇。特に目。目の角度が微妙で片方がつり上がっている。口元もちょっとすねたような感じで、これを描けるところがすごい。この表情は近代になるまで出てこないと思う。もうひとつはビロードの服。アーミンという冬毛オコジョの毛皮だが、主にロシアから入ってきている。どのくらい価値のある毛皮なのか調べたら面白い。あと帽子の形が珍しい。ネーデルラント絵画だと少し尖った帽子にリネンを被るが、これは帽子の上部が平らになっている。帽子の型によってステータスや未婚既婚がわかる。またネックレスも見どころだ。三連はこの時期のネーデルラント絵画にときどき描かれている。宝飾品の歴史から調べてみるのもいいだろう」と小池氏は語った。
小池寿子(こいけ・ひさこ)
美術史家、國學院大學名誉教授。1956年群馬県生まれ。1978年お茶の水女子大学文教育学部哲学科卒業。1980年同大学大学院文化研究科修士課程修了、1981年ベルギーのブリュッセル自由大学へ留学し、1983年お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士課程単位取得満期退学。1983年お茶の水女子大学文学部助手、1989年文化女子大学造形学部助教授、1998年國學院大學文学部助教授のち哲学科美学芸術学コース教授、2024年9月退職。専門:西洋中世美術史。美術作品から死生観を探ることを研究主題とする。主な賞歴:2000年第50回文化庁芸術選奨文部大臣新人賞(『死を見つめる美術史』)。所属学会:美術史学会、日仏美術学会、地中海学会、西洋中世学会。主な著書:『死者のいる中世』(みすず書房、1994)、『死を見つめる美術史』(ポーラ文化研究所、1999)、『描かれた身体』(青土社、2002)、『「死の舞踏」への旅:踊る骸骨たちをたずねて』(中央公論新社、2010)、『内臓の発見:西洋美術における身体とイメージ』(筑摩書房、2011)など。
ペトルス・クリストゥス(Petrus Christus)
ネーデルラント(現ベルギー)の画家。1410/20~75年。バールレ=ヘルトフ生まれ。1443年頃にブルゴーニュ公国の都ブルッヘ移住し、翌年市民権を購入、その地に工房を構えて、画家としての活動を開始。ヤン・ファン・エイクやロヒール・ファン・デル・ウェイデンらの芸術を引き継ぎ、パトロンである銀行家や商人たちの祈念画や肖像画を描く。ネーデルラント絵画に個性を描写する肖像画をもたらし、後年の風景画へつながっていく自然へのまなざしを導いた。現存する作品は30点あまりで、多くが宗教画。画家の署名と年紀の残る作品は6点ある。1475年ブルッヘにて没。代表作:《若い婦人の肖像》《カルトゥジオ会修道士の肖像》《仕事場の聖エリギウス》《キリストの哀悼》など。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:若い婦人の肖像。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:ペトルス・クリストゥス《若い婦人の肖像》1470年頃、オーク板・油彩、縦29.1×横22.7cm、ベルリン国立絵画館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:Christoph Schmidt、Gemäldegalerie, SMB(Staatliche Museen zu Berlin)、bpk-Bildagentur、AMF(アジャンス・デ・ミュゼ・フランセ)、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式268.1MB、72dpi、8bit、RGB。資源識別子:BPK000031(Jpeg形式211.3MB、72dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールあり)。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:Christoph Schmidt、Gemäldegalerie, SMB、bpk-Bildagentur、AMF、(株)DNPアートコミュニケーションズ。
画像製作レポート
《若い婦人の肖像》の画像は、DNPアートコミュニケーションズ(DNPAC)へメールで依頼した。後日、DNPACからメールが届き、作品画像をダウンロードして入手(Jpeg、268.1MB、72dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールあり)。作品画像のトリミングは2点まで、掲載は1年間。
iMac 21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって、モニターを調整する。ベルリン国立絵画館のWebサイトにある作品画像を参考に、Photoshopで明度を調整して、作品の周囲を切り取った(Jpeg形式211.3MB、72dpi、8bit、RGB)。作品画像では作品の支持体が「板」であることが読み取れた。作品の周囲を切り取ったため、ここでは板の縁は表示されていないが、研究時には切り取った縁も重要な情報になるだろう。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。
参考文献
・Max J.Friedländer; preface by Erwin Panofsky; comments and notes by Nicole Veronee-Verhaegen; translation by Heinz Norden, The van Eycks–Petrus Christus(A.W.Sijthoff、1967)
・嘉門安雄「若い女の肖像」(『大系世界の美術 第15巻 ルネサンス美術(北方ルネサンス)』、学習研究社、1973、p.74)
・Peter H.Schabacker, Petrus Christus(Haentjens Dekker & Gumbert、1974)
・Joel M.Upton, Petrus Christus: his place in Fifteenth-Century Flemish painting(Pennsylvania State University Press、1990)
・Maryan W.Ainsworth, with contributions by Maximiliaan P.J.Martens, Petrus Christus: Renaissance master of Bruges(Metropolitan Museum of Art、1994)
・幸福輝「ファン・デル・ウェイデン以降の初期フランドル絵画」(『世界美術大全集 第14巻』、小学館、1995、pp.117-134、383)
・コリン・アイスラー著、高階秀爾監訳『ベルリン美術館の絵画』(中央公論新社、2000)
・小池寿子『描かれた身体』(青土社、2002)
・粟津則雄「私の空想美術館 第93回 ペトルス・クリストゥス『若い女の像』」(『美術の窓』No.358、生活の友社、2011.11、pp.73-78)
・木俣元一+小池寿子『西洋美術の歴史3 中世Ⅱ──ロマネスクとゴシックの宇宙』(中央公論新社、2017)
・秋山聰+小佐野重利+北澤洋子+小池寿子+小林典子『西洋美術の歴史5 ルネサンスⅡ──北方の覚醒、自意識と自然表現』(中央公論新社、2017)
・今井澄子責任編集『北方近世美術叢書Ⅳ ネーデルラント美術の精華──ロヒール・ファン・デル・ウェイデンからペーテル・パウル・ルーベンスへ』(ありな書房、2019)
・図録『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』(日本経済新聞社、2021)
・今井澄子監修『北方近世美術叢書Ⅵ 天国と地獄、あるいは至福と奈落──ネーデルラント美術の光と闇』(ありな書房、2021)
・Webサイト:「ペトルス・クリストゥス/Portrait of a Young Woman」(『Google Arts & Culture』)2025.12.5閲覧(https://artsandculture.google.com/asset/portr%C3%A4t-einer-jungen-dame-petrus-christus/UAGsuoFcmmRiTg?hl=ja)
・Webサイト:「Bildnis einer jungen Dame」(『Staatliche Museen zu Berlin』)2025.12.5閲覧(https://smb.museum-digital.de/object/227058)
・Webサイト:「Collections Online/Portrait of a young lady」(『Staatliche Museen zu Berlin』)2025.12.5閲覧(https://id.smb.museum/object/870214/bildnis-einer-jungen-dame)
掲載画家出身地マップ
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2025年12月

