座談会の様子[以下すべて、撮影:吉屋亮]
artscape30周年記念企画の一環として、現在のアートとデザインの世界における「アワード(賞)」と「審査」のあり方を問う座談会を開催しました。今回集まっていただいたのは、クリエイティブディレクターの齋藤精一氏、グラフィックデザイナーの上西祐理氏、建築家の永山祐子氏、デザイナーの安藤北斗氏、そして司会進行としてデザイン史家の野見山桜氏という5名。国内外で数多くの審査員を務め、また自らもプレイヤーとして賞に挑んできた各氏が語る、審査の現場で起きていること、そしてこれからのデザイン賞の役割とは。
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構成:太田知也
(前編より)
「領域横断型デザイン」と専門性のゆくえ
齋藤精一(以下、齋藤)──最近、グラフィックデザインの領域で気になっているのが、佐藤雅彦さんや三澤遥さんが手がけるようなもの、物事の仕組みや現象へ関心を示した統合的なアプローチと呼べばいいんでしょうか。メディアの進化によって、二次元のグラフィックだけでなく、空間や映像、仕組みそのものを作るような表現が増えてきましたよね。僕はこれを「新カテゴリー」として扱うべきかどうか悩むことがあるんですが、上西さんはどう思いますか?
上西祐理里(以下、上西)──私はグラフィックデザインだと考えています。例えば岡崎智弘さんのコマ撮り作品などは、映像ですが、1ミリ単位でレイアウトを調整するようなグラフィック的な視点で作られています。ツールやメディアは変わっても、色、形、配置といった視点はグラフィックデザインの延長線上で語れるんじゃないかと。
齋藤──なるほど。メディアの進化によって「量産性」の定義も変わってきましたよね。物が量産されることだけがデザインではなく、複製可能な「レシピ」や「仕組み」を残すこともデザインであると。
安藤北斗(以下、安藤)──ただ、そうやって領域が曖昧になって、みんなが「デザイナーです」と名乗り始めると、それぞれの専門性はどうなるんでしょう。we+は既存の専門性に特化しようとしているわけではないので、真っ当な家具を作ろうとしたら専門の職人さんやメーカーには勝てません。だからこそ、新しい視点を投げかけることに軸足を置いていて、伝統的なデザイン業界とは志向がちょっとだけ異なります。
上西──私は専門性もすごく重要だと思っています。表面的なテクニックや「雰囲気」ではなく、文字組みや、印刷物として定着させる際の緻密な設計能力といった「職人的な部分」がおろそかになると、文化として痩せ細ってしまう危惧があります。アワードや業界団体には、そうした専門技術を正当に評価し、継承していく役割もあるのではないでしょうか。
左から、上西祐理氏、齋藤精一氏、野見山桜氏
建築は「理論武装」、グラフィックは「感じろ」?
野見山桜(以下、野見山)──専門性といえば、審査の際の「言語化」についても分野ごとに違いがありそうですね。
永山祐子(以下、永山)──建築の場合、特に公共建築のコンペなどでは、ものすごい理論武装が必要です。批評や炎上が起きることを予期して、「なぜこの形なのか」「なぜここに建てるのか」を論理的に説明し尽くさないといけない。時にはコンペの要項にある言葉をある程度引用しつつ、「要項通りですよね」と鎧を着込むようなプレゼンをすることもあります(笑)。公金を使う以上、「個人の主観」だけでは立ち行かない部分があるのです。
齋藤──たしかに建築家の方にとっては、「都市はこうあるべきだ」という大きなビジョンを語るのも仕事のひとつですよね。でも永山さんは、論理的でありながら、そこに「エモーション」がふわっと入ってくる。それが絶妙なバランスで成立している新しいタイプの建築家だなと思っています。
上西──先ほど審査現場の話でも触れましたが、グラフィックデザインは言葉で説明しすぎると野暮になるという領域かもしれません。
安藤──プロダクトの場合は、「触る」「使う」という身体的な体験が不可欠です。ビジュアルで惹きつけて、キャプションで理解して、最後に触って確かめる。その三段階のコミュニケーションが必要ですね。
以前、ある審査で「発展途上国向けの洗濯機」として、ポリバケツに手動ポンプをつけただけの製品が出てきたことがありました。その隣には最新の高機能洗濯機が並んでいるんです。機能やスペックで比べたら勝負にならないけれど、社会的意義やコストパフォーマンスを含めた「文脈」で見れば、ポリバケツのほうが革新的かもしれない。そういう時、既存のクライテリア(評価基準)が音を立てて崩れる音がするんです。そして、その場で急いで新しい評価軸を作り直すことになる。
左から、永山祐子氏、安藤北斗氏
業界団体の功罪と「オルタナティブ」な胎動
野見山──アワードや審査の母体となる「業界団体」についても議論したいです。歴史ある団体が高齢化し、制度疲労を起こしているのではないかという指摘を耳にすることがあります。
齋藤──正直、10年くらい前までは僕も「業界団体の役割は終わったのではないか」と思っていました。でも、さっき上西さんが言ったように、技術の継承や、個人ではアクセスできないリソースへの接続という意味で、役割が再定義されつつあるとも感じています。ただ、上の世代がいつまでも居座っているように見えると、若い世代が入ってこないですよね。
上西──ひとつの例ですが、JAGDA(日本グラフィックデザイン協会)は実は「互助会」的な側面が強くて、会員となることで文芸美術国民健康保険組合(文美国保)という保険に入れるメリットがあったり、フリーランスにとってはありがたい存在なんです。アワードも新人発掘の場として機能していますね。
野見山──既存の動きとは異なる役割を担う新しいデザインイベントやアワードも出てきていますね。例えば昨年開催された「alter. 2025, Tokyo」(以下、alter.)などはみなさんどうご覧になりましたか? 安藤さんたちwe+も出展されていましたね。
安藤──alter.は、デザインとアート、プロダクトの境界をかき回すような存在として非常に面白かったですね。クランプ(万力)だけで構成された家具《ALL CLAMP》のような、「これって家具なの? アートなの?」と問いたくなりそうな作品が平然と並んでいる。
あと、alter.のすごいところは、参加作家に制作費として数百万円という単位のお金が出たことです。若手にとって、持ち出しなしで新しい表現に挑戦できる場があるというのは、本当に貴重だし、主催者の本気度を感じます。
野見山──私はあのクランプの家具を初めに見たとき、少々疑問を持ちました。プロトタイプ化を支援するイベントでしたが、あのプロジェクトはプロトタイプというよりもすでに商品化への一歩を踏み出している印象があり、実験性や可能性よりもその汎用性やかっこよさをプレゼンテーションしている印象がありました。プロトタイプの持つ魅力って、その発展の先にある面白さへの想像を掻き立てることだと思っていて。完成度の高さと離れた異なる尺度で判断することは難しいですが、それができればイベントの独自性がさらに強化されていくのではないでしょうか。
齋藤──「モノ」としての新しさよりも、それを作った彼らの「スタイル」や「アティチュード(姿勢)」が評価された部分もあると思います。彼らはデザイン業界のメインストリームにはいないけれど、ストリート的な感覚で自由にものづくりをしている。そういう、既存のカテゴリーに収まらないオルタナティブな存在をフックアップできるのが、新しいアワードやイベントの役割なんでしょうね。
未来への「アーカイブ」としてのアワード
野見山──最後に、これからのアワードに期待することを聞かせてください。
齋藤──僕は、アワードは「アーカイブ」の入り口として機能すべきだと思っています。日本にはデザインミュージアムがまだありませんが、アワードに応募された作品や、その時の審査の議論を記録しておくことで、後世の人たちが「なぜこの年にはこれが評価されたのか」を知る手がかりになる。経産省の「DESIGN NATION」(これからのデザイン政策を考える研究会 報告書)というレポートでも触れられていますが、デザインを文化として残していくためには、アワードという定点観測の場が極めて有効です。
永山──そうですね。受賞作だけでなく、そこから漏れてしまったもの、評価の網にかからなかったような「変わったもの」も含めて、その時代の空気を記録しておくこと。それがアワードの隠れた、でも重要な役割なのかもしれません。
野見山──今日の議論で、現代において、アワードは単なる優劣を決める場ではなく、価値観を更新し、議論を誘発する装置であることが再確認できました。私たちの想像を超える「何か」が出てきた時、それをどう受け止め、どう語るか。審査員の力量が試される時代になったとも言えますね。長時間ありがとうございました。

