
会期:2026/03/20~2026/05/27
会場:日本民藝館 [東京都]
公式サイト:https://mingeikan.or.jp/special/ex202603/
陶芸家の河井寬次郎と濱田庄司といえば、柳宗悦とともに「民藝」という造語を生み、民藝運動を導いた人物としてよく知られている。大正時代から昭和初期にかけて、彼らは日本各地へ工芸品の調査と収集に赴いた。民衆の手によって作られ、暮らしのなかで使われてきた工芸品に美を見出し、新しい評価軸を打ち立てたことが彼らの最大の功績といえよう。100年経ったいまも「民藝」はひとつの思想やジャンルとして扱われるように、後世に残る歴史的運動となったのだから。
このように独自の美を追求した彼らはまさしく同志であったわけだが、柳が評論家・思想家であったのに対し、河井と濱田は自らも陶芸家であった。それが柳と河井・濱田を分かつ見えない境界線となっていたのではないか。自らも作り手であることが、工芸品を評価する立場において良い影響を与えることもあれば、逆にそうではない場合もあるだろう。より詳細な素材や方法、技術などについては作り手の方が詳しいだろうが、それゆえに固定概念も強くなり、視野が狭まるなどの弊害が生まれる場合もある。作り手ではない者については、その逆が当てはまる。柳と河井・濱田の関係性については以前からそのような思いを馳せてきたのだが、本展の特集は河井と濱田である。

河井寬次郎《辰砂丸文角瓶》(1937)28.8×13.3×13.3cm

濱田庄司《青釉押文十字掛角皿》(1956)6.4×30.0cm
両人は東京高等工芸学校(現・東京科学大学)窯業科で出会った先輩後輩の関係であり、以来、河井が没するまで交流が続いた。本展では二人の作品が対照的に並んでいたのだが、かといって作風の違いについては、正直、私はあまりよく見出せなかった。ただ、柳は「河井の色彩を、濱田の形を高く評価した」といわれているため、河井は辰砂や鉄釉などの色鮮やかな釉薬に、濱田は大らかで力強い造形に特徴を見出すことができるのだろう。しかしその特徴はどちらにも当てはまるような気がするし、結局のところ、互いに影響を与え合いながら切磋琢磨して陶芸家としての腕を磨き、一方で日本全国の工芸品の調査・収集にも当たったのだから、目指す方向性や美の観点が似てくるのは当然である。両者の違いを見出すのなら、むしろバーナード・リーチや棟方志功ら別の人物との交流に焦点を当てた方がいいように思う。濱田はリーチとともに渡英した経験を持ち、河井は棟方と師弟のような関係にあった。本展では「バーナード・リーチと濱田庄司」「棟方志功と河井寬次郎」といった展示もあり、そちらの方も大変興味深く鑑賞できた。

河井寬次郎《三色打薬扁壺》(1960)20.9×20.3×15.2cm

濱田庄司《鉄絵黍文壺》(1937)33.0×26.8cm
鑑賞日:2026/04/23(木)