会期:2026/04/03~2026/05/02
会場:TARO NASU[東京都]
公式サイト:https://www.taronasugallery.com/exhibitions/アレッサンドロ・ラホマーク・レッキー-「after-the-spell/

アレッサンドロ・ラホ(1971-)とマーク・レッキー(1964-)による二人展「After the Spell 魔法が解けたあと」は、文明や高度資本主義の幻影が霧散したあとに残される抜け殻のような欲望を冷ややかに解剖する展示であった。

1980年代末の英国でポップカルチャーやテクノロジーを交差させ、映像や彫刻を通して大衆文化との消費構造を探求してきたマーク・レッキー。一方、ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBA)世代として、肖像や静物といった伝統的モチーフを、写実的かつ平滑な油彩描写によって定着させるアレッサンドロ・ラホ。アプローチは異なる両者だが、都市生活における文明という幻想(イリュージョン)を相対化し、命題を失ってもなお留まり続ける形骸化した美しさを提示する点で、その眼差しは通底している。

アレッサンドロ・ラホ《Chocolate Box》(2023)[筆者撮影]

ラホの絵画において、人物や静物といったモチーフは真っ白な背景空間に浮遊するように抽出されて描かれている。アレックス・カッツやデイヴィッド・ホックニーの系譜を継ぐフラットな画面でありながら、対象は繊細かつ露骨な筆致によって鮮明に縁取られる。無人のプールサイドや雑草といった見慣れた都市の断片は、その徹底的な即物性によって日常風景の平穏さに綻びをもたらし、魔術的な不穏さを漂わせる図像へと接続する。触れれば溶けてしまう結晶のような図像と緻密な筆跡は対象からナラティブを剥奪し、冷温な質感を併せ持つ図像へと客体化する。

アレッサンドロ・ラホ《Hotel》(2024)[筆者撮影]

対照的に、レッキーはテクノロジーとイメージの複製によって、主体が資本の亡霊に憑依され、消費的なエクスタシーへと至るプロセスを露わにする。映像作品《DAZZLEDDARK》(2023)では、古典的な遊園地の記号的で煌びやかな音と明滅する光が、潮の流れに乗って沖合を漂う消費イメージと対置される。ここで描かれるのは、都市空間の魅惑と終末的ユートピアの狭間で、資本社会の中心なき加速度的な消費サイクルの遠心力に振り回され、擬人化された主体が痙攣を起こす様。機械技術が人間の欲望を再生産する暴力的な循環を表象し、終末的な海を漂う商業イコンに執着するこの映像空間は、消費環境の心地よさを「魔法」という比喩として見立てポップに描き出している。

さらに、中世の城を模した彫刻と映像による《Mercy I Cry City》(2024)では、ビザンチン美術における遠近透視と、現代のデジタル生成における画像的正面性が混淆し、複数の視点を同時知覚させる仮想の迷宮が築き上げられている。ここでは既知と不気味が反芻され、ユーモアと暗さの両方を含む消費記号が浮遊し続けている。


マーク・レッキー《Mercy I Cry City》(2024)[筆者撮影]

本展では、膨張した資本主義の輝きと人間自らが構築した幻想の脆さを結びつけ、空虚に対話をするように並置されている。テクノロジーによって拡張された都市のスペクタクルと、油絵という伝統的メディアで平滑な画面に仕掛けられた不穏なノイズ。「After the Spell 魔法が解けたあと」という題目が示唆するように、資本やテクノロジーという魔術が効力を失ったあとに残る奇妙な空虚さと、それを乾いた笑いとともに見つめる作家たちの冷徹なレトリックが浮かびあがる。魔法が解けたあとの不確かな時代において、その形骸化した美しさは残酷なほど鮮明に立ち現われている。

アレッサンドロ・ラホの展示作品より[筆者撮影]


鑑賞日:2026/04/25(土)