
会期:2026/04/09~2026/05/07
会場:艸居[京都府]
公式サイト:https://sokyogallery.com/exhibitions/161/overview/
「残されたもの」から、異なる時代と地域を架橋するネットワークを想像的に形成し、異文化との接触、感染症と植民地支配をめぐる見えにくい歴史をどう読み解いていくことができるか。歴史的に価値づけられ、美術館の保存・収集の対象となる文化財や記念碑以外にも、歴史の証言者となりうる見えにくい存在があるのではないか。そこには同時に、「誰が歴史の証言者となるのか」をめぐって、人間中心主義的な歴史の語り方を脱していく契機も開かれるのではないか。
本展で発表された、アメリカ出身の美術家タイラー・コバーンによる《燭台の男(Candlestick Man)》(2023–)は、インスタレーションとパフォーマンスの語りで構成される、複合的な作品である。出発点となるのは、16世紀半ばから17世紀初頭の安土桃山時代に来航したポルトガル人など異国の人物を象った「南蛮人燭台」。太い眉、大きな目や鼻、襟飾りの付いた上着と膨らんだズボンといった特徴が象られ、頭上に蝋燭を立てる小皿が載せられている。本展では、現存する織部焼の南蛮人燭台を元に、陶芸家の佐々木二郎が制作したものが並んだ。また、コバーン自身による英語のパフォーマンスと、俳優の長沼航による日本語版のパフォーマンスが行なわれ、筆者は後者を実見した。

[写真:今村裕司 画像提供:艸居]
約20分のパフォーマンスでは、南蛮人燭台を起点に、インスタレーション空間に存在するものと不在のものを往還しながら、長沼が観客に向けて親密に語りかけていく。1543年、ポルトガル人を乗せた中国の貿易船が航路を外れて種子島に漂着。東南アジアを経由してやって来たヨーロッパ人は、「南蛮人(南方の野蛮人)」と呼ばれた。以後、ポルトガル船が長崎の港に来航して南蛮貿易が始まり、鉄砲の伝来が戦国時代の終結を早め、宣教師によるキリスト教の布教が進む。来航した船や、上陸した商人や宣教師を描く「南蛮屏風」が描かれたほか、「南蛮人」は異国情緒あるモチーフとして流行した。商人や大名、茶人らが制作を依頼した南蛮人燭台は、当時の社会的地位を示すステータスシンボルだった。
一方、リサーチのため種子島を訪れたコバーンは、ポルトガル人上陸を記念して1934年に建てられた石碑に着目する。ただし、コバーンの目を捉えたのは、記念碑そのものよりも、石の表面を病気にかかったように覆う緑や黄色の斑模様だった。それは、まるで「石碑が天然痘にかかっているように見えた」という。実際には、空気中の塩分によって繁殖する地衣類だったのだが、ここから語りは、異文化の接触、大陸を越えた天然痘の伝播、天然痘と植民地支配の複雑な関係について展開する。6世紀半ば、仏教の伝来とほぼ同時期に天然痘が日本に伝わり、8世紀には疫病と社会不安を鎮めるために奈良の大仏が作られるなど、何度も大流行が起こった。ポルトガル人が種子島に漂着した16世紀、アメリカ大陸では、ヨーロッパの植民者が持ち込んだ天然痘が、免疫を持たない先住民に壊滅的な被害を与え、天然痘の流行は期せずして植民地支配に大きく寄与した。一方、ポルトガル人と日本人の接触は、天然痘のパンデミックを引き起こさなかった 。すでに何世紀にも渡って繰り返された流行のため、ある程度の免疫が定着していたからである。このことは、ヨーロッパの植民地支配を日本が免れたことに潜在的に関与している。
その後、1796年にイギリスで天然痘のワクチン(種痘)が開発され、江戸時代末期の19世紀半ばに日本へ導入される。かつて「蝦夷地」と呼ばれていた島へロシアが勢力を伸ばすなか、江戸幕府は同地での政治的優位性を高めるため、アイヌ民族の同化政策の一環として天然痘のワクチン接種を進めた。アメリカ大陸の植民地化に関与した天然痘が、数百年後、ワクチン接種という形で「蝦夷地」の植民地化に効果を上げたように、歴史はメビウスの輪のようにねじれながらつながっている。そしてコバーンには、石碑が「起こり得た過去」への反転的な想起を促すものとして映る。「ヨーロッパ人が日本に天然痘を広める代わりに、石碑が天然痘を吸収して封じ込め、身代わりになったのではないか」という想像だ。
石碑の表面を覆う緑や黄色の斑模様は、実際には地衣類であり、海からの強風に晒される種子島の厳しい自然や時間の堆積の証でもある。だが、この地衣類は、狩野山楽による南蛮屏風の中の松の木や海辺の岩の表面にも描かれているという。「ここに、ポツ、ポツ、ポツ……」「ここにも、ポツ、ポツ……」と長沼の指が、何もない空中に点描を描くようになぞる。何もなかったはずのギャラリーの白い壁に、白い点々で描かれた斑点の輪郭が見えるようになる。「記念碑よりも、本当の意味での過去の目撃者ではないか」と語られる地衣類を、コバーンは採集し、抽出した成分を蜜蝋に混ぜて蝋燭を作った。その蝋燭は、パフォーマンス中、展示した南蛮人燭台の上で火を灯され、目に見えない成分が、再び空気中に放出されていく。それは、「過去と感覚的につながるための方法」と語られ、パフォーマンスは終了する。

[写真:今村裕司 画像提供:艸居]
南蛮人燭台、南蛮屏風といった文化財や人工的な記念碑と、屏風や石碑の表面に息づく地衣類。その見えにくい存在は、もの同士の間に想像的なネットワークを促し、感染症と植民地支配の複雑な関係の語り手となり、人間中心の歴史観をずらしていく。また、南蛮人燭台を用いて蝋燭に火を灯す行為は、多層的なメタファーを帯びる。見えにくい歴史を文字通り照らし出すための道標であるとともに、やがて燃え尽きる蝋燭は、パフォーマンスの限られた時間性も示す。また、コバーンの意向により、パフォーマンスは写真や映像で一切記録されない。残ったものから歴史を想像的に読み解きつつ、パフォーマンス自体は記録として残さないアンビバレントな態度は、「残らなかったもの」「不在化されたもの」に対する想起をも促す。また、親密な空間で少人数の観客に語るという設えは、限られたゲストを招いた茶会など、南蛮人燭台が実際に使用された状況も意識させる。

[筆者撮影]
私たち観客が蝋燭の灯とともに見つめるのはまた、「不在の南蛮屏風に描かれた地衣類」とともに、異人種の表象がもつ政治的な力でもある。身体や衣服の特徴を抽出して象られた「南蛮人」は、「燭台」として、主人のために蝋燭を捧げ持つ労働に従事させられ、文化的に飼い慣らされている。珍しい異国への好奇心とともに、「誰が文化的領域の主人なのか」という地位の語り手でもある。
そして、南蛮人燭台とともに展示された、収納や輸送用の「箱」もまた、多義性を帯びている。それは、歴史資料や記憶の保管庫と、交易や輸送のメタファーであると同時に、梱包された中身を不可視化してしまう作用の謂いでもある。燭台が照らし出すものと、それを収納・輸送するための装置を共に並べ、両者が差し出す複数のベクトルを眼差すこと。緻密なリサーチに基づく本作は、学術的な歴史研究とは異なる方法で歴史に対峙するための、示唆に満ちた姿勢を示していた。

[写真:今村裕司 画像提供:艸居]

[写真:今村裕司 画像提供:艸居]
鑑賞日:2026/05/02(土)