場所:長野県上田市(旧丸子町)~小県郡長和町(~和田峠~諏訪郡下諏訪町)[長野県]


旧中山道に並走する国道142号の直線区間。このまま直進し、右奥に見える和田城跡/和田宿本陣の脇から和田峠へと入っていく[筆者撮影]

筆者がこの春から拠点としている長野県上田市★1は日本列島の本州のおよそ中央に位置している。長野県の甲武信ケ岳付近を水源とする千曲川は本市の中心部を通っており、そのまま新潟県へ抜けていく。千曲川の流れに向かって、細い川が流れ込んでくる。水の流れに沿って見ると、いくつもの流れが集まりだんだんと太くなっている、と見ることができる。そして、日本海へと水は流れ出ていく。

水が流れるということは、重力に従っているということで、ゆるやかに地面は傾いているということだ。複雑に地形は形成されているが、川があるならばその両岸は川に向かって下っているということだし、上流は標高が高く、下流は低い。やがて海抜ゼロメートルの海岸線に水は流れ出る。

川を辿っていけばやがて海へつく。そこから先へ進むには泳ぐしかない。泳ぎで至れない遠さへ向かうには船がいる。山を背に、行けるところまで行くとこうなる。

重力に逆らって進むとどうだろう。

川を挟む谷筋は、いくつも分岐している。太い谷に細い谷がつながっている。谷は枝分かれしている。太い谷から細い谷へ上がっていくと、より細い谷に分かれている。いずれかの谷へ分け入る。谷がやがて谷とも呼びがたい細さ、狭さに変わり、それでも上がっていくと、山の稜線に至る。そこから先は下りだ。

ここ本州が島である以上、海岸線に向かって内陸のすべてはいずれ下っていく。海岸線の側から見たら、いずれすべては上りきる。向こう側へ向かうには山を越えねばならない。かつてその山を越えようと思った誰かが、いまある道の始まりにいる。この土地を通り過ぎた大勢の人々の選択の繰り返しとその結果が、足跡となり、今日の道となっている。

高速道路や新幹線で長距離が効率よく結ばれても、その効率性は、地形といかに折り合うかという過去の選択の結果存在している。下道であればなおのことである。 旧丸子町から諏訪郡へ抜けていく国道152号/142号の道のりを例に考えてみる。

千曲川沿いの谷状の地形から分かれるように、旧丸子町の一帯がある。千曲川から分かれた依田川沿いを上流に向かって進んでいく。国道と一部重なりながら、旧中山道★2が通っており、通る位置は異なるもののこの谷筋が異なる地域を結ぶ道であったことがわかる。

かつての宿場町・長和町の水田地帯をまっすぐ通り抜けている私の左右には山が続いている。正面奥もまた山に塞がれているように見える。しかし、奥へ近づくにつれ、塞いでいるように見えた山並みが左右に分かれていることがわかってくる。Y字路のように、左右に谷を分ける山の先端が見えてくる。左右どちらも、谷の太さや地面の傾きに大きな差はないように思われる。しかし、カーナビに従って中山城跡の右の谷へと車を走らせる。歌舞伎の舞台で書き割りの山が動くように、道路のカーブを走るたび、山は左右に開かれ、谷は奥へと延びていく。再びの分かれ道。左右を分けるのは和田城跡で、その足元には和田宿本陣跡がある。峠越えに備えた、最後の分かれ道であることが感じられる。今度も左右の谷の違いはわからないが、左の谷へと車を走らせ、気づいたときには2車線の道路が山の斜面に沿ってくねくねと上っていくのであった。山の上と下が切り替わる地点。和田峠である。

ここへ上がってくるまで、何度も10トンクラスの大型トラックとすれ違った。各都市を結ぶ物流は、燃料をはじめさまざまなコストパフォーマンスを勘案して組み上げられている。そのネットワークに組み込まれたトラックが通っているということは、これまでもこれからもこの峠を越えるほかに適した道がない、ということの証左である。

分かれ道の連続を思い出す。

かつて、街道になる以前のこれらの道を歩いた人々を思う。

いずれの谷へ分け入り、上がっていけば向こうへ行けるのか。さらには、早く行けるのか。

142号は旧中山道に近い、実際に和田峠を越えていくルートと、新和田トンネルを通過して峠越えを果たすルートに分かれている。今回走ったのも、日常的に用いられている後者のルートである。後者はトンネル手前までは前者よりも緩やかな道が続くが、尾根を越える寸前の傾斜は前者より険しく厳しい。このことから、かつては最後の傾斜を理由に道が拓かれなかったことを類推させる。前者は自動車で走り続けるには細かいが、一定の緩やかさを保ったまま峠の向こうへ導いてくれる。

こちらからならばこの峠を越えられる、という確証を、実際に歩いて確かめた人がいたことを、私は自動車のアクセルを強く踏み込みながら想像する。時速数十キロの速さは徒歩の実感からはほど遠いが、一方で積み重なった歴史のなかを一足飛びに駆け抜けているような気持ちにもなる。

ハロルド・ギャティ『自然は導く 人と世界の関係を変えるナチュラル・ナビゲーション』(岩崎晋也訳、みすず書房、2019[原著:1957])によると、アルプスの山々で、峠は山の右肩にあることが多いのだという。人間の身体構造や文化的な蓄積、まっすぐ歩けず円を描いてしまうことを引きながらの指摘は興味深い。一方、ギャティが言及しないのは、反対側から見たらその峠は左肩にあるということだ。右にあるということを重視するなら、峠が右に見える側からその山は繰り返し眼差され、越えることが欲求されたということで、その側からの歩行が峠を峠たらしめている。

すべての峠が右に位置づけられるわけではないにせよ、峠は山の両側から同時に定義されるのではなく、こちら側からそちら側へ向けて歩いた誰かによって定義される。

定義は、繰り返し歩かれることで確かなものとなる。この移動もまたその繰り返しのひとつである、と思わされる道だった。


★1──いわゆる平成の大合併(1999-2010)により、旧上田市、旧丸子町、旧真田町、旧武石町が合併して2006年に誕生した。
★2──江戸時代に整備された五街道のひとつであり、海沿いの東海道──大まかには東海道新幹線の通り方を想像してほしい──に対して、大きな川を越えることの少ない内陸ルート。京都の三条大橋と江戸の日本橋をつないでいる。


走行日:2026/05/22(金)