会期:2026/07/15~07/26
会場:HAGISO[東京都]
公式サイト:https://hagiso.com/hagiart_202607_nishimura/

前編より)

これまでも西村は、作品内の存在をキャラクターとして提示してきた。例えば自らの声を素材にしたAIによってセリフが読み上げられる《えすく》(2022)や、投影された字幕とふたつのスピーカーから流れる音声によって、複数人の登場人物を示唆しながらその実存に揺さぶりをかける《僕に似てかわいい》(2021)などがそれだ。これらの過去作からも分かるように、西村は「声」を主要な表現手段として用いている。この選択は、あえて視覚的に表現しないことによって、想像の余地を残そうという意図を感じる。ここから考えられるのは、キャラクターの成立条件として鑑賞者の受容を重視する姿勢だ。

このように欠落を意図的に作ることは、「推せうるきみよ」にしても同様だ。しかしここで強調しておきたいのは、少なくとも近作では選択されなかった明らかに具体的なイメージが「着ぐるみ」として提示され、イメージと言語が立体的に交差していることである。その意味において、今回の個展は作家にとってひとつの画期と見なせるかもしれない。ぬいぐるみを連想させるその「着ぐるみ」は、マイク・ケリーの──作家にとっては意図せざる──モノへのフェティッシュな回帰ではなく、ギニョールという虚構と現実を抱え込んでしまう不完全な「人形」を通じ、その全体を想像させることによって、キャラクターについての存在論的問いを投げかけている。

しかし、そうしたシリアスな取り組みと同時に最後に触れておかなければならないのは、西村は「推し」というテーマをSNS上でのパフォーマンスへと延長することで、現代における展覧会の社会的位相を批評していることである。作家は自らのXのアカウントで、次のように呼びかける。

この展示は!!!ぬい活もできます!! ★4

「ぬい活」とは「推し」のぬいぐるみを旅行など外出時に持ち歩き、写真撮影を行なったりする「推し活」だ。ここで西村は「着ぐるみ」にぬいぐるみを乗せた写真を添付し、自ら「ぬい活」を実践してみせている。「推し活」とは可処分な時間および金銭が投入される活動であり、それがエスカレートすればするほど、経済的負担や労働にも似た義務となる。例えば「ぬい活」に関しては、自主的に観光地や「聖地」を巡礼し、SNSにアップすることがファンの間では行なわれている。その行動は、もはや労働に近い。

展示の告知として作家がSNSで発信することはいまや日常的な光景ではあるが、ここで西村は「推し」というモチーフを通過することによって、極めて巧みに中立化されたインスタレーションを、フォトスポットとして再定義する。インターネット上に持ちだされた展示空間はここにおいて固有性を失い、「推し」との日常を生きる私たちの「生」へと──半ば暴力的に──接続される。「推せうるきみよ」はこのようにしてキャラクターを通じ「推し」の条件を考察すると同時に、高度情報社会における現代美術の展示が、「推し活」と同様の消費=労働環境下にある「イベント」であることを白日の下に晒すのだ。

★4──URL=https://x.com/rioha_nishimura/status/2077595116458622981

参考資料
・蘆田裕史「手芸とファッションから美術史を描き直す」(上羽陽子、山崎明子編『現代手芸考 ものづくりの意味を問い直す』フィルムアート社、2020)
・ボリス・グロイス「インスタレーションの政治学」星野太、石川達紘訳(『表象』12号、月曜社、2018)
・西村梨緒葉「えすく」(東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻、2023、URL=https://rioha-nishimura.com/escu_description_20230305.pdf

 

鑑賞日:2026/07/19(日)