「この規模において、想像力は装飾ではない。インフラである」。スペキュラティヴアーキテクトのリアム・ヤング(1979-)が、ロンドン・バービカン・センターの個展「In Other Worlds」で掲げた言葉だ。ギャラリーの問いに留まってきたスペキュラティヴデザインを、産業と資本の現場へ接続するその賭けを、自らもアルゴリズミックデザインを事業として営む佐野虎太郎氏が、当事者の視点から読み解く。(artscape編集部)

立体駐車場に吊るされた、最後の人工物

展覧会の終わり、観客はバービカン・センターの立体駐車場「Car Park 5」へと誘われる。コンクリートの柱に黄色で「5」と記された、まぎれもなく現役の駐車場である。その薄暗い空間に、ワイヤーで1枚のパネルが吊るされている。そこに書かれていたのは《Emissary》──人類の文明が沈黙した後も航行し続けるよう設計された、「最後の人工物」としての宇宙船。NASAジェット推進研究所のエンジニアとの協働で構想されたこの架空の探査機は、征服のためではなく記録のための船であり、「傷ついた惑星から逃げるためのロケットではなく、それと向き合うための船」であると語られる★1

「In Other Worlds」は、オーストラリア出身の映像作家でありスペキュラティヴアーキテクトという肩書きをもつリアム・ヤングの、英国初の大規模個展である。SCI-Arc(南カリフォルニア建築大学)で修士プログラム「Fiction and Entertainment」を率いるヤングは、映画産業におけるワールドビルディング(架空の世界を、地理・技術・統治・儀礼まで含む一貫した設定として構築する手法)を建築・都市の思索に持ち込んできた人物だ。本展は《World Machine》(2026、新作)、《After the End》(2024)、《Planet City》(2021)、《The Great Endeavour》(2023)、《Future Present》、《Emissary》(2024)の6つの「世界」で構成される。映像、都市模型、アン・クラブトリーによる衣装、グラフィックノベル、フォレスト・ソーズやスペース・アフリカらによるサウンドスケープが、ギャラリー「The Curve」から駐車場までを貫く1本の動線に配置されている。SF作家のキム・スタンリー・ロビンソン、AI研究者のケイト・クロフォード、ジオエンジニアリング研究者のホリー・ジーン・バックといった書き手が各「世界」のナラティブに参加していることも記しておこう。

展覧会の掉尾に置かれたステートメントに、このような一節がある。「この規模において、想像力は装飾ではない。インフラである」★2。本稿はこの一文を軸に本展を読解する。ヤングはスペキュラティヴデザインを、ギャラリーで問いを発する営みから、社会が未来を建設するための基盤へと運び出そうとしている。ただし運び出された先で、想像力は産業と資本の語り口にも組み込まれていく。筆者はアルゴリズミックデザインをファッションの領域で実践し、それを事業として経営する立場にある。スペキュラティヴデザインの語彙で教育を受け、その批評性を「実装」と「市場」のなかで運用せざるを得ない当事者として、本展のこの両義性を読んでみたい。


「In Other Worlds」より。Car Park 5に設置された幅16メートルのLEDスクリーンに映し出される《Emissary》(2024、約11分)[筆者撮影]

 

スペキュラティヴデザインの二つの系譜

「スペキュラティヴデザイン」(思索的デザイン)という言葉の来歴を、ここで簡単に振り返っておこう。通説的な系譜はロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)のアンソニー・ダンとフィオナ・レイビーに始まる。ダンは『Hertzian Tales』(1999)でデザインを問題解決の道具ではなく問題提起の媒体として再定義し、二人が率いたRCAのデザイン・インタラクションズ学科(2005年開設)がこれを教育として体系化した。「こうなるだろう未来」ではなく「ありうべき未来」を扱うデザインとして、スペキュラティヴ/クリティカルデザイン(以下、SCD)はダン&レイビーの共著『Speculative Everything』(2013)を頂点に2010年代前半に制度化され、日本でも輸入学問的に受容された。しかしその形式──ギャラリーの白壁に置かれた思索的プロトタイプ──が誰に向けて何を変えるために問いを発しているのかについて、スペキュラティヴデザインはなお余地を残していた。ダン&レイビー自身も2015年にRCAを離れて以降、プロダクトの形を借りた問題提起から、社会的想像力そのものの設計へと軸足を移していく。SCDの最初の波は、批評のための批評という袋小路と、美術館制度への快適な収容という二つの限界を抱えたまま一段落した。

ヤングの実践はこの系譜と重なりつつも、もうひとつ別の系譜も引いている。建築的ワールドビルディングの系譜だ。その先駆者であるアーキグラム(1960年代英国の前衛建築集団)の《ウォーキング・シティ》(1964)やスーパースタジオの《連続的モニュメント》(1969)が試みたのは、単体のプロダクトに問いを込めることではなく、都市と惑星のスケールで「別の世界の全体像」を描くことだった。同様にヤングもまた、2008年にロンドンで共同設立したシンクタンク「Tomorrow’s Thoughts Today」でも、ケイト・デイヴィスと共同で率いるリサーチスタジオ「Unknown Fields」でも、ヤングが一貫して扱ってきたのは「世界」の単位である。Unknown Fieldsはリチウム鉱山やコバルト採掘地など、私たちのテクノロジーを支える「見えない風景」への遠征そのものを方法とし、地球そのものをフィールドとしてきた。SCDの思索的プロトタイプとは、扱う対象のスケールも方法も異なる。モスクワのストレルカ・インスティテュートで哲学者ベンジャミン・ブラットンが率いた教育・研究機関「The New Normal」(2017–2019)に中核教員として参加し、都市を計算の「スタック」(層状に積み重なった惑星規模の計算基盤を指すブラットンの用語)として捉える語彙を得たことで、この系譜は本展の《World Machine》に流れ込む。


「In Other Worlds」より。4番目の世界《The Great Endeavour》の導入パネル。「大気を修復するには、空そのもののスケールで建設しなければならない」[筆者撮影]

 

見えないほど「大きな」技術への畏怖

ただし、SCDが生まれた2010年代初頭と現在とでは、思索の前提条件が根本的に異なっている。本展は、この変化に自覚的であるように見える。 第一に、生成AIの登場である。もっともらしい未来のイメージは無限にたやすく生成され、スペキュラティヴなイメージの希少価値は暴落した。実際、《After the End》のヴィジュアルにも初期生成AIを思わせる質感が横溢しており、ヤングもそれを隠そうとはしない。それでもなおワールドビルディングに固有の価値があるとすれば、それはイメージの表面ではなく、世界設定──エネルギー収支、物質循環、統治形態、儀礼──の一貫性と厚みにこそ見出される。6つの世界が複数のメディアで同一の世界設定を多角的に「実装」していたのは、その価値の所在への応答だと読める。

第二に、巨大インフラ企業の台頭である。2010年代のSCDが問うたのは「目に見えないまま個人の生に浸透していく技術」への恐怖、いわば製品スケールの未来だった。しかし現在、未来を最も大規模に建設しているのはハイパースケーラー★3であり、恐怖の対象は「見えないほど大きな技術」へと移った。データセンターの電力需要は原子炉の再稼働を促し、AI企業の設備投資は国家予算に匹敵する。新作《World Machine》が描くのは、この現実の延長にある世界だ。渓谷が回路になり、塩湖がプロセッサになり、サーバーは岩盤に沈む。先住民(ファースト・ネーションズ)のコミュニティが、化石時代の金属を溶かして大地に還す「更新の儀式」を執り行なっている。「惑星規模のAIを夢見ることは、地球そのものが機械になることを再想像することだ」(《World Machine》会場パネルより)★4。重要なのは、これがAIインフラを告発する作品ではないことだ。すでに建設されつつある「機械惑星」を、別の所有、別の儀礼、別の物質循環のもとで建設し直せないかという思考実験である。SCDが「問いを投げかけて立ち止まる」場所で、ヤングは「どう建て直すか」まで踏み込む。

本展の入口に掲げられた「未来は水のように私たちに押し寄せてくるものではない。それは創造の行為であり、私たちが一瞬一瞬、共につくるものだ」★5という言葉は、一見するとダン&レイビーの「望ましい未来」と地続きに見える。だがここで実践されているのは、問いを発するデザインではなく、世界を建設するデザインだ。「想像力はインフラである」とは、デザインの思索が美術館制度から出て、政策、資本、技術開発の現場と直接に接続されるべきだという宣言にほかならない。

人間のいない風景──『Machine Landscapes』からの連続性

この「建て直す」という態度がどこから来たかは、ヤングが編者を務めた建築誌『Architectural Design』の特集号『Machine Landscapes: Architectures of the Post-Anthropocene』(2019)と並べると見えてくる。同号は、人間のためにつくられていない建築──データセンター、全自動港湾、物流倉庫──を「ポスト人新世の建築」として概念化し、人間中心設計の終焉を悲嘆ではなく観察として引き受けた。本展でも人間はほとんど映らず、映るとしてもインフラの巨大さを測るスケール・フィギュアとしてである。ドローンショットの幾何学的な人工景観が喚起する「テクノロジカル・サブライム(技術的崇高)」の美学は一貫している。

ただし、決定的な転調がある。『Machine Landscapes』の機械景観が「すでにそうなってしまった世界」の診断だったのに対し、本展の機械景観は「そうなるべき世界」の処方として提示される。診断の道具だった人間不在の風景が、修復の風景として反転されている。《Planet City》が最も明快だ。100億人が単一の超高密度都市に集住し、残る1億4200万平方キロメートルを野生に返す。「この世界で私たちの最大の建設は、建てないことを選んだ土地である」(ヤング、本展より)★6。人間の退場が、疎外ではなく贈与として語り直される。診断から処方へのこの転調こそ、想像力を「インフラ」と呼ぶことの実質である。

Climeworksとフィクションの往復

その宣言が最も鮮烈に、そして最も危うく表われていたのが、駐車場のセクション《Future Present》である。7面のLEDスクリーンには、実在する再生可能エネルギーと農業テクノロジーのサイトを取材したドキュメンタリー映像が流れる。そのなかに、直接空気回収技術(DAC。大気中のCO2を化学的に直接捕集する技術)を開発するスイス企業Climeworksへのインタビューが含まれていた。 印象的だったのは、インタビューの内容ではなく、その配置である。Climeworksのエンジニアが自社のCO2捕集モジュールを語る映像は、展覧会の構成上、直前のセクションで観たばかりの《The Great Endeavour》──大気を石に還す惑星規模の炭素除去インフラを、「私たちの世代の月面着陸」としてのジオエンジニアリングとして描いたフィクション映像──と地続きに接続されるよう置かれていた。観客は、洋上にそびえ立つ架空の巨大炭素除去プラットフォームの崇高な映像を脳裏に焼き付けたまま、現実のスタートアップ企業が手がけた、はるかにささやかな装置と対面することになる。現実の装置が、フィクションの側から遡行的に「巨大な未来の萌芽」として見えるように再構成され、Climeworksが惑星修復という物語の第一章に書き換えられるのだ。

ギャラリーの問いかけは現実を変えない、というSCDのアポリアに対して、ヤングは現実の技術開発の現場を物語に組み込み、その仕事に「より大きな未来の一部」という意味を遡及的に付与してみせる。ロビンソンが小説『The Ministry for the Future』(2020)で試みた「現存する技術と制度だけで組み立てられた未来史」の展示空間版ともいえるし、『After Geoengineering』(2019)の著者バックの参加は、《The Great Endeavour》の世界設定が炭素除去をめぐる統治や正義の議論を踏まえて構築されていることを裏付けている。

他方で、この構成は現実の側の摩擦を取り除くことによって成立している。Climeworksは2025年5月、従業員の約2割を削減した。アイスランドのプラント「Orca(オルカ)」は設計容量が年間4,000トンに対し捕集量は最高でも約1,700トン、後継の「Mammoth(マンモス)」(設計容量36,000トン/年)は稼働開始からの捕集量が805トン、自社排出を差し引けば正味121トンに留まると報じられている(CNN、2025年5月)。つまり現実のClimeworksは、《The Great Endeavour》の第一章であるどころか、その物語に到達できるかどうか自体が未決の、脆弱な実験である。

ヤングの構成は、この脆弱性を「まだ小さいだけの萌芽」として物語化する。だが「まだ小さい」と「原理的にスケールしないかもしれない」の間には深淵がある。崇高なイメージに接続された瞬間、個別企業の未決性は物語の推進力の中に溶けて見えなくなる。未来の炭素除去への期待が、現在の排出削減の切迫性を弱める──気候政策で長く議論されてきたこの逆説の、美学版と言うべき事態だ。しかも本展のリードスポンサーが不動産開発(Panorama St Paul’s)であることまで含めて考えれば、「想像力はインフラである」というテーゼは、想像力がインフラ資本を駆動する物語になるという事態と、常に紙一重である。


「In Other Worlds」より。Car Park 5に展開する《Future Present》の展示風景。床の矢印や柱の「5」の表示が残る現役の駐車場に複数のスクリーンが並び、集光型太陽熱発電のタワー、風力発電群、エンジニアへのインタビューといった、実在するエネルギーテクノロジーの取材映像が同時に流れる[筆者撮影]

 

スペキュレーションからインプリメンテーションへ

この危うさを、筆者は展覧会の失点として書いているのではない。安全圏から問いを発する2010年代的な身振りを捨て、共犯関係のリスクごと未来像を建設する賭けの大きさこそが、本展を同時代の類似企画から隔てている。

ヤングの方法を映画の工程になぞらえれば、それはプリプロダクションに相当する。世界設定を固め、美術と衣装とミニチュアを作り、絵コンテを切る。本展に並ぶ模型、衣装、グラフィックノベルは、文字どおりその工程の産物だ。ヤングが率いる修士プログラムの名が「Fiction and Entertainment」であることも含めて、この実践は映画産業のワールドビルディングの技法を、未来の設計思想を提示するための道具として転用している。技術の設計思想を、論文やロードマップではなく、プリプロダクションの形式で世に出す。それ自体は、2010年代のSCDが到達できなかった射程だ。

だが、プリプロダクションの次の工程が、ここには用意されていないようにも見える。プリプロダクションは本来、撮影という現実の工程に接続されるからこそ意味をもつ。ヤングの世界設定は、特定のナラティブを経て、現実の技術開発や制度設計の現場に手渡されるべきものではないのか。だが筆者の見るところ、ヤングの元でこの方法を学んだ者の多くが向かう先は、映画やゲームの制作現場である。未来を実際に形づくる側の技術開発──エネルギー、素材、製造、計算基盤──に進む人材は少ない。プリプロダクションが、プリプロダクションのまま消費されている。

思索と実装の間に横たわる距離の大部分は、イメージでは表現できない種類の困難である。既存の生産設備との互換性、データ形式の断絶、現場の熟練、資金調達の速度、規格と規制。ヤングがClimeworksを《The Great Endeavour》の第一章として編み込んだとき、削ぎ落とされたのは、まさにこの種の困難である。フィクションの重力によって実装の困難が見えなくなること──実装の側にいる者から見れば、それは実装の困難そのものがナラティブによって洗浄されている、と映る。

2010年代のスペキュラティヴデザインは、プリプロダクションのままでよかったのかもしれない。だが2020年代は違う。ハイパースケーラーが惑星規模の現実改変を進め、AIエージェントがその速度をさらに引き上げている時代に、思索が思索のまま留まる余地は狭まっている。いま求められているのは、より精緻なプリプロダクションではなく、それを本撮影、つまり構想を現実の実践に接続する工程そのものの設計だ。スペキュレーションからインプリメンテーションへ。


In Other Worlds」より。《Planet City》セクションに展示されたムービーミニチュア《Recycled Residential Tower》[筆者撮影]

 

ブルータリズムの遺構を通り抜けて

最後に、本展がバービカン・センターで開催されたことの意味に触れておきたい。バービカン・センターは、第二次大戦の空襲で焦土となったロンドンの一角に、シティ・オブ・ロンドン自治体が戦後復興期の総合計画として建設したブルータリズムのユートピア建築である。集合住宅と芸術センター、温室、人工湖を一体化したこの巨大コンクリート構造体は、「都市の未来はこう建設できる」という20世紀的な確信の遺構だ。本展で、観客はThe Curveの湾曲したギャラリーで6つの世界のフィクションに浸り、化石時代のインフラである駐車場で現実のスタートアップと向き合い、コンクリートの回廊を抜けて、最後に緑の庭園へと放り出される。過去の世代が実際に建設した未来のただなかで、次の世代が建設すべき未来を観るこの身体的なシークエンスそのものが、「想像された未来はやがて政策に定着し、コンクリートに固まり、化石記録に沈む」★7という最後のステートメントの、空間による上演になっている。バービカンは、想像力がインフラになった後の姿そのものなのだ。

「私たちは、何かが変わってしまったことを知りながらここに到着する。世界が突然単純になったからではなく、世界が見えるようになったからだ」と始まるこのテキストは、今日見てきた機械はもはやSFではなく、未解決なのは技術ではなく想像力だと告げ、こう結ばれる。「もしここに希望があるとすれば、それは確実性のなかにではなく、勇気のなかにある」★8。SCDが「問いを持ち帰ってもらう」ことで展覧会を閉じたのに対し、本展は「建設への勇気」で閉じる。


展覧会の出口、真っ暗な駐車場を抜けると、突如としてバービカン・センターのひらけた明るい中庭に放り出される [筆者撮影]

おわりに──リハーサルの先へ

ヤングは本展を「ファンタジーでも予測でもなく、私たちが望むなら建設できる世界を練習する場所」だと言い、「世界を建設することで、私たちは未来をリハーサルする」★9と続ける。思索的デザイン(speculative design)と投機的資本(speculative capital)が「未来を先取りして見る」という同じ動詞を共有する以上、その両面性から目を逸らさないことが、リハーサルに参加する側の最低条件になる。そしてリハーサルは、本番があってはじめてリハーサルと呼べる。この展覧会が観客に要求しているのは、勇気というより、その先の工程を引き受ける覚悟なのだ。

 

★1──原文:“This is not a rocket built to flee a wounded planet; it is a vessel built to reckon with it.”(《Emissary》セクション パネル)
★2──原文:“At this scale, imagination is not decoration. It is infrastructure.”(最終セクション掲出ステートメント)
★3──ハイパースケーラー:Amazon、Microsoft、Googleなど、世界規模のクラウド/データセンター基盤を自社で建設・運営する巨大IT企業の総称。
★4──原文:“In this world, to dream of Artificial Intelligence at a planetary scale is to reimagine the Earth itself becoming a machine.”(《World Machine》セクション パネル)
★5──原文:“The future doesn’t rush over us like water. It’s not something that happens to us. It’s an act of creation. It’s something we make, moment by moment, together.”(導入パネル、リアム・ヤングの言葉。本文訳では第2文を省略)
★6──原文:“In this world, our greatest construction is the land we choose not to build on.”(《Planet City》セクション パネル)
★7──原文:“The futures we imagine do not remain imaginary for long; they settle into policy, they harden into concrete, and they sink into the fossil record.”(最終セクション掲出ステートメント)
★8──原文:冒頭 “We arrive here knowing something has shifted. Not because the world has suddenly become simpler, but because it has become visible.” / 結語 “If there is hope to be found here, it is not in certainty, but in courage.”(最終セクション掲出ステートメント)
★9──原文:“These are not worlds of fantasy or prediction, they are places to practice the worlds we could build, if we want to.” / “By building worlds, we rehearse the future and by sharing stories we create the narratives we need the most.”(導入パネル)

 

参考文献

・Barbican Centre. “Liam Young: In Other Worlds.” Exhibition website. https://www.barbican.org.uk/whats-on/2026/event/in-other-worlds(プレスリリース:Barbican Centre. “Barbican Opens 2026 Immersive Exhibition: In Other Worlds by Liam Young.” Press release, 2026. https://www.barbican.org.uk/our-story/press-room/barbican-opens-2026-immersive-exhibition-in-other-worlds-by-liam-young
・Dunne, Anthony. Hertzian Tales: Electronic Products, Aesthetic Experience, and Critical Design. London: RCA CRD Research Publications, 1999. Repr., Cambridge, MA: MIT Press, 2005.
・Dunne, Anthony, and Fiona Raby. Speculative Everything: Design, Fiction, and Social Dreaming. Cambridge, MA: MIT Press, 2013.(邦訳『スペキュラティヴ・デザイン』東京:BNN、2015年)
・Strelka Institute. The New Normal Programme. https://www.e-flux.com/announcements/69635/the-new-normal
・Young, Liam, ed. Machine Landscapes: Architectures of the Post-Anthropocene. Hoboken, NJ: Wiley, 2019.
・Robinson, Kim Stanley. The Ministry for the Future. New York: Orbit, 2020.
・Buck, Holly Jean. After Geoengineering: Climate Tragedy, Repair, and Restoration. London: Verso, 2019.
・Paddison, Laura. “This Company Says Its Technology Can Help Save the World. It’s Now Cutting 20% of Its Staff as Trump Slashes Climate Funding.” CNN, May 30, 2025. https://edition.cnn.com/2025/05/30/climate/climeworks-pollution-carbon-capture-layoffs
・Lukowski, Andrzej. “Review Liam Young: In Other Worlds.” Time Out London, June 1, 2026. https://www.timeout.com/london/things-to-do/liam-young-in-other-worlds-review
・Paghdar, Bansari, and Anmol Ahuja. “On Planetary Speculation as Shared Cultural Infrastructure: Liam Young’s In Other Worlds.” STIRworld, May 28, 2026. https://www.stirworld.com/think-books-and-movies-on-planetary-speculation-as-shared-cultural-infrastructure-liam-youngs-in-other-worlds
・Tesler, Francesca. “Liam Young Imagines AI-Powered Mega Cities and Planetary Supercomputers in Barbican Exhibition.” Dezeen, June 5, 2026. https://www.dezeen.com/2026/06/05/barbican-in-other-worlds-liam-young/

 

リアム・ヤング「In Other Worlds」
会期:2026年5月21日(木)〜9月6日(日)

会場:バービカン・センター (Silk Street, Barbican, London EC2Y 8DS) 
https://www.barbican.org.uk/whats-on/2026/event/in-other-worlds