富山県美術館の前身である富山県立近代美術館は、1981年の開館から2016年の閉館まで35年にわたり、展覧会のポスターを永井一正氏に依頼してきました。その数は約250点にものぼります。永井氏は、自主制作である「LIFE」シリーズにも、いつしか同館の英称を添えるようになりました。こうした同館との関わりから永井氏の仕事をたどる追悼展示(2026年4~7月開催)を、担当した学芸員の内藤和音さんが振り返ります。(artscape編集部)
永井一正氏の訃報を受けて
2026年2月23日、永井一正氏が逝去された。1929年生まれ、終生現役でグラフィックデザインの世界の第一線を走り続けた伝説的なデザイナーだった。
それからおよそ2カ月後の本年4月から7月にかけて「デザインコレクション展I ポスター・ライフ 追悼 永井一正 富山県立近代美術館・富山県美術館への仕事から」と題した小さな展示を、当館デザイン・コレクション展(常設展)の2026年度第一期のテーマとして開催した。
富山県美術館開館から4年目の年に入職した私は、永井氏にはお会いしたことはおろか、声を聞いたことさえなかった。当館で永井氏のことをよく知る、旧・富山県立近代美術館(以下、富山近美)時代より勤務し、仕事をご一緒した職員は皆、敬意を込めて「永井先生」と呼ぶ。そう呼ぶのは、永井先生が富山近美が開館した1981年から閉館した2016年までのおよそ35年にわたり、自身の作風を前面に打ち出した展覧会ビジュアルの数々を制作してくださったことを大きな誇りとしているからだろう。本記事でも敬意を込めて、永井先生と呼びたい。
来年、当館は富山近美が移転新築し、富山県美術館となってから10周年を迎える。この機会に何かのイベントとして永井先生を再びお招きすることができると良いねと、そんな世間話をしていた矢先の訃報だった。訃報が飛び込んできたとき、私は、2026年4月初旬から始まるデザイン・コレクション展の担当者として、同時期の企画展に関連したテーマのもとにポスターと椅子のコレクションをセレクトしようと、展示作品の検討を進めていた。訃報に接したとき、強い使命感が胸に生じた。誰かに言われたわけでもなかったと思うが、このとき以外にいつ永井先生を取り上げるべきときがあるだろうか、そんな思いだった。
1980年代の富山県立近代美術館開館から、2010年代の閉館までのほぼすべてのポスターを一人のグラフィックデザイナーが担ったこと自体が稀有だが、そのグラフィックにおいても旧富山県立近代美術館の展覧会ポスターのシリーズは一線を画する特徴がある。一般的に展覧会のポスターには、展覧会名と作品画像、作家の肖像写真などを大きくレイアウトすることが基本的な画面構成だと思われる。だが、永井先生のポスターは、幾何学的な図形と色の組み合わせや、後の「LIFE」シリーズに見られるような生き物の姿が目をひくデザインなど、展覧会の告知という美術館をクライアントとするポスターの第一の目的に加え、一人のデザイナー、永井一正の自由な表現がなされる場でもあったのだ。
そうした類稀なポスター群や関連資料を有する当館だからこそ可能な展示があり、なおかつ、(僭越ながら)制作当時を知らない世代ゆえにできる構成に挑んでみたいと思った。

展示室入口側には、1981年の開館のポスターと2016年の閉館記念展のポスターを並べて展示した
記録映像に見る、制作の現場と信念
展示では、1966年のワルシャワ国際ポスタービエンナーレで日本人としてはじめて金賞を受賞したポスターや、札幌オリンピックのシンボルマークをはじめとする「クライアントワークのポスター」、そして「富山県立近代美術館の展覧会ポスター」、転換点とされるポスターシリーズ「JAPAN」、ライフワークとなったポスターシリーズ「LIFE」の4つの章で構成した。
このほか、富山近美時代に制作された、インタビューを中心とするドキュメント映像が5本ある。最も古い映像は、1984年に当館のポスターを制作する様子を取材したもので、永井先生が原案となるラフを描き、それをもとに烏口や写真植字の手法で文字を切り貼りして版下原稿を作る模様が映像に残されていた。一言でデザインするといっても、アシスタントの方々や各工程の職人たちの手の技を結集させ、長い時間をかけて紙の上にグラフィックデザインが組み上げられていた。
この頃の永井先生のポスターは、幾何学的に組み合わされた直線や、鮮やかな原色のグラデーションが目を引く。まるで初期のコンピュータが描いた3次元空間のような構成による作風だった。すべての工程を液晶画面の中で完結できる今となっては、たやすく思えるような作業でも、想像も及ばぬほどの緻密な手作業の組み合わせによって制作されていた。

ドキュメント映像より。版下を制作するスタッフとラフスケッチを前に打ち合わせする永井先生

ドキュメント映像より。版下を制作する様子
2014年に富山近美で開催された個展「永井一正 POSTER LIFE 1957-2014」展に併せて制作されたドキュメント映像では、長く富山近美の展覧会ポスターを担うことになった理由や、意識していたことを語っている。
「(富山県立近代美術館初代館長の小川正隆氏は)一人のデザイナーに長く展覧会のグラフィックデザインを担わせることで、美術館の(当時はデザイン・ポリシーと呼んでいた)ブランディングとしてイメージを確立したいという思いがあったのだと思う。そう言われるからには、特徴づけるため、僕の個性を100パーセント出した。グループ展ならむしろ僕のイメージでやる方がいいだろうし、個展であっても僕の一貫したデザイン・ポリシーが被さって一体となりながら、作家の特質をより強調していくという方法をとった」
展覧会はその時々に美術館の顔として大々的に広報が展開される。その顔とも呼べるポスターを、永井先生は信念をもって、あえて情報伝達のためのグラフィックデザインに留まらないポスターを制作し続けた。富山近美の展覧会ポスターは、いわゆるクライアントワークだが、自身の世界観を前面に出すことが許された、クリエイターにとっては理想的な仕事のようにも感じられる。反面、展覧会の企画や作品、作家の名のもつ訴求力に頼らずに、自分の力量のみによって観る者の関心を惹きつけなければならず、とても重い責任を引き受けることでもあった。
インタビュー映像の中の永井先生は、静かで淡々とした語り口ながらも、その言葉には、自らのグラフィックデザインへの自信と、重責への覚悟がにじんでいた。

2014年に開催された「永井一正 POSTER LIFE 1957-2014」展のインタビュー映像より
「JAPAN」から「LIFE」へ———生き物たちの眼差し
1987年の、亀倉雄策氏、福田繁雄氏、田中一光氏との富山近美での展覧会「4-G.D ポスターとマーク」をきっかけに制作された「JAPAN」シリーズ以降、永井先生の作風はそれまでとは大きく変化を遂げ、真っすぐにこちらを見つめる目をもった生き物の姿が現われ始める。そうした生き物は、富山近美のポスターでも、子どもたちの作品の展覧会や、現代美術のグループ展、個展「永井一正展」(1990)にも登場した。

「永井一正展」ポスター(1990)
2000年代に入ると、人の手の痕跡を感じる細かな線と色面のグラデーションにより、クマやゾウ、時には虫のような生き物が見られるようになる。この頃、永井先生は銅版画の技法に興味を寄せ、ポスターの中でも盛んに自作の銅版画をグラフィックに取り入れていた。
デザインや印刷の工程でコンピュータが担う部分が拡大し、かつての版下から写植、印刷へと分業された職人技の連携が過去のものとなりつつあったこの時代に、あえて印刷技術の基本とも言える版画に立ち返ることで生まれた作品には、人間のコントロールの及ばぬ掠れや滲みに、生き物の生命の強さが感じられ、何よりコンピュータによるグラフィックからは生まれない新鮮さがあった。
少しさかのぼり、ライフワークとなる「LIFE」シリーズの制作が始まる。当初は、銅版画により描かれた、野生味を感じる鋭い眼差しをもったチーターや鳥のような生き物と、画面の片隅に小さく「LIFE」の4文字が記されていた。このポスターはクライアントワークではなく、永井先生の自主制作作品である。「LIFE」は生命、生涯、生活のように多義的だが、生きとし生けるものに普遍的に当てはまる言葉をテーマとして、その尊さに気づかせ、讃えるようなポスターのシリーズである。
いつしか、「LIFE」シリーズには画面内に富山近美の英称「Toyama Prefectural Museum of Modern Art」と加えられるようになった。これは、当館から依頼して加わったわけではない。生前、永井先生の口から直接にこの文字列が加えられた理由は語られず、当時を知る職員に聞いても、残された映像からもこの経緯は正確にはわからない。いわば、富山近美への継続的な贈り物と言ってよいかもしれない。
仮説を立てるならば、35年にわたって年に4〜5本という頻度で当館の展覧会のポスターを手がけてきた永井先生は、仮想のクライアントとして当館を意識し、館名を含め画面構成を考えたのではないだろうか。そうしたことから、本展のタイトルに「富山県立近代美術館・富山県美術館への仕事から」という副題を添えた。展示室では最も長い壁に選りすぐった「LIFE」シリーズのポスターを並べた。展示作業が終わり、「LIFE」が並ぶ光景を見たとき、画面の中の生き物たちがこちらに向ける視線が自分に向けて集まってくるようで、内心、動物的な怯えさえ感じた。同時に、このポスターのタイトルは「LIFE」のほかに考えられないと確信した。

展示室内の横長の壁面には「LIFE」シリーズを展示。3枚1組で制作されることが多いが、本展では選りすぐった14点を展示した
永井先生が創り出した美術館の顔とともに
本展では、富山近美のポスターを軸に、4つの章に分けて41点展示した。生涯で制作したポスターを時系列に並べ、作者の視点や興味の移り変わり、制作手段の技術的な変化を見られる構成を目指したが、概ねその目論見は果たされたように思う。
展示室の端には、過去のインタビューなどから抜粋した映像を放映するモニターを設置した。その向かいには、当館の椅子のコレクションを展示するエリアがあり、その中に、永井先生が好んで仕事場あるいは自宅に置いていたアルネ・ヤコブセンのエッグ・チェアを展示した。画面の向こうでは、そのエッグ・チェアに腰掛けた40年前の永井先生が当時の日本のポスターの特徴を語っていた。
永井先生の穏やかな声が展示室を漂う。一つの美術館で一人のデザイナーが、それぞれ異なる性格をもつ、展覧会の顔とも言えるポスターを、およそ250点手がけた。やがて、ポスターの中に力強い眼差しの生き物を描き、デザイナーが生涯を終えるまで、このシリーズは毎年制作し続けられた。

同じ展示室内の20世紀の名作椅子を展示する一角。映像の中で永井先生が同時代の日本人のデザイナーとして名前をあげた剣持勇や倉俣史朗の椅子も並んだ
永井先生は、富山県立近代美術館が富山県美術館に生まれ変わる際、新しい美術館のロゴマークを手がけた。これが当館のための最後の仕事だった。これからも当館は永井先生の創り出した顔とともに歩んでゆく。
限られた資料、限られた時間の中で構成した小さな展示が、拙く、ささやかな構成ながらも、かつてこの美術館と永井先生がグラフィックデザインを通じて行った新しい試みを改めて伝える機会となり、これまでのご縁に報いる場となったならば幸いである。
「デザインコレクション展I ポスター・ライフ――追悼 永井一正 富山県立近代美術館・富山県美術館への仕事から」
会期:2026年04月09日(木)~2026年07月14日(火)
会場:富山県美術館 3階 展示室5(富山県富山市木場町3-20)
公式サイト:https://tad-toyama.jp/exhibition-event/20418
※記事内に登場するドキュメント映像は、富山県美術館内の映像コーナーで視聴可能