ごく稀なことだが、写真の世界で何かが大きく変わりつつある瞬間に立ち会っているのではないかと感じることがある。中井菜央が刊行した写真・エッセイ集『ゆれる水脈 写真 表象のさきに』(みすず書房)の出版記念展の一環として、9月20日にふげん社で開催された、中井と美術評論家の大倉宏のトークを聞いて、そんな思いを強く抱いた。『ゆれる水脈』は、写真家の視点から構築された写真論として出色の出来栄えだった。この本と、もう一冊同時期に刊行された中井の写真集『海の緒』(赤々舎)から、「写真とは何か?」をあらためて問い直す機運が盛り上がっていくのではないかという予感がする。

2026年7月21日(火)

佐藤時啓が1990年代以来自分の写真作品のテーマとして追求してきたのは、「光」と「時間」である。それらは、むろん写真という表現メディアにとって最大かつ永遠のモチーフというべきだろう。佐藤の場合はその追求を、外界を撮影した写真の画面に埋め込むのではなく、直接的に提示しようとする。長時間露光による光跡の定着、鏡による反射、ピンホールカメラの使用、プロジェクターによる投影、さらに黒白写真からカラー写真への移行など、長期間にわたる試行を経て、その「光」と「時間」の蒐集行為は厚みと広がりを備えた写真シリーズへと成長していった。今回、キヤノンギャラリーSで開催された「Strata of Time 積層する時間 八戸/東京」(2026/06/25-2026/08/06)は、その佐藤の作家活動の、現時点における集大成というべき展示である。青森県八戸の祭や民族行事を撮影した画像を、八戸の風景に投影する「Magic Lantern」、「私にとって日常の風景」である東京の変化を定点観測の長時間露光で捉えた「An Hour Exposure」、昼の光景を夜に同じ場所に投影する「Phantom Images」など、華麗に花開いた佐藤の写真の世界を楽しむことができた。

佐藤時啓 写真展「Strata of Time 積層する時間 八戸/東京」[筆者撮影]

2026年7月23日(木)

フランス出身のエリザ・エーメリーは、コロナ禍の時期の2021年に「ちょっとした偶然で」日本に来て、家族3人で東京に住み始めた。「Atode Ne」(see you gallery、2026/07/18-2026/08/03)は、それ以後の日々を撮影したスナップショットによる写真展である。写真によく写っているのは、日本に来たときにはまだ2歳だった娘のミナで、本作は彼女の成長を追った記録写真という側面もある。「まっすぐな黒髪」に憧れ、「遊びやエネルギー、時折見られる残酷さ」を発揮しながら日々を過ごしていくミナの視点に成り変わるように撮影された日々の出来事が、弾むように写しとられていて、とても面白い作品になっていた。コロナ以後の、まだどこか不安げな気分が残っている時期の東京の街の空気感が、写真からしっかりと伝わってくる。このシリーズは、もう少し長く続けていってほしい。ミナの成長とともに、また違った眺めが見えてくるのではないだろうか。

エリザ・エーメリー「Atode Ne」展[筆者撮影]

2026年7月25日(土)

生成AIについての関心の高まりとともに、それを使いこなしてアート作品を制作しようという動きも、少しずつ出てくるようになった。林ナツミがデンマークの出版社SNAP COLLECTIVEから刊行した写真集『THE GIRL』は、そのなかでも、かなり早い取り組みのひとつといえるだろう。林は、自分自身がさまざまな場所でさまざまなポーズをとってジャンプする姿を撮影した「本日の浮遊」を発表して大きな反響を呼んだ写真家である。本作もその延長の「セルフポートレート」として制作されている。だが、このシリーズに登場する少女たちは、顔が見えない匿名の存在としてあらわれてくる。林は自分自身を、実写の限界を超えたありえないシチュエーションで世界に偏在させることをもくろんでおり、その狙いはAIテクノロジーの進化によってかなり高い精度で実現していた。荒唐無稽な舞台設定ではなく、あえて彼女自身の日常の要素を取り込むようにしたことも、作品に絵空事ではないリアリティを与えることになった。とはいえ「AIとの対話」で生み出されてくる画像は、まだ思念のイラストレーションの段階にとどまっている。バラバラに提示されている各作品を、ひとつの世界観に落とし込んでいくことも必要になるだろう。

林ナツミ『THE GIRL』[写真提供:SNAP COLLECTIVE]

2026年8月2日(日)

毎年この時期には北海道の東川町に来ている。東川町で夏の時期に開催される東川町国際写真フェスティバル(東川町フォトフェスタ)も、今年で第42回目を迎えた。ほぼ毎年、ポートフォリオ・レビューの審査員として招聘されるので、うだるような東京の暑さを逃れることができるだけでもホッとする。フォトフェスタのイベント企画の目玉は、何といっても「写真の町東川賞受賞作家作品展」(東川町文化ギャラリー、2026/08/01-2026/08/31)だろう。今年もマルティナ・ホーグランド・イヴァノヴ(海外作家賞)、伊奈英次(国内作家賞)、林典子(新人作家賞)、中西敏貴(特別作家賞)、田川基成(飛彈野数右衛門賞)の受賞作品が展示されていた。フィルターを通したり、色味を変えたりしてやや歪んだ視覚世界を開示するスウェーデンの女性作家、イヴァノヴをはじめとして、幅広く、クオリティの高い作品を一度に見ることができるのはとてもありがたい。ただ、このところ受賞の枠組みが固定しているので、企画としてはややマンネリ化していることは否定できないだろう。特に海外作家賞には一考の余地がある。審査委員の1人が、あらかじめ定められた1カ国の写真の状況を調査し、その推薦を受けて決定するというシステムだが、全世界の写真家たちを対象とするという選考自体に難しさがある。対象地域を、例えば東アジアとかに限定し、各国の写真関係者にノミネートしてもらって、より丁寧に決定するというやり方もありそうだ。

マルティナ・ホーグランド・イヴァノヴ「写真の町東川賞受賞作家作品展」[筆者撮影]

2026年8月4日(火)

「MEMORIES OF WEST AFRICA ふたりのアフリカ、手仕事の宇宙
――人類学者・川田順造と陶芸作家・小川待子のコレクション」(世田谷美術館 、2026/07/11-2026/09/06)は愉しい展覧会だった。人類学者の川田順造は、1960年代から西アフリカ、北アフリカ各地をフィールドワークのために訪れ、多くの著作を刊行している。川田の妻で陶芸作家の小川待子もたびたびその調査に同行し、川田の著書の挿絵を担当することもあった。今回の世田谷美術館での展示は、その二人が収集した仮面、陶器、装飾品、布、日用雑貨などを一堂に会している。アーティスティックな意図で制作された絵画や彫刻もなくはないが、その中心になっているのは無名の作り手によるフォークロアの産物である。だが、そこに見られる自由な発想、生命力の発露、繊細でときには華麗な色彩感覚と造形意識には特筆すべきものがあり、息を呑むほどの洗練の極みに達しているものも多い。20世紀初頭のモダン。アートの成立期に、アフリカの造形美術が与えた影響についてはよく語られるが、その余波がかなり長く続いていたことを確認することができた。なお、会場には川田自身が撮影した写真も展示されていた。土器作りや音楽の演奏などの場面を撮影した記録写真がほとんどだが、どの写真からも人類学者としての視点だけでなく、被写体への共感といきいきとしたカメラワークを感じることができる。川田の写真の仕事にスポットを当てた展示も十分に考えられそうだ。

「MEMORIES OF WEST AFRICA ふたりのアフリカ、手仕事の宇宙
――人類学者・川田順造と陶芸作家・小川待子のコレクション」展[筆者撮影]

2026年8月5日(水)

佐内正史はどちらかというとアップダウンが激しい写真家で、すごいときはすごいがダメなときは徹底してダメな写真になる。彼自身が、感度はいいが繊細で壊れやすい受像器のようなところがあるので、コンスタントに写真の精度をキープするのが難しいのだろう。だがこのところ、岡本太郎記念館で開催された「佐内正史 雷写」(2026/03/14-2026/07/12)も含めて、佐内の写真のヴォルテージはずっと上がってきているようだ。雑誌『写真』Vol.9での特集を受けて、ふげん社で開催された個展「佐内さん」(2026/07/31-2026/09/06)でも、いかにも彼らしい、ヴィヴィッドに「動き出す」写真を見ることができた。例によって、佐内の動きに合わせてシャッターが切られた「今月撮った写真」が並んでいる。メキシコまで足を伸ばしているので、被写体を取り巻く空気感はいつもとやや違うが、モノとモノ、モノと人との絶妙なコレスポンダンスを、鮮やかに嗅ぎつけ、切り出していく感覚が冴え渡っている。佐内の写真の原点ともいえるデビュー作『生きている』(青幻舎、1997)の復刊が29年ぶりに決まったという。次のステップに、確信をもって進むことができそうだ。

「佐内さん」展[筆者撮影]

2026年8月19日(水)

写真家と被写体との出会いは、どこか運命的なところがある。宇井眞紀子が1992年に北海道日高地方の 二風谷 ( にぶたに ) を訪れ、そこに暮らすアイヌの人たちの写真を撮り始めたときにも、そんな特別な力が働いたのではないだろうか。以来、宇井は子連れで二風谷に通い詰め、30年以上にわたってアイヌの人と文化を追い続けてきた。そんな彼女が『アイヌときどき日本人』(社会評論社、2009)、『アイヌ、100人のいま』(冬青社、2017)、『アイヌ、風の肖像』(新泉社、2011)などの写真集にまとめ、発表してきた写真群を一堂に会したのが「ankoraci アンコラチ そのまま、そのまま」展(キヤノンギャラリーS、2026/08/17-2026/09/29)である。タイトルの「ankoraci」とは「そのまま、そのまま」という意味だという。会場に入ると、まず160点という展示作品の量に圧倒される。スライドショーの形で公開された、アイヌの人たちのポートレート(詳細なコメント付き)を含めると360点。だが、これだけの点数にもかかわらず、もっと見てみたいという気持ちに駆られるのは、宇井のアイヌへの思い、共感がただならない密度と強度で伝わってくるからだろう。モノクロームとカラー写真を交互に見せる会場構成もよく練り上げられていた。なお展覧会に合わせて、宇井の写真と文章による力のこもったドキュメント『アイヌ、現代の肖像』(国書刊行会、2026)も出版された。

宇井眞紀子 写真展「ankoraci アンコラチ そのまま、そのまま」[筆者撮影]

2026年8月20日(木)

寺田真由美は1980年代から彫刻と写真にまたがる作品を制作し始めた。今回の「練馬区立美術館コレクション 寺田真由美―不在の存在」(練馬区立美術館 、2026/07/25-2026/10/18)は、プラスチックで型取りした衣装をハンガーに吊るした初期作品《Mr. Jones》から、ミニチュアの部屋を作ってモノクローム写真で撮影・プリントした「不在の部屋」シリーズ、さらに近作のアラバスター石による彫刻作品「bed」シリーズまで、代表作40点が出品されていた。寺田の作品を貫くキーワードは「不在」である。彼女の作品からは、主役となるべき人物の姿は排除されている。とはいえ、衣装にも部屋にもベッドにも、その所有者である人間の痕跡がくっきりと刻みつけられていて、見る者は「不在」の誰かを意識し、想像するように導かれていく。その回路の作り方が絶妙であり、虚構の世界が構築されているにもかかわらず、生々しくリアルな空気感が漂っている。ニューヨークと東京とを行き来しながら構築されてきた、静謐だが心揺さぶる作品の世界にじっくりと浸ることができた。

「練馬区立美術館コレクション 寺田真由美─不在の存在」展[筆者撮影]

2026年9月5日(土)

東京都写真美術館地下1階で開催された「複製される感性─森山大道」展(2026/09/05-2026/10/18)は、とてもユニークな発想の写真展だった。もともとは奈良女子大学工学部長谷研究室に属する学生たちと、入江泰吉記念奈良市写真美術館 との連携によって、デジタル・メディアを駆使して森山の写真の世界を再構築するという企画がスタートであり、2025年の入江泰吉記念奈良市写真美術館での展示を経て、今回の東京都写真美術館での展覧会が実現した。写真集からの複写作品をベースに、東京都写真美術館所蔵の森山のプリントの展示を加えて、その作品世界の拡張・展開をもくろんでいる。任意に選んだ森山の写真をプリンターで出力する、写真を貼り込んだルービック・キューブを製作する、AIで写真を元にした動画を作成する、森山のセルフポートレートを軸に、スナップ写真における「撮る─撮られる」という関係を検証する等々、デジタル世代の学生たちでなければなかなか思いつかないアイディアが実現しており、これまでの森山大道展とは一味違う展示になっていた。ともすれば閉じられがちな写真家の作品世界を、広く開放していこうとする意図が貫かれた画期的な展覧会だと思う。

「複製される感性─森山大道」展[筆者撮影]

2026年9月10日(木)

鈴木のぞみ展を開催中の、東京・半蔵門の東條會舘写真研究所がオープンしているのは、金、土、日曜日と祝日である。ついうっかりそれを忘れていて、木曜日に訪れたのだが、たまたまスタッフの方がいて開けてもらうことができた。鈴木の光学器械と写真画像とを結びつける作品も、かなりの厚みを持つようになってきた。今回の「Looking Through Glass−ガラス越しの眼差し」展(2026/09/04-2026/11/08)でも「ステレ・モノグラフ─1900年パリ万国博覧会 日本館」から「子ども用の虫眼鏡─蟻」まで、近代における視覚の歴史を、さまざまな角度から辿るオブジェ作品の展示が実現していた。特に注目すべきなのは5階の、旧東條會舘の写真スタジオで実際に使われていた修整台、ピントグラス、ピントルーペ、交換レンズなどを使った作品が並ぶパートである。展示空間との関係性を強く打ち出すことで、作品制作の方向性がしっかりと定まっていた。どの器械にどの画像を映し出すのかという選択も、とてもよく考えられていて、緊密な構成のインスタレーションが実現していた。

「Looking Through Glass─ガラス越しの眼差し」展[筆者撮影]

2026年9月12日(土)

前作の写真集『雪の刻』(赤々舎、2022)のあたりから、中井菜央の写真は明らかに変わった。なんというか、世界に向ける眼差しに、人やモノの表層を突き抜けてその本質を掴み取るような力が備わったように思える。新潟県の豪雪地帯を撮った後に、中井は北海道の北端の宗谷岬に向かった。前作のテーマだった「雪」を、さらに大きく包み込む「水(海と空)」に対峙するためだ。稚内から知床半島の根元の標津に拠点を移して続けられた撮影は3年に及び、1冊の写真集にまとまった。それが『海の緒』(赤々舎、2026)である。その刊行を期してPOETIC SCAPEで開催された個展「海の緒」(2026/09/12-2026/10/11)には、写真集からピックアップされたプリントが並んでいた。冬の写真が多いので、黒々としたモノトーンの写真が多い。にもかかわらず、そこここに強い生命の気配を感じる。北国の厳しい生存の条件だからこそ、人間を含めた生きものたちが、その存在をより大きく伸び広げようとしているのだろう。中井の視力は、時空のすべてを写し込みつつ、それと対峙する「私」の経験とも響き合う、より大きな広がりを備えた領域へと届こうとしているように見える。

中井菜央「海の緒」展「写真提供:POETIC SCAPE」

2026年9月18日(金)

川口市立美術館の開館記念展として開催された「蜷川実花展 はじまりの光」(2026/09/12-2026/11/29)は、このところの蜷川の作家活動の充実ぶりをよく示す大規模展だった。中心となっているのは、家族をテーマに彼女自身の写真作家としてのルーツをもう一度問い直そうとする試みである。父の演出家・蜷川幸雄が、母の元女優でキルト作家・真山知子(本名・蜷川宏子)を撮影したアルバム写真を再構築した「First Light」、自身のセルフポートレートの連作「Self-image」、父の死の前後の写真日記「うつくしい日々」などの作品群が並ぶ。圧巻は、父の書斎を移設して再現し、母のキルト作品、蜷川の新作写真などとともにインスタレーションした「ROOM KEY」のパートだった。蜷川はこれまで、あまり自分の出自を積極的に表明してこなかった。だが、今回は、海中の生きもの、桜、造花などのシリーズと合わせて、自己と家族に言及する写真を集成することで、彼女の写真世界の成り立ちと展開をトータルに提示しようとしていた。その意図は、とてもうまく実現していたといえるだろう。

「蜷川実花展 はじまりの光」[筆者撮影]

2026年9月21日(月)

写真を撮影した場所とそれらの写真を展示する場所とは、本来、強い関係で結ばれているべきではないかと思う。その点でいえば、新宿2丁目のArtBAR 星男(ほしお)で開催された、ときたまの展覧会「赤新宿 黒新宿」(2026/09/18-2026/09/30)は、まさにぴったりのシチュエーションといえる。「新宿で撮影した写真を新宿に返す」という狙いが貫かれていたからだ。ときたまは、2016年からスマートフォンでスナップ写真を撮影するようになった。新宿界隈はよく足を運ぶ場所なので、成り行きで撮影枚数も増えていった。それらの写真を集成したのが今回の「赤新宿 黒新宿」展である。新宿という街には、たしかに、きらびやかに流れていく「赤」と、欲望や怨嗟が渦巻く「黒」の部分とが同居しているように感じる。一見軽やかに、そこに形をとっている人やモノや出来事をすくいとっているように見えるが、彼女のカメラアイは、その新宿の深層のうごめきにも届いている。なお、写真展に合わせて同名の写真集も刊行された。「日々是人体実験」「いつでも新宿のラブホテルに入れる自由」といった「ときのことば」と、新宿の空気感をヴィヴィッドに封じ込めた写真群とが交互にあらわれてくる構成だ。

ときたま「赤新宿 黒新宿」展[筆者撮影]