
発行日:2026/08/26
発行:東京大学出版会
発行元ウェブサイト:https://www.utp.or.jp/book/b10170978.html
(前編より)
もちろん評者がここまで述べてきた系列化はあくまでも一例であり、読者の関心に応じてさまざまな「星座」を描くことができるだろう。各章の論考を読むとアビ・ヴァールブルクについてはハインリヒ・ヴェルフリンとの対照的な関係が俎上に上げられており、独立して取り上げられていない論者も含め、イメージ論の確かな地図を手に入れることができる。
ただ改めて取り上げられた論者の固有名や本文中の記述を見ると、モダニズムがやや相対化されているのではないかという懸念も感じられた。もちろんまったく触れられていないというわけではない。ロザリンド・クラウスの章においては絵画の平面性の純化の先にある内的矛盾が、フランク・ステラやドナルド・ジャッドの作品に現われていることが補足される。ジェフリー・バッチェンの章では写真メディウムの固有性を通じ、美的可能性を追求したモダニズム的な写真言説についても説明がなされている。
このように、モダニズムを批判的に受け継ぐかたちで自身の仕事を確立した論者は取り上げられているが、その当のモダニズムを美術において波及させたクレメント・グリーンバーグや、写真の価値判断としてそのような尺度を受け継いだジョン・シャーカフスキーについては独立して扱われていない。ゆえに前提知識がないと、クラウスやバッチェンらがなぜモダニズムを乗り越えなければならなかったのかという動機を汲み取りづらくなっている側面は否めない。しかしこのことは、こうした動きをある程度捨象せざるを得ないほど、イメージ論の展開が各研究領域に拡散しているという状況の裏返しでもあるだろう。
その意味では、むしろ紹介される論者以外のことも念頭に置きつつ、通時的、共時的にマッピングを行ないながら同書を読むことは能動的な読書体験となるはずだ。この本にはアンリ・ベルクソンやジル・ドゥルーズといったイメージ論においても成果を残した哲学者は取り上げられていないが、ティム・インゴルドの章ではドゥルーズ=ガタリの「逃走線」がインゴルドの「線」に対する考察へと接続されていることが論じられる。脳科学とも協働するデイヴィッド・フリードバーグの章では、アントニオ・ダマシオの名前も確認することができる。このようにある種の限界を自覚しながらも、可能な限り多領域に開かれていくようなラインナップを編者たちは構想したのではないだろうか。
また、あとがきも兼ねた前川修による論考(「イメージ論の地図のための覚書:複数のヴィジュアル・スタディーズ」)は同書の内容をよりアクチュアルに把握するための有用な見取り図となっている。ここで前川は、ハル・フォスター、キース・モクシーを取り上げ、理論同士を立体的に交差させる。まずフォスターに関しては、美術史の二律背反を整理しながら、1980年代から90年代にかけて成立していったヴィジュアル・スタディーズが人類学など他領域の専門知を使いながら、「多様なイメージをただただ肯定するだけのイメージ礼賛のための理論的なフレーム」になっているという時代診断について紹介する。モクシーに関しては、フォスターのような敵対的振る舞いではなく、ミッチェルの言う「画像的転回」を受け止めながら、それが美術史にどのような変容をもたらしたのかを系譜づけている。このときモクシーが挙げるのが、デュディ=ユベルマン、ベルティンク、ホルスト・ブレーデカンプである。
フォスターに関して言えば、同書でほとんど顧みられないデザイン、建築を彼が言及対象にしていることも重要であるが、フォスターとモクシーを通じた前川の巧みなマッピングは、さらなる批判的問いを読者に生起させるだろう。学生を主な対象としているとはいえ、自身の仕事でも充実した成果を発表している執筆者たちの収録テキストは、良い意味で手加減がない。ここ15年ほどこうしたイメージ論を追いかけてきたつもりの評者でも、発見は多かった。長すぎない文章量で代表的論者の理論的骨子を把握できるのはコストパフォーマンスに優れており、一般の読者でも手元に置き、各章の冒頭に目を通し興味を持った章から読み進めるのも良いだろう。冒険に出るのは、次は私たちの番だ。
執筆日:2026/08/31(月)