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KYOTO EXPERIMENT 2023(前編) チェルフィッチュ『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』

2023年11月15日号

会期:2023/09/30~2023/10/03

ロームシアター京都 ノースホール[京都府]

出演者の属性(社会的、人種的、国籍、母語、ジェンダー、セクシュアリティ、障害/健常……)はどこまで舞台作品の成立に関与するのか。とりわけ、マイノリティ性をもつ当事者の出演は、「再現/表象」という演劇の原理とどこまで批評的に関わるのか。演出家の権力性、そして「観客」という立場は、どのように反省的に問われうるのか。本稿では、こうした視点から、KYOTO EXPERIMENT京都国際舞台芸術祭 2023の上演作品のうち4つを取り上げる。前編ではチェルフィッチュ『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』、中編ではバック・トゥ・バック・シアター『影の獲物になる狩人』、後編ではアリス・リポル/Cia. REC『Lavagem(洗浄)』とウィチャヤ・アータマート/For What Theatre『ジャグル&ハイド(演出家を探すなんだかわからない7つのモノたち)』について考察する。


チェルフィッチュの新作『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』は、日本語を母語としない出演者との協働により、「アクセントや文法の正しさ」というネイティブ視点の基準から解放し、「日本語で上演される演劇」を更新しようとする画期的な試みである。チェルフィッチュ主宰の岡田利規は、2021年からノン・ネイティブ日本語話者との演劇プロジェクトを始動。ワークショップやトーク、オーディションを経て選出した俳優とともに本作を制作した。戯曲は『新潮』2023年10月号に掲載。

舞台は宇宙船イン・ビトゥイーン号の船内。「わたしたちの言葉の著しい衰退」を食い止めるため、地球外知的生命体を探索し、言葉を習得させるという政府主導のミッションを帯びた4人の隊員と、船内の掃除など雑用を担う人型ロボットが乗船している。宇宙船がワームホールを抜けて太陽系の外へ出たとき、いつのまにか船内には一体の地球外知的生命体が入り込んでいた。それは正確にはどのタイミングだったのかを「再現」する、という体で6名の会話が展開する。



[撮影:井上嘉和 提供:KYOTO EXPERIMENT]


これだけでも十分メタ演劇的な構造だが、本作のポイントは、「日本語を母語としない俳優が日本人隊員を演じ、日本語ネイティブの俳優がロボットや宇宙人を演じる」という逆転の構造にある。この戦略的な「反転」により、言語の政治性をめぐる問いがさまざまにパラフレーズされ、立体的かつ歴史的な奥行きを獲得していく。

開始早々、コーヒーの抽出開始を告げるマシンの「不自然な」人工音声が流れることは示唆的だ。この演劇が、日本語の「自然さ/不自然さ」の基準、その判断を下すネイティブ=マジョリティの特権性、AIのアルゴリズムによる言語学習/ノン・ネイティブ話者による外国語学習といった主題を扱うものであることを予告する。そして、登場した隊員たちは、「宇宙の音楽」についての会話を始める。それは「地球の音楽」とどこまで似ている/違うのか。

隊員たちは、存在しないヘッドフォンを耳に当てて「音楽を聴くフリ」をし、見えないヘッドフォンを手渡し合う。「宇宙の音楽」への想像は、詩的なメタファーとして機能し始める。母語という重力圏を離れ、意味から遊離し、純粋な音へと近づく言葉の群れ。隊員のひとりは「ここにあるよ」とヘッドフォンを仲間に手渡すが、まさに彼らの話す日本語の響きは、アクセントの位置や強い母音の発音などにより、音楽的に聴こえ始める。あるいは、「発音の不安定さ」は、意味の揺れや多重性を偶発的に引き起こし、聴く側の想像を拡張する。例えば、「地球を思い出させる音楽を聴きたくないが、地球の存在を頭のなかから消すと、地球に残した人たちを見捨てたことになってしまう」と語る隊員の「カットゥのドラマ」は、「葛藤」のなかに「切断(cut)」をはらんでいる。また、政府主導のプロジェクトへの参加を文部科学大臣から打診され、「悩んでいる」と正直に発言したら、大臣がブチギレて暴れたというエピソード。「犠牲になったショッキ」は、「食器(床に叩きつけられた皿)」だけなのか。不機嫌な上司の暴言・暴力を浴びた「書記」もモノ化された存在として二重写しになる。



[撮影:井上嘉和 提供:KYOTO EXPERIMENT]


隊員たちの話す日本語が、多様な響きをもつ「宇宙の音楽」として聴こえ始めると同時に、ネイティブ話者の俳優の発語は抑揚を欠いた平坦なものに感じられてくる。また、英語をカタカナ表記した単語は発音の差異が際立つことで、日本語のハイブリッド性が意識され、「純粋な日本語」に疑義を突きつける。

もちろんここには、「ノン・ネイティブの俳優が日本語で話す演劇」がネイティブの作家によってつくられ、(国際演劇祭とはいえ大半が)ネイティブの観客が見るという暴力性や構造的不均衡がある。岡田はこのことに自覚的で、だからこそ本作は「日本(語)批判」へと矛先を向ける。象徴的なのが、船内の雑用を担う人型ロボットの「ヨシノガリさん」が、「やりがいを感じたいから、フィルター掃除の回数を減らしてほしい」と訴えるエピソード。ロボットのヨシノガリさんが「やりがい」という言葉を使うことに違和感を抱く隊員。「ヨシノガリさんの言葉はアルゴリズムですよね」と面と向かって言う線引き。微妙な反抗心を見せていたヨシノガリさんは後半、取り替えるはずの蛍光灯を武器に持ち替えて暴れ出す。「みなさんは、ずっと前からだ、最初からだった、わたしのことを侮辱していた」。丁寧な言葉遣いという「偽善の糖衣にくるまれた」差別感情。人間の言語を学習するAIプログラムがネイティブ俳優によって演じられ、日本語を習得したノン・ネイティブ俳優が日本人を演じるという転倒の操作により、移民労働や移民差別を逆説的に浮かび上がらせる。隊員たちの「安全で快適な生活」を支える労働に従事し、言葉の習得過程で区別されるロボットとは、3Kの現場や清掃業で働く移民のパラフレーズである。また、船内に入り込んだ宇宙人が何重にも受ける「凶暴度レベルチェック」「知性レベルチェック」は、コミカルな笑いを通りこしてブラックジョークだ。

そして、「言葉の衰退」を食い止めるため、宇宙に進出して知的生命体と接触し、言葉を習得させるミッションが国家規模で進められていること自体、過去の植民地主義における同化政策を「SF的未来」へと批判的に反転させたものにほかならない。「チクブシマ」「アマツカゼ」「ナニシヲワバ」といった乗組員たちの古風な名前に冠せられたナショナリズム。太陽系外へと抜けるワームホールが近づく瞬間、隊員は「宇宙船の窓」に見立てた舞台前面のフレームを通して観客席をのぞき込む。私たち観客が、母語の共同体から「宇宙空間」に放り出されるという反転。「人間とは比較にならない高度な知性レベル」が判明した宇宙人は、隊員たちの言葉を瞬間的に習得し、新たな単語、文法、可聴域外も含む音を付け加え、言語自体が有機生命体のように進化・変容していく未来について独白する。だが、「真空やダークマターのヴァイブレーション」を織り交ぜたその語りは、「それを捉えるレセプターを持ち合わせていない」隊員たちには理解されず、「わたしたちの言葉の末永い繁栄を願って」〈サザレイシさん〉と皮肉かつ暴力的に命名されてしまう。

日常着や作業服を着た隊員やロボットとは異なり、〈サザレイシさん〉の全身は、梱包用のプチプチシートのようなもので覆われている。初めは周囲を遮断する透明なバリアのように見えたそれは、可聴域外の音や真空のヴァイブレーションすら含む「宇宙の音楽」を捉えるためのレセプターだった。あなたは、バリア/レセプターのどちらを持ち合わせているのか。絶えずそう呼びかけられているような上演だった。



[撮影:井上嘉和 提供:KYOTO EXPERIMENT]


チェルフィッチュ『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』(trailer)



KYOTO EXPERIMENT2023 チェルフィッチュ『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』:https://kyoto-ex.jp/shows/2023_chelfitsch


チェルフィッチュ『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』京都公演(KYOTO EXPERIMENT2023):https://chelfitsch.net/activity/2023/08/in-between.html

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2023/10/03(火)(高嶋慈)

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