特定の作家の全作品や美術館の全コレクションを体系的にまとめた総目録「カタログレゾネ」は、美術研究の基礎資料であり、作品の真贋の判断基準にもなるもの。制作年、署名の有無、素材や技法、展覧会歴、文献、所蔵歴などの詳細な記録は国際的に公開され、活用されるためには利便性の高いシステムでなければならない。このほど奈良美智のデジタルカタログレゾネ「YOSHITOMO NARA The Works」が更新され、その充実ぶりに目を見張った。これまで、美術館の情報化、デジタルアーカイブ等について研究・実践してこられた川口雅子氏がその編纂の企画段階からかかわられているという。本稿では、川口氏にレゾネ編纂のこれまでと現状、その意義と今後のアーティストのカタログレゾネ編纂の指針ともなるポイントについて執筆いただいた。(artscape編集部)

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「YOSHITOMO NARA The Works」の更新
2026年9月4日、アーティスト奈良美智のデジタルカタログレゾネ「YOSHITOMO NARA The Works 」(以下、「The Works」)が更新された。管理・運営するのは一般財団法人奈良美智財団。新しくなったのは「展覧会データベース」と「年表」である。
「展覧会データベース」は、個々の展覧会を独立したレコードとして扱う形式に生まれ変わった。収録数は722件(2026年10月現在)。各レコードには「EXH」ではじまる通し番号がふられ、タイトル・会期・会場・主催者から出品作品まで収録する。主要な展覧会を彩る写真も豊富だ。「年表」は1959年から2023年までを対象に、同時代の社会状況と対比させながら、奈良のアーティストとしての活動や個人的な出来事をスナップ写真とともに綴る。際立つのは、個々の記述に出典が明記されている点だ。記述の典拠をここまで明示した年表は、日本のアーティストに関するものとしては稀であろう。

「展覧会データベース」「Yoshitomo Nara」展(ヘイワード・ギャラリー、ロンドン、2025)のページ
https://www.yoshitomonara.org/ja/exhibitions/EXH175/

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「年表」のページ
https://www.yoshitomonara.org/ja/biography/chronology/#y1989
2021年11月に公開されたこのサイトに、筆者は構想段階からアドバイザーとして関わる機会に恵まれた。そして公開の翌2022年に立教大学で開かれたシンポジウム「奈良美智のオンライン・カタログレゾネ・プロジェクト──現代美術のドキュメンテーション考」では、ドキュメンテーションすなわち文書や写真で記録することの意義を強調した★1。
さてここで取り上げる「デジタルカタログレゾネ」という語は、この分野の草分けであるアーティフェクス出版(Artifex Press)によって、2012年のチャック・クロースのカタログレゾネ公開時に早くも用いられている★2。「デジタルアーカイブ」と似た響きがあるが、こちらは文字通り、紙媒体で確立されてきたカタログレゾネのデジタル版のことだ。ということは、この語の輪郭をつかむには、まずカタログレゾネそのものへの理解が欠かせない。カタログレゾネとは、一言でいえばアーティストの全作品目録のことだが、その役割は本稿で見ていくように単なる画像一覧にとどまらない。
「The Works」公開の前後からデジタルカタログレゾネの世界は進化し、制作基盤を提供する「Navigating.art」のような組織も現われた。同組織は2018年以降に公開された主要なサイトとして34件を掲げているが★3、ポール・ゴーガン、アクセリ・ガッレン゠カッレラ、ロイ・リキテンスタインといった錚々たる顔ぶれと並んで、奈良美智もそこに名を連ねる。これらのサイトを見比べると、収録情報の構成や提示の仕方には一定の共通項があり、デファクトスタンダード(事実上の標準)が形成されつつあることがうかがえる。背景には、この分野を牽引するウィルデンスタイン・プラットナー研究所や国際カタログレゾネ協会(ICRA)による議論や実践の蓄積があるのだろう。
翻って、日本の状況はどうだろうか。「The Works」のような取り組みがある一方、紙媒体・デジタル媒体を問わず、カタログレゾネの刊行はなお限られている。カタログレゾネが単なる作品一覧でないことは既述のとおりだが、さらに踏み込むならば、どの作品をそのアーティストの作品として認めるのか、すなわち採録の可否を判断し、その収録判断の根拠となる資料を集成して、第三者による検証を可能にする研究基盤にほかならない。こうした基礎研究を欠いたままでは、美術館や展覧会の関係者、美術史家、アートディーラーらによる調査・研究が進まず、日本のアーティストの存在感は相対的に低下していくことが懸念される。では、カタログレゾネの編纂を後押しし、日本のアーティスト情報を豊かにしていくには何が必要か。以下、今回の更新を手がかりに4つのヒントとして整理してみたい。
ヒント1──美術館収蔵品データベースと地続きで考えること
美術作品の情報は、タイトル、作家、制作年、技法・支持体、寸法、署名・年記などの基本情報と、来歴・展覧会歴・文献歴といった歴史情報から構成される。各所で繰り返し述べてきたことだが、この構成は美術作品を記録・管理する際の国際的な標準であり、美術館の収蔵品データベースにせよ、カタログレゾネにせよ、基本は変わらない。
歴史情報の具体例として、ポール・ゴーガンのデジタルカタログレゾネを見てみよう。《海辺に立つブルターニュの少女たち》(1889)(国立西洋美術館)のページには、来歴(Provenance)、展覧会歴(Exhibitions)、文献歴(Publications)が掲載されている。同じ作品を国立西洋美術館の収蔵品データベースで見ると、やはり基本情報とともに来歴・展覧会歴・文献歴が掲げられている★4。3つの項目はそれぞれ、次の問いをめぐって集められたものだ。作品が世に出てから、どのような人々の手を経てきたのか。どの展覧会にどのような名称で出品されてきたのか。どの文献に掲載され、どのような研究のなかで論じられてきたのか。これらの情報は単なるエピソードではなく、作品の歴史を跡づける記録である。
だが日本で歴史情報の公開を実践しているのは、国立西洋美術館のほか、国立国際美術館、三重県立美術館など数えるほどである。とりわけ気がかりなのは、紙媒体の目録には収録されていた文献歴や収集経緯などの情報が、ウェブサイトでは欠落しているケースだ。紙面の制約がないはずのウェブで、なぜ情報が減らされてしまうのか。
理由のひとつにはパッケージシステムの制約があるだろう。とはいえ、項目がなければ(予算の問題はあるが)カスタマイズという方法があるし、多くの美術館が必須と考えるなら、パッケージ自体が更新されていくはずだ。そうなっていないのは、必要性がなお十分に認識されていないからではないだろうか。実際、筆者はシステム開発の現場で「文字が多すぎないか」と懸念する声を度々耳にする。そこには、デジタルアーカイブは一般向けのわかりやすい情報を届ければ足りるという認識が横たわっているように思われる。だが、たとえばルーヴル美術館の《モナ・リザ》のページは、A4判で出力すると約15ページ分にも及ぶ文字量だ。作品に関する知見を共有するのに、字数が多すぎるということはない。日本においてウェブ上の美術作品情報を充実させるには、美術館の調査研究活動とデジタルアーカイブ整備との間にある隔たりを埋めることが必要であり、それはカタログレゾネの整備においても同じである。
ヒント2──作品を軸とした構造をつくること
ヒント1では、ひとつの作品ページに記される項目を見た。次に、視点をサイト全体の構成に広げてみよう。デジタルカタログレゾネを構築する際には、ただ作品を並べればよいわけではない。重要なのは、作品、展覧会、文献、所有者といった情報に識別子を与え、それぞれ独立したレコードとして管理し、相互に結び付けられる構造をつくることである。こうした考え方は海外の主要なデジタルカタログレゾネではすでに標準的なものとなっている。
たとえばアーシル・ゴーキーのデジタルカタログレゾネを見てみよう。滋賀県立美術館所蔵の《無題[バージニア風景]》(c. 1943–44)のページ★5の文献歴には、「Lader 1985」という略称がある。これをクリックすると、「文献」タブに収められた当該文献のレコードに移る。そこには詳細な書誌情報とともに、この文献に掲載されたゴーキーの作品が一覧にされている。展覧会歴の「1996 Nagoya」も同様で、「展覧会」タブにある「抽象表現主義展:アメリカ現代絵画の黄金期」(愛知県美術館)のレコードにつながっている。来歴に見える西武百貨店や南天子画廊も、所有者として独立したレコードを持つ。作品の側には略称だけを置き、その本体は文献や展覧会のレコードとして別に管理する。この仕組みによって、作品から文献へ、文献から別の作品へと、双方向にデータを連携させることができるのだ。
このような情報の参照関係は、紙のカタログレゾネに既にあったものである。欧米のカタログレゾネでは、各作品の項目に「Lader 1985」のような略称を記し、詳細な書誌情報は巻末の文献目録で提示するのが標準的である。デジタル環境では、この略称の役割をレコードの識別子が引き継ぎ、参照関係をワンクリックで相互にたどることができる構造が実現しているのだ。
では、日本のカタログレゾネはどうだろうか。目次を見ると、作品目録、図版、文献目録、年譜と、欧米のカタログレゾネと同じ要素が並んでいて、彼我に違いはないと錯覚しそうになる。ところが、作品の項目を見ても、その作品がどの展覧会に出品され、どの文献に掲載されたのかは示されていないことがある。展覧会一覧は年譜のなかに埋もれ、文献目録も調査とは切り離されて、独立した章として編まれていることも少なくない。要素は揃っていても、それらが作品と参照関係で結ばれていないのだ。
展覧会一覧や文献目録はカタログレゾネの添え物ではなく、作品を支えるドキュメンテーションそのものである。そうした情報が相互に結びついた構造こそ、デジタルカタログレゾネの前提である。「The Works」が展覧会を独立したレコードとして扱う形式に改めたのも、こうした構造化に向けた一歩といえる。
ヒント3──権威よりドキュメンテーション、と認識を更新すること
かつてカタログレゾネの権威は、作品を実見し、真贋を見極める専門家の見識、いわゆる目利き(connoisseurship)に大きく依存していた。しかし近年、こうした考え方は変化しつつある。
象徴的なのがアンディ・ウォーホル財団の動きである。同財団は2012年、真贋認証委員会を解散して認証業務から撤退した一方、研究活動やカタログレゾネ編纂事業は継続する道を選んだ。そこには、「認証」よりも「研究・記録・公開」に重きを置こうとする姿勢を見ることができる★6。作品を実見することの重要性が失われたわけではないが、いま重視されているのは、誰がそう判断したかよりも、その判断がどのような資料や記録に拠っているのかを明らかにすることである。
そのことは、先に挙げたウィルデンスタイン・プラットナー研究所によるゴーガンのデジタルカタログレゾネを見るとよくわかる。たとえば白黒の写真で掲載される《風景の中に座る裸婦》(1902)は、同研究所のゴーガン委員会による正式な現物調査を経ずに収録されていることが、調査状況の欄に示されている。実見されていないにもかかわらず、画家のもとからアンブロワーズ・ヴォラール画廊が仕入れ、タンハウザー画廊を経て松方幸次郎が購入し、十五銀行に渡ったのち、戦災で焼失したとみられる来歴が記されている。その根拠として、画廊の在庫台帳などのアーカイブ資料、1930年開催の松方コレクションの第3回売立の目録といった同時代の出版物、さらには『松方コレクション 西洋美術全作品』★7などの研究文献までが挙げられている。
カタログレゾネへの収録は、専門家の目利きによる判断を経たものと思われがちだが、ここでは信頼できる記録が判断の根拠となっている。しかもそれらは、確認の範囲や残された不確実性までを含めて公開されている。生成AIのハルシネーションが問題となる時代だからこそ、結論だけでなく、それに至る過程を示すドキュメンテーションの価値はいっそう高まっているといえよう。
ヒント4──仕上げるよりも公開し、研究とともに更新していくこと
ヒント3では、判断の根拠となるドキュメンテーション資料を公開する重要性について述べた。では、その公開は研究が一定程度の完成をみるまで待つべきなのだろうか。紙のカタログレゾネは、長年にわたる調査研究、時には数十年にも及ぶその到達点として刊行されるものだった。だが今日のデジタル環境では、研究成果を段階的に公開し、その後の調査や発見を反映しながら継続的に書き換えていく基盤として捉えられるようになってきている。
その代表例が、ウィルデンスタイン・プラットナー研究所によるモネのパステル作品のデジタルカタログレゾネである★8。ダニエル・ウィルデンスタインが1974年から1991年にかけて刊行した全5巻のカタログレゾネは、長らくモネ研究の基準とされてきた。しかし刊行後も新資料の発見や研究の進展は続く。またウィルデンスタイン自身、すべての作品を実見できたわけではなく、白黒の記録写真に頼ることも多かった。そこで同研究所のモネ委員会は、デジタルでの全面改訂に踏み出したのだ。その第一弾となるパステル作品では、確認が済んだ作品はカラー図版とともに記述を更新し、未収録だった作品を追加する一方、検証途上の作品も白黒図版のまま公開している。確定した成果だけではなく、研究の現在地を公開しているのである。
こうした継続的な更新を支えるのは、一度きりの出版体制ではなく、資料の調査、データの管理、研究成果の公開を継続できる組織と体制である。これからのカタログレゾネは、「本の出版プロジェクト」ではなく、「持続的な研究プロジェクト」として考える必要があるのではないだろうか。
カタログレゾネを不変の完成品ではなく、更新し続ける研究基盤として捉えるという点で、「The Works」も同じ方向を向いている。開設から約5年を経て行なわれた展覧会データベースと年表の更新はそのことを物語っている。
成長し続けるカタログレゾネとして
今回の更新によって、「The Works」は新たなステージに移行した。ここにみてきたように、この更新は、それぞれ独立した機能追加ではなく、作品をめぐる記録を相互に結び付けていくための基盤整備として捉えることができる。
こうした更新を支えているのが、本稿末に掲げる制作体制である。デジタルカタログレゾネは単なるウェブ構築プロジェクトではなく、作品調査や編集を担う研究者を核に、データ設計、システム開発、デザイン、画像管理など、多様な専門家の協働によってこそ成り立つものである。
奈良美智は現在も精力的に制作を続けている。作品・展覧会・文献・年表は、これからも増えていく。「The Works」もまた、今後も成長し続けるであろう。
日本では、カタログレゾネの刊行や公開の事例はなお限られている。だが、日本のアーティストの存在感向上には、本格的なデジタルカタログレゾネの整備と公開も必要であろう。こうした取り組みへの機運が高まり、本稿で挙げた4つの視点がその一助となれば幸いである。
「YOSHITOMO NARA The Works」制作体制
事務局・統括:濱田智子(一般財団法人奈良美智財団)
編集:和田綾乃
テキスト執筆:石川嵩紘
英文執筆・編集:クレア・プレストン
アートディレクター:菊地敦己
Web プロデューサー:斎藤寿大(Saito & Co.)
Web ディレクター:萩原俊矢(株式会社 Studio Autumn)
テクニカルディレクター:藤森吉昭(22co合同会社)
Web デザイナー:山森晋平(株式会社グランドベース)
Front-end デベロッパー:丸山美保
Back-end デベロッパー:小関健吾
画像制作・管理:アベイズム株式会社
アドバイザー:川口雅子(独立行政法人国立美術館 国立アートリサーチセンター)
★1──立教大学文学部主催で、2022年2月1日に開催された。https://www.rikkyo.ac.jp/events/2022/02/mknpps000001tclx.html
★2──Carina Evangelista. “The Digital Catalogue Raisonné: When Form Is Function.” (Art Libraries Journal 40, no. 2, 2015, 17–27). https://doi.org/10.1017/S0307472200000171/.
★3──Kiersten Thamm. “State of the field: Digital catalogues raisonnés, 2020 – 2025.” (Navigating.art.) https://www.navigating.art/education/state-of-the-field-digital-catalogue-raisonne
★4──筆者は国立西洋美術館在職中に同館の収蔵品データベースの整備に携わった。
★5──https://www.gorkycatalogue.org/catalogue/entry.php?id=2029(閲覧にはトップぺージでの登録が必要)
★6──Charlotte Burns. “The problem with authenticating Warhol.”(The Art Newspaper. 1 December 2011)
★7──『松方コレクション 西洋美術全作品』全2巻(国立西洋美術館、2018–2019)。なお同書は、松方コレクションに関する調査研究をまとめたカタログレゾネであり、情報の参照形式は欧米のカタログレゾネに則っている。
★8──Wildenstein Plattner Institute. “Claude Monet: The Revised Catalogue Raisonné; The Pastels” https://monet-pastels.wpi.art/
(上記サイトはいずれも2026年10月8日最終閲覧)
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