デジタルアーカイブの活用とよく言われるが、活用とは一体何だろう。ウェブ・サイト公開、データベース利用、DVD製作、レプリカ製作、プレゼンテーション素材、デザイン・装飾素材、出版のほか商品開発など多種多様なものがある。ひとことに活用と言っても思い浮かべるイメージはさまざま。また、イメージが一致したところで次に、どのような方法で展開するのかという企画を立案し、そのための事前処理があったりなどと、活用はなかなか手ごわいのである。デジタルアーカイブは原物(オリジナル)があって、それをデジタル化し、活用していくという流れで進んでいく。ところが、逆流した事例が出てきており、新たなデジタルアーカイブのあり方を見せている。
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左:戸隠神社中社/右:式年大社 |
長野県北信濃、戸隠村に1,200年の歴史を刻む戸隠神社
がある。奥社、中社、宝光社、日之御子社、九頭龍社の五社からなる。かつてこの戸隠神社の中社社殿に江戸時代末期の狩野派の絵師、河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい、1831-89、以下、暁斎)の名作、龍の天井絵があったという。暁斎はこの3.6メートル四方の天井板に、酒を一升飲み干して観衆の見守る中、わずか一時間で描いたと伝えられる。しかし、1942年火災によって中社とともに龍の天井絵も焼失してしまった。その後、中社は再建されたが天井絵は失なわれたまま、その存在を知る者も少なくなっていった。しかし、かつてのように天井絵の再現を願う人が現れた。藤井茂信宮司は最初そんな夢のような話、と思ったと2年前を振り返り話す。7年に一度の式年大祭(2003年)を契機に、幻の龍を復元するプロジェクトが誕生していった。画像資料としては、スケッチや下絵、ガラス写真乾板といくつかの古い絵はがきが残っていた。しかし、これらの絵はがきとガラス写真乾板は、同じ写真を基にしていることが判明し、結論としては、たった1枚のモノクロの写真絵はがき(9×14センチ)から、龍の天井画を復元していくほかなかった。
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祭事の目玉となったこの「幻の龍 復元プロジェクト」への参加依頼を受けて、(株)日立製作所試作開発センタがこの写真絵はがきを元に、DIS*1という独自技術で復元に取り組んだ。DISは、データを安全管理するためにあえてクローズシステムをとっている。使用しているソフトやスペックなどは明らかにされていない。「情報はコピーされることより改ざんされることがこわい」のだと言う。
作業手順ではまず、絵はがきをスキャニングし、約1,000倍に拡大する必要があったが、輪郭がぼやけてしまうため日本画の模写の技を導入して融合させた。この模写は東京芸術大学大学院美術研究科・文化財保存学日本画研究室の田渕俊夫教授に協力を求めた。デジタル技術で作業しやすく作成された90センチ四方の下絵に、墨で模写し、再度デジタル化を行ない、墨絵と下絵を分離、三次元色空間処理により、墨の部分だけ正確に分離させた後、暁斎の筆運びの特徴と、絵はがきに残された筆の濃淡を模写に移し、少しずつ天井絵に近づけていった。
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復元した天井絵の幻の龍 |
こうして墨絵が出来上がったが立体的な力強さがまだ欠けており、画像処理によって木目や顔料を活かした背景を作成した。絵はがきのデータから墨絵の部分を抽出し、その墨を抽出したあとを絵はがきにある木目や顔料の情報で置き換えていき、中社内部にも調和するよう色合いを調節し、背景を完成させた。この背景に墨絵を融合させ、プリント後パネルにして暁斎の龍は、1年の製作期間を経て、61年ぶりに甦った。デジタル技術により墨の濃淡など細部まで鮮明に復元され、画家が描いたような迫力が出たと言う。画像データは保存され、掛け軸などへも活用できる。
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横浜市戸塚にある試作開発センタ
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この幻の龍の製作統括者であった日立製作所試作開発センタ長の神内俊郎氏(以下、神内氏)に当時の話をお伺いした。東京大学大学院の工学系研究科電子工学専攻修士課程を修了後、日立製作所において新幹線の制御装置用コンピュータを製作していた神内氏は、コンピュータの到達するところを慮ると「紙よりも優れた記憶の大地を手に入れた」と思うに至ったが、コンピュータやデジタルは所詮道具であると、明解である。この道具は、人文系、医学系のほかあらゆる分野で活かせ、知恵やノウハウが応用できなくなる領域でも、今までできなかったことが可能になると話す。戸隠神社の龍も同様であろう。絵はがきを延ばせば画像がボケて製作が困難であると自覚しつつも、東京・調布の深大寺にある暁斎の絵を参照しながら成功を確信していたそうだ。結果、日立製作所に絵描きがいると藤井宮司に言わせるほど迫力のある作風に仕上がった。
戸隠では観光客が増えたという。焼失する前のこの龍に見覚えのある人は当時の記憶を甦らせ、また初めて龍を見た人たちはその歴史に思いを馳せている。この龍の下では結婚式が挙げられたり、鳴き龍の効果を知った者が拍手を打つ。全国の龍がいる寺社との交流なども生まれそうだ。スキーで有名な戸隠に新たな観光地ができ、地域は活性化されたようだ。
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日立製作所試作開発センタ長 神内俊郎氏 |
神内氏は、デジタルアーカイブを国家・国際的・地域・組織(カンパニーズ)・個人の5つに分類させており、この戸隠神社は地域デジタルアーカイブの成功事例ではないかと語る。また、学術・芸術・技術を併せ持って、伝統の技術や職人の技を次世代に継ぐことが重要であり、デジタルアーカイブには、日本が抱えているこれらの問題を乗り越えていく可能性があると言う。デジタルアーカイブに有効な技術であるDISの活用事例としては、戸隠神社のほか、五島美術館の国宝源氏物語絵巻復元、京都・二条城障壁画復元、長野県・小布施町の岩松院にある北斎作八方睨み鳳凰図のデジタル化、メキシコ・マヤのボナンパク壁画のデジタル化、イタリア・ポンペイのデジタル化、大塚国際美術館システム、東京大学総合研究博物館システムなどがある。ユーザーとしては今後、貴重な画像資料を保全するクローズシステムのDISとはコンセプトの異なる、画像が美しいDISのオープンシステムを望みたい。神内氏の夢は、法隆寺の金堂壁画デジタルアーカイブを手がけることだというが、実現までにはそう遠くはなさそうである。
オリジナルを消失した二次資料である絵はがきからのデジタル復元をデジタルアーカイブとするかどうかという問題も残るが、それよりも幻の龍復元の物語は、デジタル技術が文化財復元に貢献した新しい事例として、また1枚の画像が価値ある展開ができる好例として注目したい。デジタルアーカイブの活用については、ストーリーやコンテクストを企画できる人材がデジタルアーカイブにも求められてきた感がある。コンテンツのよさを理解していなければ、活用時にそれを際立たせることはできない。先月も書いたがやはりデジタル・アーキビスト
のようなデジタルコンテンツを扱う専門家が必要だ。今はその都度現場の人が知恵を寄せて活用方法を検討しているが、これからは需要の増えることが予想される分野でもあり、客観性をもった計画や権利関係にも詳しいプロフェッショナルが求められてくるだろう。デジタルアーカイブを誰にどのように伝えていけるか、そのプレゼンテーションの質が問われてきている。
今回が1年間(12回)続いてきた「美のデジタルアーカイブ〈企業シリーズ〉」の最終回です。次回からはバラエティーに富んできたデジタルアーカイブの新企画をはじめる予定。引き続きお付き合い下さい。
*1:DIS(Digital Image System)とは、「時間と空間を越えて美と感動を伝える」を基本コンセプトに日立製作所が15年来にわたって開発している、画像を中心としたデジタル処理技術とそれを活用するシステム。ソフトウェアはクローズシステムによりデータを安全管理する。DISは、入力・処理・保存・出力の各プロセスを一貫してデジタル処理することで、コンテンツの持つ情報を最大限に活用することができ、デジタルアーカイブに有効な技術である。
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■会社概要
会社名:株式会社日立製作所
設立年:1920年2月1日(創業1910年)
本社:東京都千代田区丸の内一丁目6番6号
代表者:代表執行役 執行役社長 庄山 悦彦
資本金:282,032百万円
売上高:2,488,873百万円
従業員数:36,582名
コーポレート・ステートメント:次の時代に新しい息吹を与え続ける「Inspire the Next」
(2004年3月現在)
(資料協力:戸隠神社、日立製作所試作開発センタ)
■参考文献
「戸隠神社中社天井絵 河鍋暁斎 幻の龍 デジタル復元」2003年4月 (株)日立製作所 |
2005年4月 |
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[ かげやま こういち ] |
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