映画『キング・コング』を観た。ピーター・ジャクソン監督の3時間を超す大作は、1933年にメリアン・C・クーパー監督が制作したオリジナル版を最新のテクノロジーによって復活させた、ジャクソン監督35年の夢を形にしたというリメイク版だ。CGなどのデジタル技術を多用しているが、それよりも美しいアン・ダロウ(ハリウッドを代表する女優ナオミ・ワッツ)が森の中とニューヨークのエンパイア・ステートビルで、コングと一緒に太陽を見ながら「beautiful」と言葉にするシーンが心の奥に残る。太陽を見て人とゴリラが心を交わすというのは現実的ではない仮想だが、生物は等しく太陽光、月光、星の輝きなど自然の光によって生命エネルギーを与えられているのだ。『キング・コング』で、改めて「光の力」を考えていたとき、吉田重信氏(以下、吉田)の光の色彩を思い出した。吉田は自然光をどのようにデジタルアーカイブしているのか。街にクリスマスの賑わいが過ぎた年末、吉田の本拠地である福島県・いわき市で話を伺った。
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美術家・吉田重信 |
吉田はもともと絵描きであるが、太陽光を使ったインスタレーション作品や虹を作るワークショップなどで知られる美術家である。2005年6月25日〜9月25日には、福島県須賀川市のCCGA現代グラフィックアートセンター
で、吉田の今までの光の作品を一堂に集めた大規模な個展『Breathing Light』が開催された。あいにくこの展覧会には行くことはできなかったのだが、10年以上前に吉田と同郷の美術家・鈴木蛙土氏から吉田を紹介してもらって以来、吉田の作品は気になる存在として心に残っていた。太陽光を分光させて作った色を絵の具のように見立て、見慣れているはずの光、その本質を表現する手法に、鑑賞者は新鮮な視覚体験をさせられる。光を表現の素材に用いる美術家は多いが、色彩の豊富さのわりに静寂さを湛えている作品は、インスタレーションにも関わらず、記憶として四角いフレーム内に収まる構図のためなのか、画家の仕事と感じる。
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いわきの自然と四季が気に入っていると言う吉田。太平洋の海に浮く月と、阿武隈高地の山並みに沈む夕陽がとりわけ美しいと話す。いわきはアートを創造するところというよりも、体験する場として良い場所であると言う。吉田にとっていわきは故郷であり、「光」の発見がある重要な土地。いわきに留まり東京、世界と距離を置くことによって、作品を制作する意義を築き上げている。光の作品の魅力を尋ねると、100%自分の制作した作品ではなく、20%くらい他に委ねる部分があることだと語る。見る者によっては80%が自然光という人もいるが、そうではないだろう。太陽が雲に隠れている暗闇も作品となる状況が面白い。自分で作った装置の先の光は、自分にもどうしようもない現象とも言っているが、電気の光とは異なる変動する自然の光、その光に対し委ねるという行為が未完の完成体を形成させ作品となる。太陽光は命そのもの。展示空間を慎重に選び、第一印象を考慮して作品化していくその過程では、余白、借景など和様の美の方式とも考えられる制作方法により、他者を取り入れつつ、終わりなく開かれていくサイクルを生む。吉田の意思を反映させながらも自然を見方にしてしまうのだ。この結果が吉田の大切にする、人と人のコミュニケーションにつながっていく。
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《Infinite
Light》
自然光.ガラス.カラーシート,CCGA,2005 |
吉田はベトナム戦争の影響が残る中学生時代に「一人の人間の命は地球の重さより重い」と先生から言われたそうだが、吉田自身そうは思わなかったと言う。現実はどうなんだ。一個の人間は大きな力に飲み込まれていずれ死んでしまう。死んだら終わりだ。この死に対する自覚が契機となって、生と死を意識しはじめることになる。そして高校の夜学を卒業後、憧れていたイラストレーターやグラフィックデザイナーを目指して上京するのだが、最終的には父親がいわきで営んでいる自動車整備工場の仕事をしつつ、美術家になる道を選んだ。20代前半はまだ美術家になることも決めず、雲と空だけを油彩で描き、その後は自画像のみを描いていたと言う。「美術をやってみよう」と決心したのは、結婚して子供もいた25歳の時。10年間美術の世界で自分の好きなことだけに専念し、美術家としての可能性を見極めることにした。自分、社会、日本、世界と関心が広がる中で、車がクラッシュしたパーツを再構成した作品や社会問題をアッサンブラージュした作品など、コンセプトを追求して作品を制作し続けていった。だが、テレビのニュースで報道される世界的環境破壊の問題の方がより現実であることに気が付いたとき、表現の限界を感じた。自分に約束した10年の期限が迫る32歳、いわきで野外美術展『Art
Landscape in
いわき'90』を企画開催したものの、美術家としての才能のなさに美術を諦めかけていた。そこへ、いわき市立美術館
の平野明彦学芸員から個展開催の連絡が入ってきた。しかし、喜びよりも行き詰まり疲れきった状態で断るほかなかった。再度催促の電話を受け「何もできない自分は今後何をすることができるのか」一人考えた。いわきの夜の海で満月の月を仰ぎ、また東京・渋谷で人の行き交いを呆然と眺めて時を過ごした。そして、当時、郡山市立美術館の小泉晋也学芸員(現在は茨城大学教授・五浦美術文化研究所所長)に表現の可能性への助言を受けて、物を素材に、制作を続けてきた作品から物を排除し、純粋に「自然光」だけをテーマとする表現へと到達していった。さらに平野学芸員の話を受け入れ、1991年『New
Art Scene in Iwaki/Infinite Light展』に取り組みながら、徐々に新境地を開き自分自身を取り戻していったのだ。
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太陽光採光システム「ひまわり」
CCGA,2005 |
1994年水戸芸術館・渡部誠一学芸員企画の展覧会『開放系
Open System』と同時開催となったCRITERIUM 10での個展では、透過性のよい赤・青・黄のカラーシートを窓ガラスに貼り、外光が差し込むことで太陽の絵画ともとらえられる、色彩空間を作り出すインスタレーション作品《Infinite
Light》や、太陽光をレンズで集光し、光ファイバーで室内へ届けるという商品、太陽光採光システム「ひまわり
」そのものを、生命形態を意味する美術作品《Bio-Morph》として展示した。その後、ワークショップなどで行なわれる、虹を作る《虹ヲアツメル》は水と鏡だけのシンプルな仕掛けで、太陽光線を反射して虹を作り出す。参加者は遠い昔の記憶が甦るのか、人と人との心が一瞬のうちに交信し、大人も子供もみな歓喜すると言う。近作は、DVD映像作品《ヒカリノミチ
04.4.30》。デジタルビデオカメラのレンズにプリズムを装着し、手持ちで構え海面を定点撮影した作品である。無音で映像は一切加工していない。今後も吉田の作品は普遍性を求め、視覚化させる方向で、形態を変えながら深化していくだろう。「明日死んでいるかもしれない」という感覚で作品制作に取り組む吉田は、作品そのものが作り手の生き方であると考えている。
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左:《虹ヲアツメル》、自然光.水.鏡
CCGA,2005
右:《1999年4月30日 Bordeaux/2001年7月27日 London-Penzance》
《ヒカリノミチ 04.4.30》、DVD.プロジェクタ
CCGA,2005
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吉田は、作品のデジタルアーカイブに特別な注意を払ってはいない様子であったが、抵抗なくデジタルカメラを使い、あるいはアナログカメラで作品を写真撮影し、知人の力を得てデジタル化を行って、PCのハードディスクやDVDに映像でなく画像データとして保存している。そして、時々ケータイの液晶画面で作品を人に見せることもあり、ケータイは便利なプレゼンテーションツールになると言う。展覧会終了時に撤去されてしまうインスタレーション作品は、画像、映像、テキスト以外にも図録、ポスター、リーフレット、チケット、新聞・雑誌記事、関連図書、TV・ラジオ、アイディアスケッチ、メモ、その他、作品にまつわるデータが多いほど、次世代の人が知るにはよい手がかりになる。すべてデータにはインデックスを付記してデジタル化しておくのが理想的。インスタレーション作品はその場での一回性に意味があり、記録は作品の一部として大事なことだろう。例えば、精確な光(色)のデータを計測機や表色系で数値化して記録しておけば、光(色)の再現や新たな表現を考えるときにも役立つ。デジタル技術を作品の表現に限定させず、記録・保存にも有効に活用することを美術家に勧めたい。現在、吉田の実物作品の保存については、美術館でのコレクションはないが、パブリック・アートのモニュメントとして残されている。これらの作品もデジタル化しておく必要があるだろう。虹も太陽光も自然現象そのものを保存できないので、デジタルデータを含めた二次資料が研究や再現に重要な資料となってくる。100年、500年後の世界を予想して美術家自身が作品と共に資料や情報を保存しておくという志向性を持ってほしい。
アンディー・ゴルズワージ、ジェームズ・タレル、ゲルハルト・リヒター、宮島達男、長谷川等伯などのアーティストが好みと言う吉田だが、2003年英国のテート・モダンで話題となった今注目の光のアーティスト、オラファー・エリアソンの活動も気になるところだろう。東京・品川の原美術館
で3月5日まで個展が開催されている。春には原美術館屋上に虹を見せるオブジェを常設作品として制作する予定という。太陽光とプリズムにより虹を出現させて見慣れた情景を異化し、そして身近な景色を再度新鮮に体験させるという作品プランのようだが、吉田の仕事に酷似してはいまいか。美術家が追究するその先は一点にたどり着くかもしれないが、オリジナルの類似性はちょっと心配。吉田が大切にしている言葉に「絵画は、色と形と偶然である。偶然は決して作為的でなく、もっとも美しい現象である」という一文がある。自然光に対する吉田の姿勢をよく表わしている。偶然を孕んだ生きた光は、時折美しさを見せる。吉田は「光」とは「自分の心」だと言う。「光の力」は心の問題。だとすれば、孤独で強くプライドのあるコングは太陽の光の美しさに、閉ざされていた心が開かれ、人と心を交わすというのも、まんざら仮想ではない気がしてきた。 |
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(画像提供:早川宏一) |
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- ■よしだ しげのぶ
- 1958年3月2日福島県いわき市生まれ。
- 主な個展:
- 1985年「半立体絵画」ギャラリー椿屋(福島)
1991年「New Art Scene in Iwaki/Infinite Light」いわき市立美術館(福島)
1994年「クリテリオム10/Bio-Morph I 」水戸芸術館(茨城)
1998年「虹ヲアツメル」Gallery那由他(神奈川)
2000年「Bio-Morph MAY 1-7, 2000」東京画廊(東京)、「いわき〜上野」エキジビション・スペース(東京)
2001年「Rainbow Project」アイコン・ギャラリー(英国)
2002年「虹プロジェクト」岩手県立美術館
2003年「虹プロジェクト」宮城県美術館
2004年「光のアート・虹がいっぱい」枚方市立御殿山美術センター(大阪)
2005年「Breathing Light」CCGA現代グラフィックアートセンター(福島)、「虹がいっぱい」安曇野ちひろ美術館(長野)など。
- 主なグループ展:
- 1986年「現場'86」福島県文化センター
1987年「第18回現代日本美術展」東京都美術館
1991年「いわきアート・セレブレイション1991」いわき市立美術館(福島)
1994年「光と影―うつろいの詩学」広島市現代美術館
1995年「安藤栄作・吉田重信二人展」ギャラリーいわき(福島)
1996年「光のまなざし―佐藤時啓+吉田重信―」いわき市立美術館(福島)
1997年「森ニイマス」宇都宮美術館(栃木)、「光をつかむ―素材としての〈光〉の現れ」O美術館(東京)
1999年「アートイング東京1999:21×21」セゾンアートプログラム/ギャラリー現(東京)
2001年「Techno-Landscape」NTTインターコミュニケーションセンター(東京)、「Facts of Life―Contemporary Japanese
Art」ヘイワード・ギャラリー(英国)
2003年「UFUK現代日本美術展」日本基金文化センター(トルコ)
2004年「色の博物誌・黄―地の力&空の力」目黒区美術館(東京)、「Rainbow―虹を見る―展」MAISON D'ART Gallery(大阪)
2005年「世界の呼吸法」川村記念美術館(千葉)、「絵画の力−今日の絵画」いわき市立美術館(福島) など。
- パブリック・アート:
- 2001年NTTエレクトロニクス株式会社(茨城県那珂郡)
2002年和泉シティプラザ(大阪府和泉市)
2004年NTTドコモ株式会社(東京都墨田区両国)
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■参考文献
平野明彦「絵画のちからについて―吉田重信の作品から」『夕刊 いわき民報』2005.11.24,12.1,12.8,
いわき民報社
平野明彦, 図録『絵画の力―今日の絵画 近年の新収蔵作品を中心として』2005, いわき市立美術館
吉田重信,平野明彦,安藤栄作,小泉晋弥,織田千代「いわきの作家たち(9)特別企画 吉田重信の十年」『うえいぶ』第34号p.74-p.110, 2005.8.1,
うえいぶの会
図録『Breathing Light|吉田重信』2005, CCGA現代グラフィックアートセンター
小泉晋也, 図録『SHIGENOBU YOSHIDA 2000.9.8-9.9』2000, エキジビション・スペース
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2006年1月 |
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[ かげやま こういち ] |
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