自作採取デヴァイス──「実装」
都市今月は、前号で予告した「新たな採取デヴァイス」の【実装&実験】編である。デジタルカメラで写真撮影する際に、自ら前もって作成しておいたスキンを「意味修飾の額縁」として重ね合わせることができるようなデヴァイス。本来ならば市販の「デジタルカメラ」か「カメラつき携帯電話」に直接実装するのが本筋なのだけれども、プロトタイプVer0.1ということで、小型PC(Sony VAIO-U)にWEBカメラを接続する構成とし、Adobe(Macromedia)Director MXを用いて撮影ソフトウェアを実装した。図1のように不恰好ではあるが、即席の「小型カメラ」ができあがった。とりあえず用意したスキンは6種類。「自動販売機」「車のサイドミラー」「ビデオデッキ」「PC(mac)」「電車の車窓」「オフィスの窓」である。撮影者は、ラジオのチューニングを合わせるようにこれらのスキンのなかからひとつを選択し、景観とのマッチングを考慮したうえで、シャッターを切る。もちろん、スキンは後からでも追加できるので、いくらでも好みに合わせてカスタマイズできる。使いながら育てていくようなデヴァイスだ。
自作採取デヴァイス──「実験」
あるこのデヴァイスを持って2人の学生に、景観の「採取」を実験してもらった。「自動販売機」のスキンで修飾された写真には、フラットに陳列された商品群が映されている(図3a〜c)。「ビデオデッキ」のスキンの中には、ドラマの1シーンのような写真が多い。これはDVD視聴からの連想だろうか?(図4a〜c)。「電車の車窓スキン」からは「流れ行く風景をぼうっと見送るような」撮影者の心境が読み取れる。「PC(mac)のスキン」は「街の壁紙をそのままPCの壁紙に借用するための」景観が採取されていた(図5)。新しい道具なので、この結果を持ってそのまま「効用」とするには早すぎるだろう。そこで、この「結果」ではなく「過程」に焦点を移して、考察してみたい。
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上段左:図3-a
上段右:図3-b
下段:図3-c |
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図4-a
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図4-b
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図4-c |
図5 |
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都市景観の現在、デジタル写真の現在
撮影者は、シャッターを切る際に「景観にあわせてスキンを選ぶ」か「スキンにあわせて景観を探す」かを行なわなければいけないのだが、ここで実現したことの本質は、「積極的に景観を意味を発見し(あるいは意味ある景観を探し)、そして自分からもさらなる意味を“付与”することが試される」ことにある。この点に関して、実験を担当してもらった学生(関根麻美さん)からのレポートを紹介しておこう。少し長くなるが、そのまま引用することにする。
「このデヴァイスを持ち、きょろきょろしながら街中を歩き回る様は、見た目、地質調査員さながらであったはずです。にゅっとカメラが伸びている不思議な装置のモニター画像と、目の前に広がる景色とを、交互に綿密にチェックし、また同じ風景でもしゃがんで眺めてみたり、ビルに上がって見下ろしてみたり。それを大変真面目に、少しずつ移動しながら進めていくのですから。しかし今思えば、スイッチを入れ、カメラを構え、風景を切り取ろうとする行動は、地質とまでは言いませんが、街の景観調査そのものであったような気もします」
「実際、私の街の見え方は変化を見せました。枠に当てはまる風景を考えながら歩く。のはもちろんのことでしたが、逆に風景が枠を喚起させる場面、また、枠をすでに意識している場面にも出会ったように思うのです」
「景観を画として認識しようとする意識が生まれたのかもしれません。それも、自分の活動の“背景”“一枚画”としてではなく、一つひとつ何かが積み重なってできている、レゴブロックのような画として。事実、これは美しい画だ。と感じ、カメラのシャッターをきる。普段のその行動よりもずっと、このデヴァイスは、自分から面白い画を引き寄せている感覚がありました。ちょっとした意識が、こちらに景観を引き寄せるかもしれないのです」
誰もが「カメラ」を携帯しながら暮らす現代、この感想は、かつての「都市写真家」の態度を思い出させるものではないだろうか。かつて「ファインダーを覗く」という行為が担っていたものが、「スキンを選ぶ」という行為に移し変えられているとは言えないだろうか。自動化・簡略化が進む撮影行為に、逆に少しだけ「タスクを増やして」みたことによって生まれた心理に注目したい。
「都市写真とは単なる都市を写した写真なのではなく、その撮影者がどのように都市と対峙し、いかに都市を通過したかという身体感覚とでもいうべきものの痕跡を明確に残してしまうのだ」(伊藤俊治『20世紀写真史』ちくま学芸文庫)
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デジタルアーカイヴへ
実はこのデヴァイスには、もうひとつの「展望」がある。
それは、デジタル・アーカイヴへの接続である。デジタル写真の扱いは、今のところ「実世界での撮影」と「PC/WEB上での整理」の2段階に「切れて」いるといってよい。分類・整理作業の主戦場は「撮影後=PC/WEB上」だ。もちろん、それらを「繋ぐ」ためのさまざまな手段はあって、写真に位置情報(GPS)を付与しておけば、そのまま地図にマッピングできたり、音声入力やテキスト入力で「その場でのタグづけ」が可能なカメラはある。日付はデフォルトで付加されるから、それをアルバム型ソフトで整理することは一番容易だろう。しかし意外と忘れられていたのが、「視覚的な意味修飾」(その場でスキンを付与し、「作品化」してしまう)という方法ではないだろうか。日常的に出会うさまざまな実世界の景観を直接「分類しながら」「採取してしまう」ようなやり方を拡張して、「街じゅうが美術館」と呼びうる状況にまで拡張していけないだろうか? 次回からは、この点をめぐって、何人かのゲストにインタヴューと対話を行なっていく予定である。
協力:関根麻美、宇野瑞穂子、栗林賢(慶應義塾大学田中浩也研究室)
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田中浩也 http://htanaka.sfc.keio.ac.jp/
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[ たなか ひろや ] |
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