ミュージアム=西欧近代の知
「ミュージアム」を語ること、それは一面において「不可能なるもの」の記述だと思う。それは以下の二点に明確にあらわれる。一点は、松宮の労作『ミュージアムの思想』★1にも明らかなように、「ミュージアム」という言葉は、無限に枝分かれしていくミュージアム群──museum of art, history, natural history, science, etc.──の包括概念、つまりある理念型として機能してきたこと。もう一点は、「ミュージアム」という言葉が、その概念と限界を19世紀西欧近代の知に依存しているにもかかわらず、21世紀を迎えた現在においても「ミュゼオロジー」、「ミュージアムスタディーズ」という研究領域を名乗ることで、議論の枠組みが、アーカイブやディスプレイという社会制度の更新ではなく、19世紀的な遺物(かもしれないもの)の延命、もしくはその修正に回収されやすいからである。
私自身は、「ミュージアム」という言葉を、大きく以下の三つ要素に支えられた概念として使っている。第一に、文化的には19世紀半ばのヨーロッパで支配的だった認識論、すなわち視覚的な差異に基づいて世界を分類することができるという信頼が背景となっていること★2。第二に、政治的には同時期にヨーロッパ諸国が絶対主義王政から立憲君主制(もしくは共和制)に基づく国民国家へと移行するなかで、「国民」意識を醸成していくメディアとして要請されていたこと★3。最後に、社会的には一点目にふれた19世紀的な認識論を背景に成立していた当時の大衆的な視覚文化──万国博覧会、パノラマ館など──のなかで身体的に獲得された知によって、展示のナラティブを解読できなくてもミュージアムを消費することが可能な大衆が準備されていたことである★4。つまり、世界を視覚的に分類する≒所有するという「ミュージアム」に与えられた使命は普遍的なものであったかもしれないが、成立した「ミュージアム(という概念)」そのものは徹底的に西欧近代に特有の概念だったのである。 |
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- ミュージムを通して語ること
一方で位相を「包括概念」としてのミュージアムと、その下位概念に当たるミュージアム群との関係性に移してみよう。例えば、私たちが各々のミュージアムにおいて視覚化された知を身体化する形式を考えてみる。ロンドンのナショナルギャラリー(National Gallery, London)に代表されるように、依然として多くの美術館ではパノフスキー的な様式論のナラティブに基づいて知が構成され、私たち来館者は、あたかも展示を本のように注意深く眼差すことを要求される。一方で、パリのラ・ヴィレット(Cité des Scieces de Paris la Villette)に代表されるサイエンスミュージアムを考えてみる。動きをともなう展示自体に加え、偏在するスクリーン──静止画、動画、VR映像から、インタラクティブなタッチパネルに至るまで──によって来館者の注意は拡散され、私たちがそこでの知を後に再構成することができるとすれば、それは気まぐれに熱中したいくつかの展示のカップリングという形式をとることになるだろう。もちろんこの両者は極端な例だとしても、ミュージアム群それぞれが、異なる知の構造化の作法を備えている以上、ミュージアムにおける「理想的な展示デザイン」を一般的に語ること、それもまた難しいと言わざるおえない。
ただ、だからといって「ミュージアム」については口を閉ざすしかないなどというニヒリズムに陥る必要もまたない。なぜなら、ここで意識すべきなのは、「ミュージアム」について語るとき、常にその「ミュージアム」という言葉それ自体が新しい誤解(差異)を生んでいるという点だ。とりわけ、この領域においては言説の生産が、実体的な文化的・社会的制度を運用する行為主体(学芸員に代表される)に大きく依存してしまう以上、相対的に「ミュージアム」という包括概念そのものが不安定化しやすい。ゆえに、もし私たちが生産的に「ミュージアム」の議論を構築していくことができるとすれば、それはもはやミュージアムについて語ることではなく、ミュージアムを通して語ることなのではないか。そして、私はこの立場を、「ミュージアムのメディア論的なアプローチ」として記述していきたい。ここにも二つの含意がある。一点目は、ミュージアムを実体的に「コミュニケーションの生成を媒介とする場=メディア」としてとらえること。つまり、ミュージアムを通して生起する、学習(learning)、作品の鑑賞(appreciation)、観光(tourism)といった多様で複雑なコミュニケーションを、一面的に把握するのではなくその複雑性のなかに記述すること。もう一点は、メディア論的な作法でミュージアムを語ること。つまり、語ることそれ自体が、私たちをミュージアムに媒介された言説空間に相対的に布置していくことを意識すること。仮にミュージアムについての共有認識に至ることはできなくても、その差異を生む認識論的な枠組みの共有から実践的なミュージアムのあり方を創造していく作法を身につけること。
これから隔月一年に渡って掲載するこのミュージアムを巡るノートが、上述のようなメディア論的なアプローチのささやかな試論となれば幸いである。次回は、「実体的」なミュージアムに関わるメディア論である、1990年代のイギリスのミュージアムスタディーズの動向を紹介したい。
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左=イギリスの古都・エジンバラ城内に併設された博物館/右=テート・モダン5階通路の学習スペース
筆者撮影
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■参考文献
★1──松宮秀治『ミュージアムの思想』(白水社、2003)
★2──ミシェル・フーコー『言葉と物──人文科学の考古学』(新潮社、1974/66[原著])
★3──ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体──ナショナリズムの起源と流行』(NTT出版、1997/83[原著])
★4──吉見俊哉『博覧会の政治学』(中公新書、1992) |
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光岡寿郎
1978年生。博物館研究、メディア論。東京大学大学院/ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ在籍。論文=「ミュージアムスタディーズにおけるメディア論の可能性」など。共訳=『言葉と建築──語彙体系としてのモダニズム』(鹿島出版会、2005) |
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2007年4月 |
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[ みつおか としろう ] |
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