前回紹介した東京スタデオとともに、現代美術の施工現場でよく見かけるのが、広島を拠点とする「スーパー・ファクトリー」だ。代表の佐野誠が個人で会社を経営し、展覧会に合わせてフリーの技術者を集めてチームを組んでいる。なかには、作品制作と現場施工を仕事として両立させているアーティストもいる。
これまでに関わった展覧会には、「曽根裕:ダブルリバー島への旅」(2002年7月2日〜9月1日、豊田市美術館)、「SPACE FOR YOUR FUTURE」(2007年10月27日〜2008年1月20日、東京都現代美術館)、横浜トリエンナーレ(2001年9月2日〜11月11日、2005年9月28日〜12月18日)などがあり、構造的に難しく、大掛かりなインスタレーションにおいて頼れる存在である。
佐野は、スエズ運河の建設などに興味を抱き、世界で活躍する日本人技術者になりたいと高校で土木を学び、現代美術の世界に足を踏み入れる前に、20年ほど主にトンネル工事の現場監督をしていた。美しいトンネルづくりに精力を傾けていたが、バブルが弾けてから会社が方針を変え、いいものをつくることに邁進できなくなり、退職。地元の石彫作家と組み、ランドスケープデザインや美術館の彫刻の設置や修復などを手がけ始めた。そこへ、1997年、アーティストの曽根裕が美術館学芸員とともに、全長30メートルにわたる楕円型ラジコンサーキットの構想図面を持って相談にやってくる。サーキットコースのシミュレーションを設計したこともあった佐野は、一目見るなり、カーブやバンクなどの間違いを指摘。曽根が望むフォルムを構造として成り立たせるためにはどうしたら良いかアドバイスした。この出会いが大きな転機となる。
「それまでは、技術屋としてアート作品を冷ややかに見ていたんですが、制約はあるけれども、最終的にはいいものをつくりたいという、目指す地平は同じなんだなと思ったんですね。現代美術は、いいものの一歩手前でやめるということはない、OKかそうでないか、究極のものづくりなのだと。余計な気遣いをせずに、いいものをつくることにまっすぐ向かえることは、ものをつくる人間にとって精神的にも楽なことなんです」。
たとえ予算とのせめぎ合いになっても(もちろん潤沢であることが望ましいが)、工夫はできる。コストが抑えられる別の素材でも、アーティストの理想通りにできることは多い。さまざまな可能性のなかから「これだ!」という方法や素材を見つけ出す過程が、一番の醍醐味だという。
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曽根裕《アミューズメント・ロマーナ》制作風景
ドイツにて木でつくった原型をばらして日本に輸送し、組み立ててからそれを型取りし、FRPで成型。
図面からつくるよりも低いコストで制作できた |
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まだ世にないものを、ともにつくる
現在活躍中の大巻伸嗣や栗林隆が駆け出しの頃、「Out of the Blue」(2003年7月5日〜10月26日、トーキョーワンダーサイト)でも、佐野の助力は大きかった。大巻は巨大な石膏彫刻(内部は木組み)によるトンネル状のインスタレーション、栗林は梯子を登ると天井裏(実は吊り天井)に水面が広がるインスタレーションを制作。二人が当初考えていた工法では危うい構造部分を補強し、また、要素をスリム化して美しく仕上げる方法論をアドバイスした。建築の構造を見て、どのようにビスを打てば強度が保たれるかなど、学ぶことが多かったという大巻と栗林。型破りの構想を抱えながらそれを実現する場所に飢えていた二人は「バカなことやってるなあ!と大声で笑いながらノってくれたことが嬉しかった」と語る。それを伝えると、佐野は「現場では試練や修羅場はたくさんあるけれども、いいアーティストは的確な解決法を必ず見つけますよね」と笑みを浮かべた。
一方、最近では、紙にラフなイメージを描くだけで、素材や工法についての提案もイメージに合わないと拒否してしまう若手作家がいることを危惧しているという。作品に対する意思が強いのではなく、平面的なイメージに留まっていて、一番いいかたちがなんなのか立体的に練られていない場合が多いのだ。発注芸術に対する安易な解釈からだろうか。
「かつては、模型をつくるなど、作家自ら山のようにやってみて、こうすればできるかもしれないがどうだろうという話が多かったですね。曽根さんは、毎日ドローイングし、会話しながらでも呑みながらでも常に作品のことを考え、アイデアの引き出しが多くて、チャンスがあればいつでもつくるという体勢にある。だから依頼を受けたときに、あのときのあれだなとわかったりもする。マシュー・バーニーもエルネスト・ネトも素材について常に研究しているし、それに関して誰よりもうまくつくれます。巨大な作品を一人で延々とつくる時間はないから、手伝いを欲するだけ。作家がいいものを求める姿勢が伝わるから、周囲も協力する。成功している作家は、運や財や人脈のお陰ではなくて、とてつもなく努力しているし、稼ぎは次のプロジェクトに注ぎ込んでいることが多いと思いますね」。 |
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打ち合わせ(右は作家のエルネスト・ネト)と設営風景
エルネスト・ネト展(2007年7月15日〜10月8日、丸亀市猪熊玄一郎現代美術館) |
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日本のものづくりの精神を継承したい
この仕事で大事なのは、頭から決めつけず、選択肢を多く用意すること。また、アーティストの作品を自分たちがつくっているとゆめゆめ勘違いしてはいけない。そのために表舞台にはほとんど出ない。
「マシュー・バーニーの作品で、プラスチックを熱で曲げながら表面のテクスチャーをつくっていたんですが、休日に一人のスタッフがもっと速くて美しくできる方法を編み出したんです。それまでにできていた分もやり直すはめにはなったんですが(笑)、作家も僕らも興奮しました。そういうところに技術屋の喜びがありますね」。
欧米では、そのような現場が日常的にあるため、働きやすいという。欧米のエンジニアはギャランティも良い。比べて日本では、ものづくりの現場そのものが失われている。職人は引退し、仕事がないために受け継ぐ者がいない。町工場には、低コストで同じものをつくるオーダーしか来ないために、腕が向上しない。新しい機械も導入できず、むしろ欧米やアジアの工場に優れた機械が多い。日本では、大手企業に最新のマシンがあってもイレギュラーな作業には貸してくれないという。素材のスタンダードサイズが小さく、価格も高い。
「それでも、現代美術の世界には、多くの未知なる可能性があります。そのような目標の高い現場で、日本のものづくりの精神を受け継ぎ、発展させたいとも思っているんです」。
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佐野誠 Makoto Sano
1955年生。建設会社で約20年、トンネル工事現場などを担当。1998年、スーパー・ファクトリー創設。曽根裕、束芋、マシュー・バーニー、エルネスト・ネト、オラファー・エリアソンらさまざまなアーティストの作品制作、展示施工で協働。横浜トリエンナーレ(2001,2005)、サンパウロ・ビエンナーレ(2001)ほか多数の展覧会に携わる。今後は、「ネオ・トロピカリア:ブラジルの創造力」(2008年10月22日〜2009年1月12日、東京都現代美術館)などで協働の予定。 |
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2008年10月 |
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[ しらかさ ゆり ] |
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