シンポジウム2008「わたしたちの北九州市立美術館」/黒川INNトリエンナーレ
ピクニックあるいは回遊/メモリア──まなざしの軌跡
|
|
熊本/坂本顕子(熊本市現代美術館) |
|
去る5月26日に、「わたしたちの北九州市立美術館」というシンポジウムに参加した。このシンポジウムに興味をひかれたのは、美術館の主催ではなく、地元NPOが実行委員会事務局となり、パネリストも大学教員、地元作家、美術館友の会幹事、新聞社編集委員が並ぶ、外発的なものであったからだ。九州を代表する老舗美術館でいまなにがおこっていて、美術館を取り巻く市民がそれに対してどう動きだそうとしているのか。以下、短くではあるがその内容について報告したい。
|
シンポジウム実施までの背景となる、いわゆる「北九州市立美術館問題」については、美術雑誌『あいだ』にその経緯が詳しい★1。ここでは紙幅も限られるため、端的に述べるにとどまるが、その「問題」とは、異動や転出が重なり、経験を積んだいわゆる専門職学芸員が一時不在になったという点と、収集見送りとなった作品が作家に返却されないままになっていたという点にある。これらが、新聞報道で広く取り上げられたため、市民の関心を呼ぶこととなった。
しかし、これに類する話は、なにも北九州に限ったものではない。財政難による人員配置の見直しや指定管理者制度の導入によって、学芸員が現場を離れざるを得なかったり、よりよい環境を求めて転出する事例は後を絶たない。また、収集に関しても同様で、全国の美術館が潜在的に持っている問題が、北九州という場所において、強いかたちで表出してきたにすぎないのだ。
シンポジウムでは、北九州市立美術館の活動の歴史、また谷口鉄雄初代館長らによって策定された「リビング・ミュージアム」という美術館のコンセプトについて、詳しく検討された。美術関係者から市民までというさまざまなレヴェルの参加者にとって、一方的な予断や犯人探しに走ることなく、ベースとなる共通理解を得るという点では、わかりやすかったが、もっと踏み込んだ議論を聞きたかったというのが、本音ではなかっただろうか。
個人的な感想としては、「リビング・ミュージアム」という概念そのものは、34年たった今でも決して色あせるものではないように感じられた。それをどう継承し、現状に照らし合わせたかたちで更新していくかということは、「行政」「美術館」「市民」の3者が同じテーブルについて議論することで生まれてくるはずだ。それに答えるうえでも、ぜひ継続してシンポジウムを開催していって欲しい。
そして、この会に参加して最も印象深かったのは、会場には200名を超すであろう参加者が詰めかけていたことだ。それは、他館に先駆けて、日本で初めてボランティアによる常設展示解説を行なうなどの34年の活動の蓄積が、美術館の未来を考える「人」を育ててきたからであり、北九州の「民度の高さ」を実感した。果たして熊本で同様の試みがなされた時に、これほどの市民の関心を呼ぶことができるだろうか。そんな思いが、梅雨の走りの北九州から戻る遅い電車の中で、ふと寄せてきた。
|
さて、九州ではまだまだ長雨が続いているが、爽やかな気分になった展覧会をひとつ。福岡県朝倉市の共星の里では7月27日まで「黒川INNトリエンナーレ」が開かれている。共星の里は、山里の廃校を利用した自主運営の美術館で、昨年、鬼籍に入られた風倉匠や吉野辰海の作品が常設されるほか、企画展やワークショップなどを積極的に行なっている。開館準備期間を含めて10年目の今年、「黒川INNトリエンナーレ」と銘打ち、13名のアーティストが参加する現代美術展が開催された。訪れた日は、九州地方を豪雨が襲っていたが、村上勝の羽状の作品や神崎東洋彦の鮮やかな布のイエローが、静かな雨の校舎の中で鮮烈な存在感を示していた。「トリエンナーレ」といっても、決して大きな展覧会というわけではない。しかし、少ないスタッフで日々美術館を開け、展示や野外イヴェントを行ない、また3年後、作家たちを集めて展覧会を開こうという決意が込められた、その名前に尊い思いを感じた。7月に入ると盛りは過ぎているかもしれないが、近くには蛍の大発生地域もあるという。ぜひ、里山の自然とアートを体感しに、足を運んでみてはいかがだろうか。
★1──北窮鼠「そしてだれもいなくなった──2007年秋・北九州」(『あいだ』143号、2007)、《北九州美術館問題》続々報「トーナス・カボチャラダムス氏書簡」(同、146号、2008)などにその経緯が詳しく書かれている。 |
|
|
|
|
|
黒川INNトリエンナーレ展示風景
左:村上勝
右:手前:柳和暢、奥:神崎東洋彦 |
|
|
|