CCGA「藤幡正樹:不完全」/青森県立美術館開館開館記念展「シャガール」/「TELOMERIC(テロメリック) vol. 3」/国際芸術センター青森「エフェメラル」/「空間実験室2006」「劇空間──セルフビルド120日間の挑戦」/「奈良美智+graf A to Z」 |
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青森/国際芸術センター青森 日沼禎子 |
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上段より
・《ビヨンド・ページズ》
・《未成熟なシンボル》
・《オフセンス》
・《オフセンス》部分 |
■藤幡正樹:不完全さの克服──イメージとメディアによって創り出される、新たな現実感。
旅の多い人には共通する感覚なのだと思うが、ふと、自分がどこにいるのかわからなくなることがある。とりわけホテルで目が覚めたときなど。夢と現実と居場所の感覚が、ベッドの上の自分の中でぐるぐると回転する。移動中の飛行機や電車の中でもそれは同じで、自分は一体どこに運ばれていくのかわからなくなってしまう。
私たちの現実とは─。CCGAのある須賀川行きの電車に乗りながら、これから会いにいく作品の輪郭をつかもうと、頭の中でトレースしてみる。私たちは、自身が置かれている環境と、自分ではない誰かとの関係性の中に生きている。認識できるもの──風景、言葉、声、表情など──をよりどころとしながら、対峙する相手との距離をつかもうとする。その距離が近ければ、手で触れ感じることもできる。私たちは、いつもその距離を探り合い、「本当の現実」を求めたいと思う。なぜならその認識は、とても曖昧なものなのだから。例えば、恋人同士が交わす「愛している」という言葉でさえ、「愛」を証明するには足らない。「愛」を現実のものにしようと深く探ろうとすればするほど、ほんの僅かの互いのズレさえも許し難い憎しみに変わることもある。それが、私たちにとっての現実であるならば。それは、あまりにも不完全で、儚い。
藤幡正樹は、1980年代初頭からCGやアニメーションを制作。インターネット、GPSを用い、インタラクティブ、ヴァーチャル・リアリティ、ネットワークを介在する作品など、常に先端のテクノロジーを表現に取り入れ、アートに新風を送り続けてきた。テクノロジーの発達とともに、大きく変化を遂げた現代。コンピュータによって蓄積され、コントロール可能な無数のデータは、メディアに形をかえ何度でも再生を繰り返す。それによってもたらされる新しい知的体験、身体的な体験に、私たちは夢中になった。しかし、そうしたヴァーチャルな体験が、次第に慣習という「現実」になったとき、さらにそれらを越えようとする「新たな発見」や、テクノロジーのさらなる「発展」は、慣習という日常に、新たな亀裂を作るものと考えられる、と藤幡はテキストに記している。しかし、そうした発見の積み重ねによって私たちの日常という現実は、完全さへ導かれていくのだとも。タイトルの「不完全さの克服」とは、鑑賞者にある種の発見を導くことを前提としたメディアによる実験装置なのだという。林の中に開かれたCCGAには、この謎めいた言葉を読み解くための知的体験の場が用意されている。緑に囲まれた周囲の明るさとは対照的な暗闇の展示空間を歩き、インタラクティブな作品を一つひとつ巡りながら、自分の感覚だけを頼りに、見て、触れ、考える。
1995─97年にかけて制作された、藤幡の代表作《ビヨンド・ページズ》。ライティングデスクにプロジェクションされた絵本を、特殊なペンでクリックしながらページをめくっていく。林檎、コップ、扉がページ上に現われ、クリックする度に林檎が食べられたり、壁面にプロジェクションされた風景の扉が開き、小さな子どもが笑い声をたてて出入りしたりする。観客が介在することによって生まれる、ヴァーチャルな事件が展開する。新作《未成熟なシンボル》は、トランプのカードがテーブルマジックのように動くアニメーション作品である。トランプそのものは紙に印刷された記号、数字でしかない。それ自体では意味を持たないが、マジシャンの手にかかり空間移動をすることによって、あるいはゲームに用いられることによって人々を魅了したり楽しませたりする。本作品では、動かないものに命をあたえるという意を持つアニメーションの技法を用いて、トランプを記号から解放させる試みを行なった。《オフセンス》(2002)はコンピュータ同士の会話を行なわせるという試みである。6台のコンピュータが、サイバースペース上につくられた空間を移動しながら、他のコンピュータと出会い、ある一定の関係性をつくりながらオフセンスな会話を始めるようになっている。それぞれのコンピュータのモニタには個々の動きが現われ、大画面にプロジェクションされた映像には、サイバースペースの全体の座標が投影され、個々のコンピュータの軌跡が映し出されている。「Yes」と「No」としか語らない人格や、質問を続ける人格同士の会話を映し出すモニタには、会話を構築する言葉、単語がオフセンスに連なっていく。もちろん人間の持つ感情はここには存在しないのだが、私たちが日常で交わす噛み合わない他者との会話、関係性を明らかにしてしまうのである。すっかり日常的になってしまった、eメールでのコミュニケーション。キーボードを叩き、記号の集積となって相手に伝えらえる情報。メール上では容易に違う人格に変わることができるし、真実とは違う情報で相手をコントロールすることだってできるのに。そのヴァーチャルなやりとりの中でのみ、互いの真実を確認しあう行為は、今や私たちの内面にも深く影響を与えている。
世界とは、本当はとてもシンプルにできている、と気づく。藤幡が提示してみせるトランプの記号のように。私たちが「感情」を表現するために使う言葉や目配せのひとつも、つまりは記号の集積。私たちは、それらを組み合わせることで感情というやっかいなものを自制し、他人との関係性、距離を保とうとする。《オフセンス》なコンピュータによって提示される記号的な世界が完全なるものだとしても、私たちは、生きるための現実を掴もうとする。不完全な人間の想像力の中に彷徨いながら。
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会期と内容
●CCGA第39回企画展「藤幡正樹:不完全さの克服──イメージとメディアによって創り出される、新たな現実感。」
会期:2006年6月24日(土)〜9月24日(日)
会場:現代グラフィックアートセンター(CCGA)
福島県須賀川市塩田宮田1
Tel. 0248-79-4811/Fax. 0248-79-4816
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■青森県立美術館開館/開館記念展「シャガール:『アレコ』とアメリカ亡命時代」
青森県立美術館が7月13日に開館を迎えた。美術のみならず、映画、演劇、音楽との融合を目指す同館が、そのシンボルとなる作品として、マルク・シャガールがニューヨーク・バレエシアターの依頼によって制作した舞台背景画『アレコ』全4幕のうち3幕(第1、2、4幕)をコレクションとしたのが平成6年度。この度の開館記念展のため、フィラデルフィア美術館所蔵の第3幕と合わせ、高さ19メートルの吹き抜けの空間のアレコホールに展示された。
本展ではニューヨーク亡命時代のシャガールに焦点を当てるとともに、実際のアレコで使用された舞台衣装、衣装デザインのための多くのドローイングなども展示された。いずれも総合芸術としての舞台を作り上げていくにあたっての、画家シャガールと舞台監督、音楽家、ダンサーたちとの協働の姿、過程を見て取ることができる。
また、県立美術館としての中核を成すのは、やはり常設展によるコレクション紹介である。青森県出身、あるいはゆかりのある作家の作品が、一作家、一部屋を基本にゆったりと展示されている。本年度の常設展のタイトルは「あおもりコンプレックス」。棟方志功を始め、斉藤義重、成田享、小野忠弘、工藤哲己、鷹山宇一、寺山修司、さらには三内丸山遺跡からの縄文時代の出土品など、版画、絵画、彫刻、デザイン、演劇、サブカルチャー的な要素を持つものまで幅広い作品が収集、展示されている。その中でも、世間の衆目するところとしては、やはり奈良美智のコミッションワークであろう。身長8.5mもの《あおもり犬》(現在、名称を募集中)、《八角堂》が制作・設置された。さらには、奈良美智とも多くの仕事を手がけたgrafにより、あおもり犬を臨む室内空間に、廃材を用いた小屋が作られた。近代から今最も注目される作家やクリエーターまで、非常に個性豊かな「顔」が揃い踏み。青木淳設計による特異な美術館空間と作品とが共鳴しあい、静かな北の情熱が漂う場となった。
地元青森では、雪国学が注目され始めている。厳しい冬によって生まれる特異な文化について研究を深めようというものだが、その雪国学的な観点に立てば、都市部からのインフラや情報から閉ざされた地で(もちろん現代では少し事情は違うけれど)生まれ育つ人間は、常に厳しい自然環境を乗り越えて生きていく力、つまりは「芸術力」を内に秘めているともいえるのか。
県立美術館設立のため、アーティスト、建築家、デザイナー、学芸員など多くの人材、芸術作品が内外から集積された。それは、県出身・ゆかりの作家作品をコレクションし、県民の財産としてのみ公開するのではなく、北の優れた芸術力をインターナショナルな視点に立って、開き、示していくことを目的としていたためである。21世紀以降の新しい県立美術館としてのミッション、それを果すための建築、空間、コレクションの問題。基本構想策定から8年、準備室開設から数えれば10年以上にも及ぶ長い時間、さまざまな議論や経験を経て、多くの人々の協働の結実が今、開館とともに姿を現したのである。共にこの地域で芸術の仕事に携わる者として、改めて敬意を表したい。
やがて開館という祝祭的な時が過ぎ、冬がやって来る。辺りは真っ白な雪に覆われる。この白い建物は、冬毛に覆われた野生動物のように周囲から姿を隠す。雪深い冬に守られながら、豊かさへの醸成を始めるのだろうか。地域の人々が県立美術館の存在を誇り、また美術館を自らのものとして守り育てる支えとなって欲しいと願い、またそうした人々の心を揺さぶり続ける「美の空間」であって欲しいと願うものである。
■その他、青森のアートイベントもてんこ盛り!A to Z開幕も迫る。
さて、アートてんこ盛りな夏の青森の、その他の動きについてもレポートしたい。
まずは、八戸市の市民アートサポートグループICANOF(イカノフ)(キュレーター:豊島重之)による、メディア・アートの可能性を探る「TELOMERIC(テロメリック) vol. 3」が開催中である。八戸には同じく豊島が率いる「モレキュラーシアター」の国際的な活動、また、バレエ、モダンダンス、コンテンポラリーダンスの指導と公演を長きにわたり行なってきた「ダンスバレエ・リセ」がある。これら一連の活動によって地域にパフォーミングアーツの土壌がつくられてきた。パフォーマンスとメディアとの両輪の必然性を説き、発表の場をつくり、あるいは市民大学を企画するなど、実践と議論の学ぶ場へと層を積み重ねる展開を続けている。
青森市の国際芸術センター青森では、同館のメイン事業であるアーティスト・イン・レジデンスプログラムの展覧会「エフェメラル──遍く、ひとつの時」を開催。サーラ・エクストレン(フィンランド)、ホセイン・バラマネシュ(イラン/オーストラリア)、杉浦邦恵(日本/ニューヨーク)、松井茂(東京)の4名が、5月半ばから青森に滞在しながら制作した作品を発表。写真、立体、映像、現代詩など個性豊かな作品が揃う。8月13日(日)からは、アーティストユニット・KOSUGI+ANDOによる展覧会を中心とした、夏のアートフェスティバル「森の夢──記憶の森へ」が行なわれる。
また、同市のアートサポートグループARTizan(アルチザン)主催の二つの拠点づくりプロジェクトがスタートしている。ひとつは「空間実験室2006」。初年度、2年目と、青森県の文化振興策として行なわれた同プロジェクトを、昨年よりARTizanの主催事業として引き継ぎ、継続して開催しているものである。青森市中心商店街の空き店舗をリノベーションし、地域のクリエーターの発表と交流の場とするもので、今年はさらに改装を加え、リニューアルオープンへ向けた活動を開始中。また、今年のテーマを「ていねいな、仕事」とし、全国からていねいな仕事人たちを招いたプロジェクト、講演会、ワークショップなどを幅広く開催する(〜11月30日まで)。もちろん定番であるクリエーターたちの週代わりの展示も行なわれる。またもうひとつは、今年から新たに取り組むのが「劇空間──セルフビルド120日間の挑戦」である。同じく青森を拠点として活動を行なう演劇プロデュース集団、渡辺源四郎商店を中心に、地元の若手演劇人とともに実行委員会を組織。6月から10月までの120日間をかけて、空き店舗を稽古場兼、小劇場として自らの手で作り上げようというもの。さらには東京から舞台美術家の杉山至氏を講師に迎え、舞台美術の基礎を身につけるワークショップを並行して行なうものである。こけら落としの10月7日にちなみ(渡辺源四郎商店「背中から四十分」上演)、この拠点を「アトリエ1007」と名付け、まさにカウントダウンの作業が続いている。
さて、いよいよこのレポートの最後は、もちろん弘前市で開催される
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イトーヨーカドー弘前店での読み聞かせの様子 |
「奈良美智+graf A to Z」である。この原稿を書いている時点では、準備の最終段階。AからZまでの小屋づくりは、ほぼ完成。現在は、ボランティアスタッフによるカフェの運営準備、フリーペーパーの作成、「A to Z」を紹介する写真パネル展示を最寄の空港やコミュニティーセンターなどのロビーで行なうなど、周辺からもこの展覧会を盛り上げていくための活動が展開されている。その中でも筆者が注目したのは、教育プログラム部会による絵本の読み聞かせ会の活動である。ボランティアスタッフが小学校、幼稚園などへ出向き、奈良美智著作の絵本『ともだちがほしかった子犬』の読み聞かせを行ない、小さな子どもたちにも奈良美智の魅力を伝え、理解を深めようというもの。これらのすべてがボランティアスタッフの自主的な発案によって行なわれている。展覧会だけではなく、地域へのさまざまなアプローチによって、アートの楽しみ方を伝えようとする市民活動が、今、弘前で最も熱く繰り広げられているのである。
アーティストとは? 市民とは? 公共とは? それらを問いながら、自らが考え、汗をかき、行動する。今、青森を取り巻くアートの場が、人間力によって動き始めている。 |
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