シリーズ80年代考「1983年の《Pine Tree Installation》をみる」/「1980年の松の木をめぐる」/今村源「わたしとシタワ」
ペインティングの恋人 |
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大阪/中井康之(国立国際美術館) |
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今期(2008年4月以降)まず始めに取り上げなければならないのは、京都のギャラリー16で「シリーズ80年代考」というテーマによって開催された2つの展覧会である。そのひとつは、3月25日から「1983年の《Pine Tree Installation》をみる」というタイトルで中原浩大の巨大な絵画2点を中心とした個展であり、そしてもうひとつは「1980年の松の木をめぐる」というタイトルで福嶋敬恭の、やはり巨大な絵画2点を中心に展開した個展である。いま、なぜ80年代に生み出された絵画を、しかも画廊の空間を覆い尽くすような画面を持った作品を呈示しなければならないのか。と、自問しながらも、その理由が自ずからなんとなくわかる気がしてくるのである。それは、この2つの展覧会の企画者でもある坂上しのぶ氏が、これらの展覧会にあわせて発行した『シリーズ80年代考1』という冊子の冒頭部でも触れているように、「1980年代がどのような時代であったかを検証する展覧会を」行なわなければならないという責務に突き動かされたものなのである。さらには、いま、多くの若い作家たちによってなんの抵抗もなく絵画が描かれている状況が、近年のアートマーケットの隆盛によって用意されただけではなく、80年代の関西ニューウェーヴとも呼ばれた時代が準備した部分も在ったはずである。それを確認することなく看過してしまえば、その時代の動向が見失われるばかりでなく、いまの作家たちの作品も自らの場所を確認することも適わずに浮き草のように流れ去ってしまうだろう、という危機感を覚える。
勘違いをしてはならないのは、いまのアートマーケットの活況を介して過去の作品や時代状況の再評価を促そうというようなことではない、ということである。逆に、経済的価値という単一の尺度によって「芸術作品」という商品が行き交う現在においてこそ、「絶対的な表現」をさらには「普遍的な美」を求めていた時代への憧憬は、より一層高まりこそすれ、彼らの作品を現在の一元化された貨幣価値のようなものに換算しようという考えに至ることなど思いも寄らないことなのである。その「芸術作品」が、商品に堕していくことを見届けたのは、近代美術批評というものを成立させたボードレールと、その時代であった。ようするに近代という魔物が、すべてを包含するかのように、多様な価値観を均一なイデオロギーへと変貌させていったわけである。とはいえ、そのボードレール自身が「詩はそれ自身以外いかなる目的ももたない」と言い放ったように、80年代の浩大や敬恭の作品を、その一片の詩として見ることもできるであろうし、彼らはそうであったと類推することは許され得ると考える。 |
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左:「1983年の《Pine Tree Installation》をみる」展示風景
右:「1980年の松の木をめぐる」展示風景 |
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新しい年度から、見ることを思索的に促してくれたそのような展覧会に導かれるように、5月初旬、大阪の信濃橋画廊で開催された今村源による個展「わたしとシタワ」においても、近代的な意味における表現することの意味を問い直すような試みが為されていた。今村は、これまで徹底して彫刻の概念を否定してきた。その量感や塊として存在のような概念を否定してきたのである。今村は、質量感が欠如した、一皮めくると違う次元が現われることを示唆するような奇妙な彫刻を創出してきた。近年、近代彫刻の出自と共にあった人物像が現われてきた時も、ある歪みを加えることによって周囲の空間に揺らぎを与えるような装置としての役割を果たしてきたのである。今回も、そのような装置としての像も見られたが、中心に座した、展覧会タイトルにもなった《わたしとシタワ》という作品は、ほぼ等身大で、変形も加えられていない人物像であった。ただ頭部に、僅かに切り取られた部位からキノコが生えているかのような様相を表していた。あからさまに、中が空洞であることを見せていたのである。これは、自己表出である筈の自画像に対する、あからさまな攻撃であろう。そのことはまた、近代彫刻の否定であると同時に、その残滓を見せざるを得ない自己に対する否定でもある。近代的な思考作業から仕事を始めるしかないわれわれに対する、作家の冷ややかな視線に怖いものを感じた。
その他、児玉画廊の田中秀和が、この時代状況のなか、抽象絵画に真剣に取り組んである姿があった。ギャラリーDENの徳岡優子の線描は、運が良ければ表現になるかもしれない。アートコート ギャラリーの女性による3人展は、贅沢なこのギャラリー空間を巧みに使い切っていた。
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