「国立国際美術館開館30周年記念シンポジウム『未完の過去──この30年の美術』」/「アートツーリズムワークショップ──神戸観考4『島袋道浩と行く港町神戸の旅』」
ギュウとチュウ「篠原有司男と榎忠」 |
|
愛知/能勢陽子(豊田市美術館) |
|
「芸術の秋」ということもあってか、10月、11月は、展覧会のオープンや、パフォーマンス、シンポジウム、ワークショップの開催が目白押しで、毎週末、東京や関西方面に出掛けていた。今、日本でどのようなアートの可能性があるだろうなどと考えながら、新たにオープンする展覧会を観るのだけれど、それぞれ面白味や引っ掛かりを感じつつ、でも未消化のままで、また新たな展覧会が始まっていく。そんな印象を抱きがちだったところに、国立国際美術館開館30周年記念シンポジウムは、美術の状況を立ち止まって考える良い機会となった。
|
「未完の過去──この30年の美術」と題されたシンポジウムは、「アジア」「サブカルチャー」「ジェンダー」「国際展」「美術館」の、建畠館長により「死後のレッスン」と名づけられた6つのテーマを取り上げ、二日間にわたり行なわれた。どのセッションも最適なパネリストが選ばれ、関心をそそられたが、残念ながら拝聴できたのは二日目だけだった。しかしことに「国際展」のセッションは、南條史生、河本信治、住友文彦の、国際展との関わりの深い三氏の、それぞれに異なる意見を聞くことができ、簡単に答えのみえる問題でないからこそ興味深かった。マーケットやキュレーターの権力の問題などが語られるのを聴きながら、世界中で開催される国際展や展覧会を前に、「誰のための展覧会か」ということをつねに心に留めておかねばならないと改めて思った。
一週間後には再び関西に行き、神戸アートヴィレッジセンター企画の『神戸観考』第4回、「島袋道浩と行く港町神戸の旅」に参加した。
第一部では神戸湾の遊覧船を貸し切り、そこから島袋の生まれた明石が見える辺りまで航行する。船上ではジョアン・ジルベルトが流れていて、海辺で生まれたこの音楽が港の潮風と調和して、心地よい開放感を作り出す。一時間余りの船旅では、島袋がかつてこの遊覧船で働いていたこと、また第一回ブラジル移民船笹戸丸が1908年にこの港を発ったことなどを聴き、その後昨年のサンパウロ・ビエンナーレに出品した作品を観た。それは明石のタコを東京見物に連れて行く映像に、サンパウロの二人組路上アーティストが歌を付けたものであった。ブラジルは識字率が低いため、文字ではなく歌によって作品を伝えようとしたという。路上アーティストがサンパウロの町中でタンバリンを叩きながら大声で歌う物語は、直接体に訴えるリズムで、日本とブラジルの景観や文化的背景を小気味よく交差させていた。船乗りとして働いていた頃の島袋は、この世界を飛行機による移動のピンポイントとしてではなく、船の航海のような水平の広がりとして捉えていたという。それは作品にも反映されている。島袋は、ローカルなものや身近なものとしっかり向き合うが、それは水のような流動的なものを媒体にして、遠く離れた国にまで接続していく。島袋の作品は、現代のお伽草子のようにも感じられるが、これまで出会い、体験してきたことをもとに、ちゃんとそこまで繋がっていく。復路、船上に流れる石原裕次郎や森進一が、夕空の港に異様に合うことにおかしさを感じながら、ボサノバから演歌まで、潮風の中のリズムに乗って、今いるここと、水を通して繋がる地球の反対側の世界に思いを馳せた。第二部は夜7時から、20人ほどで一杯になる「伝説の船員バー」で、ゆっくりと寛ぎながら、これまでの活動などについての話を聴いた。
天気のいい土曜日、海辺で一人の作家と多くの時を共有し、その世界に触れることは、とても贅沢で得がたい体験になる。次々に開催される展覧会を前に、「消化不良だ」などといってはいけない。しかしこうしたワークショップで島袋のような作家に直に触れることは、潮風や音楽のリズム、船上で食べた肉まんやシュークリームの味とともに、深く身体に染み込むように感じられた。 |
|
|
|
|
左:神戸港でのクルージング
右:伝説の船員バーでのレクチャー
提供=神戸アートビレッジセンター |
|
|
|
|