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村田真|原久子
敷居を低くする
村田真
 今年いちばんの話題はなんだろう。と振り返ってみても、なんだか2004年は大した年ではなかったような気がする。
 2003年は森美術館が開館したし、越後妻有アートトリエンナーレの第2回展も開かれた。昨年の本欄にはこのふたつの話題を対比的に取り上げた。いま考えてみるとこのふたつ、「高い」という点で共通している。森美術館は超高層ビルの最上階2フロアを占めているうえ、なんとなくハイソ・ハイカルな空気が漂い、入場料も1500円と高い(展望台とセットだが)。つまり敷居が高く感じられるのだ。一方、越後妻有は新潟県の山間部に位置しているので高所に違いないが、こちらのほうがずっと地に足がついている。ただし、そこに行くまでがひと苦労で、その意味では敷居が高い、というか遠い。まずはこのふたつの現在の動きを追ってみよう。
 森美術館は開館1年で200万人の入場者を集めたという。目標はたしか100万人だったから大成功だろう。とはいえその大半は展望台を目的とする人たちであり、彼らにとって美術館はおまけにすぎない。ならば、美術館にかかる莫大な経費を削減しても入場者数はそれほど変わらないはずで、実際、開館1年を待たずして2フロアあった展示室のうち早くも1フロアしか使われなくなり、キュレーターの数も目に見えて減っている。「トッピング美術館」の悲哀というべきか。
 越後妻有のほうは、一部の地域が新潟中越地震で被災したが、2年後のトリエンナーレ開催には影響なさそうだ。ボランティアの「こへび隊」も被災地に赴いて援助活動したというし、むしろ震災の経験を次のトリエンナーレに活かしていくのではないかしら。その意味では次回がますます楽しみに(というのも不謹慎だが)なってきた。

横浜トリエンナーレのドタバタ劇
 その越後妻有に比べて、2004年に第2回展開催予定だった横浜トリエンナーレのていたらくはどうだろう。会場が確保できないとの理由で1年延期になったのが昨年のこと。世界的にはビエンナーレ(2年に1度)が趨勢を占めるなかで、なんのために余裕のあるトリエンナーレ(3年に1度)にしたのか。会場探しに2年間を費やす国際展なんてほかにあるかね。横浜市内には多くの歴史的建造物や使われていない建物があるのに、なぜそれらを活用しようとせず、わざわざ中心部から離れた見本市会場や倉庫に押し込めようとするのか。これは主催の国際交流基金と横浜市の連携がうまくいってない証だろう。そもそもこのトリエンナーレ、最初から「だれが、なんのために」開くのか明確ではなく、モチベーションがあまりに低すぎた。
 ともあれ、ようやく会場が山下埠頭の倉庫に決まったのが今年2月で、7月には建築家の磯崎新がディレクターに就任。ところが彼のプランでは2005年の開催も不可能なため、磯崎氏はもう1年延期を主張し、それでもダメならと第2案まで用意したものの、横浜市としてはこれ以上の延期は許されず、両者は平行線をたどっている……。という内情が12月4日、BankART1929で開かれたシンポジウム「なぜ国際展か?」で初めて公にされたのだが、このシンポジウムを企画したのは国際交流基金でも横浜市でもなく、多摩美の学生なのだ。しかもこのとき、実は水面下で次のディレクター探しが始まっていたらしい(その後、ディレクターはアーティストの川俣正に決定)。
 このような秘密主義、お役所仕事で乗り切ろうとする限り、「トリエンナーレは市民のため」(横浜市)というセリフも空しく響く。これではいつまでたってもトリエンナーレは市民にとって「よそごと」であり、「敷居が高い」ままである。

敷居が低くなる美術館
金沢21世紀美術館
金沢21世紀美術館
 ということで、ようやく本稿のテーマは「敷居の高さ」に決まった。そこでもういちどフリダシに戻って、今年いちばん、ではないにしても話題のひとつにあげられるのが、金沢21世紀美術館の開館である。
 この美術館、金沢という伝統の街に切っ先を突きつけた先端美術の拠点、との見方もできるけれど、実際にはこれほど敷居を低くした美術館も珍しい。まず、周囲をガラス張りにした円形の建物自体これまでの美術館にはないユニークなデザインだが、これは正面性を消してどこからでもアクセスできるというサインであり、しかも広場との連続性も保たれていて開放感に富んでいる。その分、中央に寄せた展示ギャラリーはハードなホワイトキューブが確保され、開館記念展の「21世紀の出会い」ではバリバリの現代美術を全開させている。
 もうひとつ特筆すべき点は、このオープニング展に市内の全小中学生(約4万人)を招待しようとしていることだ。これがどれほど無謀な試みか、なにしろ美術のビの字も知らないガキどもが毎日数百人も館内をウロチョロするんだぜ。子供にとって美術館という場所は敷居が高いが、いちど訪れれば確実に低くなり、将来有望なユーザーになりうる。その意味ではハイリスク、ハイリターンの試みといえる。成功を祈る。
国立国際美術館
国立国際美術館
 美術館のオープンでは、ほかに直島の地中美術館と大阪の国立国際美術館をあげたい。この2館に共通するのは、ともに地中に美術館本体を埋め込んだこと。国立国際美術館は、足の便の悪い万博記念公園から大阪市中心部の中之島に移転したうえ、地下にもぐったのだから、物理的にきわめて敷居が低くなったといえる。地中美術館のほうは、ウォルター・デ・マリア、ジェームズ・タレル、それに印象派のモネの作品が、安藤忠雄の建築空間と一体化して固定され、まるで地下聖堂のような神聖な雰囲気をかもし出している。あるいは、「美術館は芸術作品の墓場である」というアドルノの言葉をそっくり当てはめるべきか。だとすれば、敷居は高いというか低いというか。
 美術館ではないけれど、横浜のBankART1929にも注目したい。というか、注目してほしい。これは、1929年に建てられたふたつの銀行建築を、文化財として保存するのではなく、新しい創造の場として再活用する実験事業。銀行や歴史的建造物というと敷居が高く感じられるが、それを人の集まる芸術文化施設にすることで低くしていこうという試みでもある。横浜市が建物を提供し、コンペで選ばれた民間団体が運営を任される公設民営方式で、これは今後の「指定管理者制度」のあり方にも波紋を投げかけるかもしれない。
BankART1929Yokohama BankART1929馬車道
左:BankART1929Yokohama/右:BankART1929馬車道

敷居は低けりゃいいってもんじゃない
 展覧会に目を向けると、2004年は日本の開国150周年のせいか、幕末・明治にまつわる企画に優れものが多かった。なかでも東京国立博物館の「万国博覧会の美術」と熊本市現代美術館の「生人形と松本喜三郎」は、ともに美術と見世物の「敷居」が未分化だった時代に焦点を当てた興味深いもの。
「敷居」でいえば、昨年の京都国立博物館での「アート オブ スター・ウォーズ」の続編や、東京都現代美術館での「ジブリがいっぱい」に続く「球体関節人形展」、「日本漫画映画の全貌」などにも触れなければならない。これらは、コンテンツを美術以外の映画やアニメにすり替えることによって観客の大量動員を図ったもので、敷居を低くしたというより、敷居そのものを破壊してしまったというべきだ。いくら公立美術館が入館者を増やさなければならないとはいえ、このようななりふりかまわぬ暴走は美術館だけでなく文化全体の荒廃を招きかねない。
 反対に、川村記念美術館の「ロバート・ライマン展」は観客にコビることなく、コンテンツの高い質を保った好企画。敷居は高いけど、その高さを保ち続けてきた美術館の活動が評価され、運営母体の大日本インキはメセナ大賞を受賞した。一方、横浜美術館の「ノンセクト・ラディカル」は、みずから選んだ高嶺格の映像作品を土壇場で自主規制して非公開にしてしまった。同展の敷居は低くないのだから、そのまま超然と突っ張ってほしかった。
 敷居を低くしたいのならば、美術館の外に出てアートプロジェクトとして展開するのがいちばんだ。岩国市で行なわれた「錦帯橋プロジェクト」は、錦帯橋の掛け替えで出た廃材を使って彫刻をつくる試み。敷居を低くしたというより、敷居そのものを素材にしたというべきか。千葉大学の「千葉アートネットワーク・プロジェクト」や東京芸術大学の「取手アートプロジェクト」は、商店街や空家に点在させた作品を見てまわってもらおうという企画。これらはアートの敷居を低くすると同時に、大学の敷居もみずから低くする活動といえる。
 このように振り返ってみると、2004年はアートの敷居を低くした年として記憶されるかもしれない。だが、それによってアートの質が低下するとすれば、本末転倒というものだ。敷居は低いに越したことはないけれど、ただ低ければいいというものでもない。

[ むらた まこと ]
村田真|原久子
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