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アートブック・ガイド 1995-2005
──現代美術を理解するための100冊
暮沢剛巳
多文化主義とその周辺
 2つのミレニアムをまたいだこの10年来、アートの動向は混迷の一途をたどってきた。その多様な道筋を簡潔に言い表わすとしたら、それにもっともふさわしい一語はやはり「多文化主義」ということになるだろう。かつてモダニズムやポストモダニズムとしてくくられる時代が存在したのと同様に、近い将来90年代以降の世界的な趨勢が多文化主義と呼ばれることになるのはほぼ確実なように思われる。
 もちろん、この趨勢は米ソ冷戦構造の崩壊という政治的、社会的な現実と分かちがたく結びついている。長らく戦後世界を規定してきたこの二項対立がにわかにほころび始めた80年代後半、米国内ではこれまで社会的に抑圧されてきた女性、少数民族、同性愛者らに代表されるマイノリティのアートが台頭、一方では旧ソ連・東欧圏からも旧体制の抑圧を嫌う一群のアーティストが出現、そのトレンドは中国をはじめアジア・アフリカの第3世界にも波及していった。そしてこれとほぼ軌を一にして世界各地に数多くの国際展が林立、従来のモダニスティックな規範から明らかに逸脱した彼(女)らの表現にとって格好の受け皿として機能し、多文化主義の趨勢がいよいよ不可逆的に決定付けられていく。無論、日本とてその例外ではありえない。この時期、村上隆や奈良美智が国際的評価を獲得したのもまさに多文化主義の流れのなかで初めて起こりえた現象であろう。他方、いっとき「スーパーフラット」を標榜していた彼らの仕事は、椹木野衣が「悪い場所」と呼んだ日本の戦後美術のさまざまな問題をも引きずっていて、それもまた多くの議論の対象となっていく。それこそその問題の痕跡は、万国博覧会のような国家的なイヴェントにさえも認めることができるだろう……。
 もちろん、こうした「上部構造」の趨勢は、「下部構造」のひとつである美術書の出版動向にも大きな影響を及ぼした。例えば美術雑誌では多文化主義に関連した特集が数多く組まれるようになり、それ以前にはほとんど知られていなかった第3世界のアーティストが紹介される機会が激増、またそれと平行して人気の高いアーティストの作品集が出版・輸入されるケースも散見されるようになった。だが、美術をめぐる言説へと眼を転じて見ると、出版の現場で起こっている事態はより多様であり、必ずしも一枚岩ではないことがよくわかる。たとえば先の図式をリテラルに当てはめると、多文化主義が台頭した昨今、モダニズムやポストモダニズムはもはや過去の動向として一顧だにされないはずである。ところが実際には、これらの思潮を積極的に再評価しようとする言説が多くの理論書や批評集で展開され、また立場を同じくする海外の言説もさかんに翻訳紹介されているのだ。これはほんの一端で、ほかにも例えば若手女性写真家の台頭、工芸や日本画の再評価、インターネットの登場にともなうメディアアートの発展、美術館やパブリックアートの新傾向といった個々の出来事や、メインストリームとはいえないものの多くの動向に対応する書物も数多く刊行されており、出版不況とはいいつつもなかなかの活況を呈している。なおこの活況については、NADiffのような美術関連書の専門書店、アマゾンのようなオンライン書店の登場も大きく寄与していることに注意しておきたい。
 この「アートブック・ガイド 1995-2005」を制作するに当たって、念頭にあったのはおよそ以上のような前提であった。基本的には、この10年来のアートの動向をモダニズム/ポストモダニズムから多文化主義への移行という大きな流れによって捉え、そのなかから見えてくるさまざまな事象や傾向にスポットを当て、できるだけ広範なトピックを拾い上げることに留意した。ただし、1──入手困難な書物が多数を占める、2──企画の性質上、アーティストの作品集が多数を占めるのは趣旨から外れるので、そうした書物は少数に限定し、その代わりに入門書、理論書、批評集などを積極的に選択、多様な言説を通じて現代アートの全体像を立体的に浮かび上がらせる方針を採用した。その他、ごくわずかな例外を除けば洋書や雑誌のバックナンバーは原則として含めない、現代のアートにとって多くの示唆に富む面があれば思想、写真、建築、デザインなど他ジャンルの書物も採り入れる、著者1人につき2冊までといった細かな条件をいくつか設定し、可能な限り間口を広げ公平な選択を心がけた。
 なかでも、このブックガイドのハイライトと呼べるのが、手短なコメントを添えた10冊の書物である。先に挙げた理由によってそのいずれもが理論書や批評集の類であり、本来「観る」べきものであるアートを「読む」上で有益なリテラシーを内包しているという一点において共通している。モダニズムであったり、スーパーフラットであったり、アフォーダンスであったり、それぞれの書物が説くさまざまな立場の違いからも今日のアートの多様な側面を感じ取ってもらえれば幸いである。
[ くれさわ たけみ・美術批評/文化批評 ]

アートブック・ガイド 1995-2005
『批評空間臨時増刊号
モダニズムのハードコア──現代美術批評の地平』

(浅田彰+松浦寿夫+岡崎乾二郎編、太田出版、1995)

正確には「artscape」開始前年の刊行なのだが、やはり画期的な意義があった書物だけにリストアップせざるをえない。モダニズムおよびそれ以後の展開を踏まえるうえで必読の論文が多数訳出されているほか、併録のインタヴューやディスカッションもそれを理解するうえで大いに有益。編者たちの日本のモダニズム受容に対する認識はいたって否定的なトーンで語られているが、企画の核であったクレメント・グリーンバーグ論文の本格的な翻訳書『グリーンバーグ批評選集』(藤枝晃雄+上田高弘訳、勁草書房)の紹介が2005年までずれ込んでしまった現況を考えればそれもむべなるかな。



椹木野衣『日本・現代・美術』(新潮社、1998)

『美術手帖』誌上での連載をまとめた長編批評。「円環のポップ」と「還元のポップ」という著者独自の二分法を主武器に、90年代の最新動向から遡行する形で戦後の日本美術の流れを大胆に再構成し、多くの判断が留保されたままの宙吊り状態を「悪い場所」として規定する力業を展開した。未だ正統な通史が存在しない状況下で、「全面的に肯定」(針生一郎)、「さわらぎ自虐派」(彦坂尚嘉)など多くの賛否両論を巻き起こしたこの10年来で最大の問題作。



川俣正
『アートレス──マイノリティとしての現代美術』

(フィルムアート社、2001)

国際的な名声を博するアーティストは、実はアートに対する極めて否定的な感情の持ち主でもあった。「アートフル」な思い込みを排し、それとは対極にある「アートレス」な距離感とバランス感覚を獲得せよ! 常に「現場」の第一線で軽快なフットワークで活躍し、多くのサイト・スペシフィックな試みを行なってきた著者の詳細な活動記録にして、爽快な読後感を残すマニフェスト集。



岡崎乾二郎『ルネサンス──経験の条件』
(筑摩書房、2001)

『批評空間』誌上での連載をまとめた長編評論。ブルネレスキ+マサッチオの《ブランカッチ礼拝堂壁画》の精密極まりない解像分析を中心に、透視図法/遠近法の核心を「思い込み」に見出していく推論は大胆にして繊細であり、マティス、ヴェネツィア派、フェルメール、フォーマリズムなどを参照して独自の参照関係を編み上げていく眼の確かさは驚嘆に値する。「経験の条件」とは、この力業に賭けられていた実作者としての矜持でもあるだろう。



『SUPER FLAT』(村上隆編、マドラ出版、2000)

村上隆関連で一冊選ぶとすればやはりコレ。村上本人の「スーパーフラット宣言」「日本美術論」のほか、「カメラアイのない世界」に着目した東浩紀の論考、さらには伊藤若冲や葛飾北斎にはじまる多くの作品図版を収める。ヒロポンファクトリー(現・カイカイキキ)の面々による作品の多くはけっして質が高いとは言えないが、それだけに逆に「日本は世界の未来かもしれない」と言い切るコンセプトの明快さを効果的に引き立てている面もある。



佐々木正人
『レイアウトの法則──アートとアフォーダンス』

(春秋社、2003)

日本のアフォーダンス研究の第一人者として知られる著者が、この生態心理学の概念を駆使して、アートと情報環境の関連を精力的に語った一冊。分析の対象は絵画、写真、建築、組み版など多岐に渡り、「光」「力」「余白」といった角度からの独自の語り口、作家から引き出されるさまざまな言葉はいずれも精彩に富んでいる。この魅力は、アフォーダンスの本質に着目することによって考え抜かれたタイトルにも多くを負っているだろう。



松井みどり
『アート──“芸術”が終わった後の“アート”』

(朝日出版社、2002)

1980年代-90年代の現代アートの趨勢を、アメリカの状況を中心に俯瞰した入門書。ヘーゲルの「歴史の終わり」を髣髴させるタイトルは、この時期のポストモダニズムや多文化主義の展開に大きな歴史的意義を見出している著者特有の認識にも対応している。21世紀については本格的に展開されていないのが残念だが、それについては続編による補完と新たな展開を期待。



椹木野衣『戦争と万博』(美術出版社、2005)

会期中の観客動員約6,400万人。未曾有の国家的イヴェントであった大阪万博(1970)は、実は幻に終わった戦前の紀元2600年博(1940)の30年越しのリターンマッチでもあった。このイヴェントに関わった多くの建築家や前衛芸術家の足跡を丹念にたどりつつ、「未来」「実験」「環境」などのキーワードを軸に両者の驚くべき相似を明らかにする。万博とは、万博芸術とは何か。「愛・地球博」開催の年に世に問われた最も野心的にして先鋭的な万博研究の書。



『美術手帖』2005年7月号
「特集=日本近現代美術史」
(美術出版社)

美術出版社の創業100年記念特大号。1905-2005年の日本美術史100年の流れを、7本のテキストや李禹煥、草間彌生、川俣正、森村泰昌、村上隆のインタヴュー、詳細な年表+チャートによってまとめている。図版も豊富に収録されていて資料的な価値も高い。雑誌のバックナンバーとしては破格のヴォリュームだが、単独の教科書・入門書としてみればむしろコンパクトで重宝する一冊。全体の監修は北澤憲昭と椹木野衣。



『THE CREMASTER CYCLE』
(Guggenheim Museum Pubns、2003)

チャプターごとの頭出しが容易なのはDVDの大きな利点である。その点、全5部からなり、チャプターごとにスポーツ、生物学、歴史、神話といったテーマを自在に横断するマシュー・バニーの《クレマスター》は、本来は劇場公開用ながらもDVD時代の申し子とも呼ぶべき作品だろう。その制作過程はもちろん映像としても残されているが、ここではそれらの記録をまとめた一冊の洋書を紹介しておきたい。一見高価だが、充実した再録内容からすれば十分もとの取れる一冊。



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