2019年06月15日号
次回7月1日更新予定

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『滑稽新聞』

Kokkei Newspaper

宮武外骨が大阪で1901年にから08年まで刊行した風刺雑誌。出版人としての成功を夢見ていた宮武は、最初東京で『頓智協会雑誌』(1887)などを刊行し、堅苦しい政治議論が盛んだった時代のジャーナリズムに風穴を開けた。1889年の大日本帝国憲法発布を骸骨によって風刺する絵を掲載したかどで3年の禁固刑を受けた後、出獄して大阪で新たにパトロンを得て『滑稽新聞』を創刊することになった。同誌は「癇癪と色気」を売り文句に、反権力や風俗紊乱を理由にたびたび罰金や発行停止命令を受ける一方で、検閲官を愚弄し、裁判の過程を誌面で風刺することで、大阪人の人気を集めることにもつながった。最盛期には8万部の発行を誇ったといわれる。また、宮武も小野村夫の筆名で執筆したユーモアあふれる記事と独創的で過激なレイアウトによる誌面は、現在も高い評価を受けている。05年の元日の誌面には、模造の百円紙幣と千円札をつけ、その肖像に骸骨(外骨)をあしらった。これは65年の赤瀬川原平による千円札裁判に先んじた事件であるが、後に赤瀬川も『滑稽新聞』に深い関心を寄せ、その復刻版の解説に関わった。

著者: 足立元

参考文献

  • 『過激にして愛嬌あり 「酷刑新聞」と宮武外骨』, 吉野孝雄, 筑摩書房, 1983

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