2019年06月15日号
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ケルン電子音楽スタジオ

Studio für Elektronische Musik in Köln

西ドイツ放送ケルン局(Westdeutsche Rundfunk Köln)内にあった電子音楽スタジオ。WDRでは1950年初頭頃から試験放送用の発振音を用いた音楽制作の実験が始まった。1951年に作曲家、音楽学者H・アイメルトが初代所長に就任し、物理学者W・マイヤー=エプラーと音響エンジニアR・バイヤーを中心に電子音楽スタジオが開設される。ほぼ同時期にINA-GRM(Institut National Audiovisuel – Groupe de Recherches Musicals)で行なわれていたミュジーク・コンクレートは具体音とそこに生じる偶発性といったシュルレアリスムの流れを汲むが、アイメルト率いるケルン電子音楽スタジオの理念はGRMの対極にあった。それはすなわち、純粋な電子音によって音楽の素材を完全に制御し、厳密な図形楽譜を用いて作曲家の理念を忠実に再現することだった。そのため、モノコルドなどの電子楽器や録音・編集機器の開発に力を入れていた。1953年、アイメルトは、シェフェールの下でミュジック・コンクレートを修めたパリ帰りのシュトックハウゼンを招聘。63年に第2代目の所長に就任するシュトックハウゼンの登場によって、ケルン電子音楽スタジオはアイメルトのいわば原理主義的な路線から徐々に脱していく。反ミュジック・コンクレートを明確に打ち出したアイメルトとは異なり、シュトックハウゼンは《少年の歌》(1955-56)において電子音楽とミュジック・コンクレートとの融合を図った。これ以降はプスール、リゲティ、カーデューなどドイツ内外からさまざまな作曲家やエンジニアがケルン電子音楽スタジオを訪れており、一躍ケルンは電子音楽の聖地となる。50年代から60年代にかけて、NHK電子音楽スタジオ、サンフランシスコ・テープ・ミュージック・センター、ソノロジー研究所など、世界各地に電子音楽のための施設が開設されるが、ケルン電子音楽スタジオは人材と技術の両面においてこれらの施設の発展に大きな影響を与えた。そして、2000年に閉鎖が通達され、多くの音楽家や愛好家に惜しまれながら約半世紀に渡る幕を閉じた。

著者: 高橋智子

参考文献

  • 『電子音楽 In The(Lost)World 』, 田中雄二, アスペクト, 2005
  • Electronic and Experimental Music: Pioneers in Technology and Composition 2nd Edition, Thoms Holmes, Routledge, 2002

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