2019年06月01日号
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ソユズムリトフィルム

Союзмультфильм(露)

1936年、モスクワを本拠として設立されたソ連邦の国営アニメーション・スタジオ。当初はソユズデトムリトフィルム(連邦児童動画映画スタジオ)という名称だったが、翌37年にソユズムリトフィルム(連邦動画スタジオ)に改称。設立にあたっては、33年のモスクワ映画祭におけるディズニー作品の紹介の影響が非常に大きく、ディズニー式の大規模分業の製作体制を採用することで、主に子供向けもしくはプロパガンダ作品の製作に励んだ。54年に人形部門が設立されると、切り絵を含む立体作品の製作も行なうようになる。ロシアではそれ以前にもミハイル・ツェハノフスキーらが前衛芸術の文脈でアニメーション制作を行なっていたが、34年にソヴィエト連邦作家同盟規約において芸術表現の基本方針として社会主義リアリズムが採択されたこともあり、スタジオがツェハノフスキーの流れを引き継ぐことはなかった。ロシア初の長編『イワンと仔馬』(1947)を手掛けたイワン・イワノフ=ワノの作品が象徴するように、同スタジオはロシア民話もしくは史実を元にしたファンタジーに定評があったが、56年のフルシチョフによるスターリン批判とその後の「雪どけ」による検閲の緩和と西側諸国の芸術の流入、そしてアニメーションが子供向けのメディアとみなされていたゆえの検閲の緩さから、新しい表現が次々と取り入れられるようになる。モスクワの住居問題を諷刺した62年の『ある犯罪者の話』(フョードル・ヒトルーク監督)を皮切りに、80年代中ごろまで、ヒトルーク、アンドレイ・フルジャノフスキー、エドゥアールド・ナザーロフ、ユーリー・ノルシュテインといった才能ある作家たちが、自由かつ現代的な表現を行なう黄金期を迎えた。ロシア以外の周辺諸国、特に中央アジア諸国におけるアニメーション制作への影響力も大きく(多くの作家はモスクワの映画大学にて教育を受けている)、ソ連アニメーションのスタンダードを築いたスタジオであるともいえる。ソ連の崩壊とともにスタジオの力も弱まり、89年の民営化と2003年の再度の国有化を経て、アーカイヴ部門は分離され、現在では小規模な製作スタジオとして存続している。

著者: 土居伸彰

参考文献

  • 『ロシア・アニメ アヴァンギャルドからノルシュテインまで』, 井上徹, 東洋書店, 2005
  • Yellow Crocodiles and Blue Oranges: Russian Animated Film Since World War Two, David MacFadyen, McGill-Queen's University Press, 2005
  • Cartoons: One Hundred Years of Cinema Animation, Giannalberto Bendazzi, Indiana University Press, 1995
  • 『「話の話」の話 アニメーターの旅 ユーリー・ノルシュテイン』, クレア・キッソン, 未知谷, 2008

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