2019年06月15日号
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ヴィデオ記号論

Semiology of Video

ヴィデオという記号をヴィデオ自体によって分析し、その特徴を体験するようなヴィデオ・アート作品が多くある。それらは、ヴィデオが再帰的なメディアであることを利用して、アカデミックな分析とは異なるアプローチから、感性的にヴィデオの特性を追求している。ヴィデオ映像は、言うまでもなく文章や絵画、写真や映画などと同じく記号の一種であり、そこには記号論的な分析や制作のアプローチが適応されうる。だが、ヴィデオをそれ自体独立した記号群として取り扱った学術的・芸術的な成果は、いまだほとんどなされていないと言っていいだろう。そればかりか、ヴィデオについて記号論的な言及がある場合でも、映画の記号論の上に、わずかにTVの内容や技術についての補足を付け足しただけで終わっているものがほとんどである。むしろヴィデオ映像を記号として分析的に扱ってきたのは、ヴィデオ・アーティストたちの作品であろう。アメリカのピーター・キャンパスやゲイリー・ヒル、またカナダのマイケル・スノウなどは、明らかに映画やその他の記号と異なるヴィデオ映像の特性を顕わにする作品を発表してきた。それらの作家がいまだ映像の詩的・美的な領域に関心があるように見える一方、最も過激にヴィデオの記号論的分析そのものを一種の遊びとして作品化することに成功したのは、飯村隆彦であろう。だがこれらヴィデオ・アーティストによる記号論的探求は、アカデミックな論者たちから参照されることはほとんどなく、領域間の断絶が歴然と存在する。

著者: 河合政之

参考文献

  • New Artists' Video: A Critical Anthology, Gregory Battcock, Plume, 1978
  • 『情報社会を知るクリティカル・ワーズ』, 田畑暁生編, フィルムアート社, 2004
  • 『映像実験のために テクスト・コンセプト・パフォーマンス』, 飯村隆彦, 青土社, 1986

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