2019年08月01日号
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帝国美術学校

Imperial Art School

帝国美術学校は1929年に開校した各種学校である。35年、帝国美術学校と多摩帝国美術学校に分裂し、それぞれ武蔵野美術大学と多摩美術大学の前身となった。20世紀初頭、東京には太平洋美術学校、文化学院などの各種学校や美術研究所があったが、金原省吾と名取堯の二人はより公的な機関となりうる私立の美術学校を目指し、北昤吉の支援を受けて武蔵野町吉祥寺に美術学校を設立した。初年度はわずか21名の学生しかいなかったが、31年に師範科と彫刻科を設立するなど教育環境が整備されると学生数は急激に伸び、34年には436名まで増加した。しかし、学校の急速な成長は教育と運営のトラブルを招き、34年から校長の北への逆風が強まった。専門学校昇格問題や世田谷区上野毛への移転問題を経て、北は校長を解任され、上野毛に多摩帝国美術学校を新しく設立した。一連の騒動で300余名の学生が北の辞職を求めてストライキに入った事件は同盟休校事件と呼ばれ、当時の雑誌メディアで盛んに報道された。金原と名取は東京美術学校(現東京芸術大学美術学部)の教育が型にはまりつつあることを危惧しており、官立のアカデミズムから距離を置いた自由な校風を目指した。各科では土田麦僊、足立源一郎、ブルーノ・タウトなどの個性派が教鞭を執っていた。帝国美術学校の校舎は第二次世界大戦の戦火を免れ、47年に造形美術学園として再出発し、翌年武蔵野美術学校に改称した。

著者: 荒木慎也

参考文献

  • 『武蔵野美術大学60年史』, 武蔵野美術大学, 1991
  • 『武蔵野美術大学 大学史史料集 第三集 同盟休校事件』, 武蔵野美術大学, 2002

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